こととしており、その関連として、祝田橋~三原橋間の地下自動車道路の計画を具体化させていた。
※「都市計画と東京都」都政調査会発行(1960)から引用
この地下自動車道と日比谷線は導入空間が競合するため、紆余曲折があり、結果現況の有楽町駅付近のガード下付近のみ一方通行の地下道になっている。
このあたりの経緯は、 東京五輪関連:地下鉄と競合して未成となった銀座の地下自動車専用道路にして首都高速計画線の名残 に記したところである。
そこでも指摘したのだが、山田正男 元・東京都建設局長は、後に自著において
しかし今でも残念なのは、銀座界隈の最後の道路交通対策として計画した, 祝田橋方面と三原橋方面とを結ぶ地下自動車道計画 を地下鉄2号線(※引用者注:日比谷線のこと)の工事と同時に施工し、 三原橋を撤去することによりついでに七不思議の一つを解消しようとした が,オリンピック東京大会をひかえて工期の関係等もあって断念せざるを得なくなり、遂に中途半端な一方通行の地下道に終わってしまい,七不思議の一つも今だにその醜態をさらしていることである。
「 時の流れ・都市の流れ 」都市研究所刊、山田正男著 25頁
と記し、「 安井都政の七不思議 」の一つである三原橋問題を地下道建設とあわせて解決しようとしたが達成できなかったことが分かる。
しかし、この山田局長の意向と「幻の地下街」を繋げる確証がなかった。それが見つかったのである。
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「交通技術」1962年10月号(財団法人 交通協力会 刊)に「 営団地下鉄2号線銀座-日比谷間建設計画 」という報文が掲載されている。著者は安藤正人 帝都高速度交通営団建設部第1設計課長である。
この報文が貴重である理由は、上に記した東京都の地下自動車道と日比谷線の導入空間調整において、一旦は合意しながらその後流れて幻に終わった「地下道路は地下2階(銀座駅付近は地下3階)・地下鉄は地下3階相当の一体構造」に基づくものを図面入りで紹介しているところである。
これだけではよくわからないので、現況と比較してみる。
お手元に「 パンフレットで読み解く東京メトロ建設と開業の歴史 」実業之日本社刊をお持ちの方がいらっしゃれば、是非97~101頁の記事と見比べてほ