国道476号

国道476号

[1] 国道476号

Webページ

[2] 道路レポート 福井県道209号五幡新保停車場線, , http://yamaiga.com/road/fpr209/main3.html

2015/9/14 16:15 【現在地】

起点から約1.6km、配水池からはおおよそ200m、峠までは残り500mまで迫ったところ。

序盤の状況や、地図上の破線という表記具合を見れば、ここまで予想以上に頑張ってくれたとは思う。だが、ついにここで軽トラですらも通行を躊躇うような状況が現れてしまった。

大きく崩れている訳では無いので、どうしても通行したいという人ならば、多少の地均し作業をして先に行けると思うが、この直前で全ての軽トラの轍が途絶えており、そこまでして通っている車も無いようである。

もちろん、オフロードバイクとかなら、まだ問題は無い。

だが、一応は供用済みの県道を、県道として評価するなら、やはり乗用車程度は通れなければ、「通行可」と言うことは出来ないだろう。

不整地に強い特定の車種(自転車含む)や徒歩で通れるだけでは、廃道状態だと言われてもやむを得ない。

轍が途絶えたこの地点がどういう場所なのかと言えば、山間部に入ってから今までずっと道の右側にあった小さな沢を渡って、これからは左側に谷を見るようになる遷移の地点である。

とはいえ、地形図に水線が表現されていないほどの小さな沢の源流付近であり、渡るといっても橋はおろか暗渠さえないのだ。

ただ無造作に交差するだけで事足りているのだが、稀には出水があるせいで、この場所の路面が特に荒れているのだろう。

また、もしかしたら昔はこの場所にも狭い水田があったのかも知れない。

なぜかここだけ木が生えておらず、小さな草地が広がっていた。

今までとは反対に右山左谷となった道は、廃道と断言するほど悪くはないが、さりとて現役と言うにも心許ない微妙な荒れ方&草むし方で、続いていた。

序盤と明らかに違っているのは、かなりの急坂であるという事だ。

私は今日ここまでの長い走行で、もう出尽くしたのではないかというくらい汗を掻いており、夕暮れ近いこの時間になって、ようやく暑さと一緒に発汗も落ち着いていたのであるが、風の全くない鬱蒼とした谷をほとんど直登するに等しい急坂にしごかれては、たちまちのうちに汗を吹き出すのもやむを得ないことだった。

まあ、夏の峠越えをしているのだから、汗が出ない方が不健全だよな。

あと数百メートルで峠のはず。

辿り着きさえすれば、あとはもう自動的に休憩時間となる。それでも旅を進められるのは、

[3] 国道418号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93418%E5%8F%B7

概要[編集]

国道157号重複区間の温見峠を皮切りに、尾並坂峠、平谷峠、売木峠(旧道)などの峠を越えていく線形をとっている。

岐阜県加茂郡八百津町南戸(みなと)の岐阜県道353号篠原八百津線分岐点から恵那市笠置町笠置ダム付近までは狭隘路となっているが、付近で事業中の新丸山ダム建設に伴い水没することから、北岸にバイパス道路(丸山バイパス)が建設中であり、一部区間は2010年3月に供用を開始した。途中の新旅足橋では川の水面まで200mという非常に高い場所に橋がかけられている[1][2]。

国道157号との重複区間である、本巣市根尾能郷の冬期閉鎖ゲート付近も狭隘路となっており、道路状況に対する注意喚起のため「落ちたら死ぬ!!」と書かれた看板が設置されている。ここから黒津までの区間は7年近く通行止めとなっていたが2012年10月、復旧工事が完了し通行可能となった。

要目[編集]

陸上距離:243.3km

起点:福井県大野市神明町(上神明交差点・国道157号重複、国道476号起点)

終点:長野県飯田市南信濃和田(国道152号交点)

指定区間:なし

歴史[編集]

1982年4月1日:一般国道418号(長野県飯田市 - 岐阜県本巣郡根尾村)として指定。長野県飯田市から下伊那郡売木村は国道151号と重複。

1993年4月1日:長野県下伊那郡南信濃村(現 飯田市) - 下伊那郡売木村、岐阜県本巣郡根尾村(現本巣市)から福井県大野市を編入して起終点の方向を入れ替え、福井県大野市から長野県下伊那郡南信濃村(現 飯田市)となる。

重複区間[編集]

福井県大野市神明町(上神明交差点) - 岐阜県本巣市根尾板所:国道157号

岐阜県関市栄町3丁目(栄町3交差点) - 同市平和通6丁目:国道248号

岐阜県加茂郡川辺町中川辺 - 同町石神(新山川橋北詰交差点):国道41号

岐阜県恵那市山岡町馬場山田 - 同市岩村町(裏山交差点):国道363号

恵那市岩村町(一色交差点) - 同市上矢作町:国道257号

長野県下伊那郡阿南町新野:国道151号

長期通行止め区間[編集]

岐阜県加茂郡八百津町(岐阜県道353号篠原八百津線分岐点)から恵那市(笠置ダム付近)までの約17.7kmは、本区間を管理する岐阜県可茂土木事務所と恵那土木事務所が通行を禁止している。この区間は丸山ダムの嵩上げ計画である新丸山ダムによ

[4] 道路レポート 福井県道209号五幡新保停車場線, , http://yamaiga.com/road/fpr209/main.html

【周辺図(マピオン)】

福井県土木部道路保全課『道路現況表』(2010年) を参考資料として挙げているwikipediaの 「福井県道209号五幡新保停車場線」 の項によると、本道路は福井県敦賀市五幡(いつはた)と同市獺河内(うそごうち)を結ぶ、全長約5km(重複区間を除く実延長約4km)の一般県道である。

