大宮姫稲荷神社

大宮姫稲荷神社

[1] 大宮姫稲荷神社

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[2] 大宮売神の名跡を伝える神祇官西院故地に建つ神社(大宮姫稲荷神社) - 京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1700/25103399.html

二条城の北西にある児童福祉センターの前(上京区竹屋町千本東入主税町)に、石鳥居と小さな社があります・・これが、大宮姫稲荷神社(おおみやのめのみこといなりじんじゃ)です。

この地区の神社としては、出世稲荷神社(ブログパート1に掲載)が知られますが、こちらの神社は地元以外ではほとんど知られていないでしょう。巨木の根元に小さな祠があるのみで、鳥居の大きさに比較して、敷地が非常に狭いという印象です。

この神社が注目されるのは、現在は稲荷神社と称していますが、元々は、宮中神の大宮売神(大宮賣神 おおみやのめのかみ)を祀る由緒ある神社と考えられるからです・・大宮賣神は、平安時代の延喜式の宮中神の一つで、延喜式神名帳に「御巫祭神八座 並大。月次。新嘗。中宮。東宮御巫亦同」と記され、律令制時代には神祇官西院御巫の八神殿中、第六殿に祀られていた皇室守護の由緒ある神です。

さて、平安時代には、現在のNHK京都放送局敷地を中心にして、宮内省神祇官がありました。

その後、応仁の乱等で、この地にあった神祇官西院が衰退すると、以後、八神は宮中で祀られず、僅かに吉田神社境内等に八神殿が創建され細々と祀られていたということです。ようやく、明治時代に皇居に神祇官が再興されると、明治二年(1869)に八神も神祇官の神殿に祀られることになりました。その後、宮中へ遷座して、現在は皇居の宮中三殿の一つ、神殿に祀られています。

現在の神祇官西院の故地に八神のうち大宮売神のみが、どのように祀られたのか等は不明ですが、明治時代の初めには、付近には宮内省坐神三座(国神社、韓神社二座)等の遺跡等も芝生の中に僅かに残っていたとも伝えられ、その後、周辺が京都刑務所の敷地となったことで、これらの遺跡も失われてしまったようです。そして、由緒ある宮中神の名跡を持つこの神社も、いつしか稲荷大明神と呼ばれ、地元のごく一部の人が信仰するだけの神社になっていったようです。尚、現在の小さな社殿は、大正十二年(1923)に、東宮殿下の御渡欧を記念して地元の有志によって建てられたもので、末社として光春稲荷大明神を祀っています。

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