[1] 谷田川
洪水が起きた際には、この水塚の一階に物資を退避させ、二階に家族が避難したという。また揚舟も備えており、辺り一面が水に浸かっても、孤立せずに行き来ができたという。 現在は、利根川や渡良瀬川に高い堤防が設けられ、川が氾濫するような事はなくなった。その為、水塚の必要性が無くなり、数多くの水塚が取り壊されたというが、それでも現在、まだ結構な数の水塚が残っている。 今後は、この土地の歴史を物語る文化財として残されていく事だろう。そう期待したい。
洪水が起きた際には、この水塚の一階に物資を退避させ、二階に家族が避難したという。また揚舟も備えており、辺り一面が水に浸かっても、孤立せずに行き来ができたという。
現在は、利根川や渡良瀬川に高い堤防が設けられ、川が氾濫するような事はなくなった。その為、水塚の必要性が無くなり、数多くの水塚が取り壊されたというが、それでも現在、まだ結構な数の水塚が残っている。
今後は、この土地の歴史を物語る文化財として残されていく事だろう。そう期待したい。
================================================== 笄川(こうがいがわ)の詳しい情報については、「東京の水2005revisited」の以下の記事をご参照下さい。 ・川の概要と地図についてはこちら。 ・各本支流の詳細はこちら。 なお、暗渠ムック「東京ぶらり暗渠探検 消えた川をたどる!」にも簡単ですが解説してあります。 ================================================== とある夕刻。久々に訪れた、笄川の暗渠。用事のついでだったので、源流部からではなく途中から辿るかたちとなった。青山橋を潜って本流を南下すると、立山墓地の南の風情のあるY字路に出る。左側が笄川の跡だ。Y字の付け根にポンプ式の井戸があったのだが・・・
[65] この記事はSuikaWiki Worldで2015-12-12T12:42:36Zに作成されました。 2015-12-12T12:50:25Zに最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448197296961