路線像は右図の通り、低い山を挟んで並走する国道8号と国道476号を連絡する、いわゆる「ハシゴ道路」だが、中間地点にある ウツロギ峠 の前後に、道路地図や地形図が破線で描いている未整備区間があり、実際に福井県は峠の周辺に 1519mの「自動車交通不能区間」 を指定しているそうだ。

なお、この路線名には「新保停車場」という名前が入っているが、同名の駅は存在していない。

本県道が路線認定を受けた昭和35年当時、終点には確かに新保という北陸本線の駅があったのだが、僅か2年後の昭和37年に、北陸トンネルを通る現在の路線へ付け替えられた際、駅は廃止されたが、県道は路線名を含めそのまま据え置かれたという経緯があるそうだ。

不通区間があるような県道だから、名前もなおざりにされたのではないかなどと思ってしまうが、まあそれは置いておこう。

(実際は、県道の路線認定には細かい要件が絡んでいるので、停車場がない停車場線を、名前だけ変えて存続させることは容易でないだろう。つまり、県道を存続させるために、駅がなくなったことを無視した可能性がある)

ただし、今回のテーマは廃線や廃駅ではなく、単純に不通区間の走破である。

しかもどちらかというと、この探索は探索目的で侵入したというよりは、より純粋に、ここを通行して先へ進みたいという気持ちが強かった。

この日の探索の行程上、ここを自転車で通過出来るのと出来ないのとでは、その後の工程にだいぶ違いが出る状況だった。

というわけで、正直言えば探索的な面白さを求めるより、 さっさと通過させてほしいという気持ちで挑んだ 、この不通県道。実延長4kmの走破。

実態は、いかなるものであったろうか。 本編スタート!

2015/9/14 15:33

今日の日が昇る前からずっと続いていた、いつ果てるのかと思うほどの長い海岸の旅も、ようやく終わりの時を迎えそうだ。

福井市近郊を出発し、ひたすら自転車で越前海岸を南下してきた私だが、今見えてきた敦賀

[5] ウツロギ峠 ( その他趣味 ) - この道往けば - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/4904825.html

敦賀市東部の沿岸部を走る 国道8号 と山間部を走る 国道476号 とをショートカットするように指定されているこの路線は、僕に初めて県道制覇において「挫折」を味あわせてくれた路線です。

[6] かえる道, , http://historia.justhpbs.jp/kaheru1.html

平安初期の天長7年(830) 木の芽峠ルート が開発される以前、敦賀郡(古代松原駅)から南越前町今庄(古代鹿蒜駅)への古代道は鹿蒜道(かひるみち)であった。木の芽産地の嶺から嶺 鹿蒜道は 敦賀市街〜樫曲〜越坂〜田尻〜五幡浜〜杉津浜〜山中峠〜新道(南越前町)〜今庄をたどった。 を辿る陸路のほかに、敦賀津から海路で五幡、杉津の浜に着き、山中峠を越えた。古代、木の芽山地は「かへる山」と呼ばれ、古歌に多く詠まれている。鹿蒜道は「万葉の道」とも呼ばれる。

可蒜流廻(カヒルミ)の 道行かん日は 五幡の 坂に袖を振れ われおし思わば 『万葉集』大伴家持

[7] 隧道レポート 国道8号旧道 阿曽隧道(旧黒崎トンネル), , http://yamaiga.com/tunnel/aso/main2.html

2015/9/14 15:17 【現在地】

見事な二次放物線のアーチを描き出した石造の坑門。

ただし、放物線云々というのは「廃道本」で読んだ記憶から導かれた言葉であり、肉眼でアーチ形の正確な区別をするのは不可能だ。

例えば、多心円アーチと呼ばれるものと、二次放物線アーチの区別は、正確な測量でもしなければ難しいといわれる。

一般的にアーチの高さ(ライズ)に対する幅(スパン)の比をライズスパン比といい、半円アーチで1/2となる。扁平になるほど数字が小さくなり、扁平アーチと総称する。アーチ橋と呼ばれるものは、ほぼ例外なく扁平アーチである。

逆にライズスパン比が1/2より大きな値を取るものは縦長なシルエットになり、 尖頭アーチ と総称される。

なお、アーチとして最も安定した構造は半円アーチで、そこから離れるにつれて徐々に構造としては不安定になっていく。

…といったところが、私の中の一般的なアーチに対する理解である。

補足として、鉄道用の暗渠にはそれなりの頻度で尖頭アーチが用いられるのであるが、これには理由があって、大正5(1916)年に国鉄が制定した「混凝土拱橋標準」という示方書に、半卵形アーチやビリケンアーチと呼ばれる尖頭な多心円アーチが制式されていたためである。しかし、本隧道は明治の作であることや、多心円アーチではなく放物線アーチとされていることなどから、両者に直接の関係は無いだろう。ただし、尖頭アーチに至った技術的根拠には重なる部分があるかも知れないが、不明。

数学的な興味と、技術的な興味と、単純な珍奇なものへの好奇心という、三重の魅力で私をしばし釘付けにした石造放物線アーチであるが、やがて我に返って、通常の探索を続行する。

まずは首を上に向けての坑門観察。

アーチ、スパンドレル、帯石、笠石などといった石造坑門の標準的な構成要素が見て取れたが、その全体を覆い隠してしまうほどに濃緑色のツタが勢力を強めていて、お洒落な洋館のような洒脱した雰囲気を醸し出していた。代官山ってカンジ(←無根拠)。

なお、こびり付いているツタは、季節によって紅葉し落葉もする種類なので、この雰囲気も夏に訪れた故の個性だろう。

悪い印象はない。というか、素直にかっこいいと思った。

ただし、ツタのせいで肝心の扁額が読めなくなっていたら残念だったのだが、どうやらそもそも扁額は無い

履歴

[8] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926367363550

メモ