―― 遂に苦しみが去って、喜びが来た ――
2011年9月28日、13時8分。
塩那道路に私が再び立った日時だ。
私は朝日よりも先に麓の集落を出発し、以来誰とも遭わず7時間44分を費やして、13kmの“道”を実直になぞった。
スタート直後に自動車止めのバリケードがあったが、やがて自転車すら廃道を前に放棄させられ、以後ひたすらに歩行した。
そしてこの過程において私は、塩那道路の“工事用道路”とされるものの救いようがない実態を確かめる事が出来た。
なんていう表現では生ぬるい。カラダに叩き込まれたといった方がしっくりくる。いい加減ヘトヘトになった。
しかし、それはもういいのだ。
私がこうして無事に塩那道路上に辿りついた時点で、 工事用道路の攻略 という、この探索の最大目的は果たされた。
私がもしアルピニストであったなら、今は山頂にいるのと同じことだ。
となれば次に成すべきは、記憶と記録という成果をもって帰宅することに他ならない。
だが、お世辞にも面白みがあるとは言えない工事用道路よ、今少し待て。待ってくれ!
確かに今の私には、お前の他に生還すべき道は無いし、時間的に猶予がないことも知っている。
ヤブ漕ぎの身軽さを目論んで装備を選んだ今日の私に、この山で宿る覚悟はない。
だが、少々危険に近付くとしても果たしたいと思えるだけの、もし再訪叶うならばと胸に秘めていた希望があった。
それを今から果たさせてほしい。
簡単には来れないからこそ、今日という絶好の機会を逃したくない。
―― 6年前はヴェールに隠れたままだった、この道の“真価”の享受 ――
全国屈指の観光道路を目指していた塩那 ―スカイライン― 道路からの 眺望を確かめる ことこそ、
私が目指した第2のピーク。 最終達成目標 であった。
2011/9/28 13:08 (出発から7:46)
現在地は、全長約50kmの塩那道路の塩原起点から29.2km、板室終点から21.6kmに位置する、「記念碑」という地点である。
このすぐそばに塩那道路のパイロット道路開通を記念した石碑があるために、このように名付けられた。
地籍としては日光市横川と那須塩原市湯宮の境であるが、石碑がある地点は、僅かに那須塩原側に入っている。
思い返してみると、6年前の平成17(2005)年10月8日に行った一度目の探索では、塩原起点を5:20に