2010/4/20 8:51 【現在地】
左の写真の梯子には、皆さん憶えがあるだろう。
第26号隧道の探索を完了し、水没旧線の一方の端を極めた私は、当然のようにもう一方の端を目指して再スタートする事になった。
冒頭で述べたとおり、一連の旧線の長さは5.6kmもの長さに及んでいた(そして探索済みの長さはおおよそ450m)が、この全てを今回探索出来る可能性は全くない。
ここから1km内外の至近の距離で、「水没」という結末を迎える事は確定的だった。
これから向かうのは、極めきれないという意味において私の敗北の確定した世界。
だがこの時の私は、少しも悄(しょ)げた気分にはなっていなかったと思う。
それは、なぜか――
――それは、見たことのない光景に出会えそうだという大きな期待感だ。
「レールごと廃線跡が水没していく風景」
そんな“夢のようなシチュエーション”が、この先に待ち受けている可能性は高いだろう!
しかも、楽しみはそれだけではなかった。
事前情報の地図によれば、この先にも多くの隧道があるはずだった。
さらに!! 前方の湖岸線には、ずっしりとした迫力を持ったプレートガーダーの側面が見え隠れしていた。
これで興奮するなというのは、土台無理な相談だった。
橋、隧道、水没、――全て私の好物なんだから!
湖畔の廃線跡をひとり歩く。
ここがレールやバラストを残す、おそらく現役当時と変わらぬ姿のままに放置されてから約20年が経過している。
この時間を長いと見るか短いと見るかは人それぞれであろうが、個人的には「まだ若い」廃線跡だと感じる年月だ。
しかし、路盤はそんな「若さ」を感じさせない程度の風化を進めていた。
もとが頑丈であったためだろう。大きく崩れていることはなく、そういう意味では確かに20年目の風景だったが、路盤からレールを覆い隠してしまうほどに降り積もった土砂の厚みは、落石や土砂の流入が頻繁であることを感じさせた。そしてそこには草が根付き、樹木が育ちつつあった。
せっかくレールが敷かれたままだということも、遠からず忘れられてしまうと思い、寂しかった。
同じ月日の経過であっても、それが与える変化の度合いは、環境によって天と地ほども変わるのだということを、現役同然に見えた隧道内の風景を思い出しつつ考えた。
所々に露出しているレールに言葉をかけながら、