奥多摩工業曳鉄氷川線

奥多摩工業曳鉄氷川線

[1] 奥多摩工業氷川工場奥多摩工業曳鉄氷川線

Webページ

[2] 奥多摩工業氷川曳索鉄道 無人のトロッコが石灰石を運搬, , http://www.youtube.com/watch?v=twsqE8Ov5n4

日原の石灰石鉱山から石灰石を運搬し、氷川工場で加工して出荷しています。 運搬は無人の曳索鉄道で行っています。 線路のほとんどはトンネルとなっていますが、一部はトンネル外となっていて、この撮影箇所はそのうちのひとつです。

[3] 奥多摩工業 曳鉄氷川線 1976.7.16 日原 電車線, , http://tsunechan.web.fc2.com/19770716okutama.html

奥多摩工業、二度目の撮影です。(たぶん…)

この日は曳鉄氷川線の『走り』を狙うのが目的でした。

先ずは氷川工場の全景を眺めつつ、

ついでに小河内ダムまで延びる廃線跡も一瞥。

その後はバスに乗って日原へ移動しました。

曳鉄氷川線は大半がトンネル内ですが、

途中で何箇所か外に出る場所があります。

特に日原川を渡る橋が見どころ?ではないかと予想していました。

バスの車窓から眺めたところ、堂々たるアーチ鉄橋でした。

\(^o^)/

とりあえず日原鉱業所付近を観察し、

アーチ橋は帰路の途上で撮影することにしました。

日原鉱業所は静かな山間にありました。

静かと言っても様々な機械音がしていますけれど。

曳鉄の”ガラガラ ゴトゴト”という走行音も…

………

???

えっ? 曳鉄 動いていな~い…((+_+))

何故かトロッコは停車したままでした。

空の鉱車、石灰石を積んだ鉱車が放置されたように停まっています。

なんだか妙な光景でした。

曳鉄が動いていないので周辺を探索。

すると…

道路の下方にナローのヤードを発見!

よく見ると架線があります。

そして坑口にはTLの姿が\(^o^)/

しかし、どうやら稼働はしていない様子…

今日はお休みなのか、それとも廃止???

この件につきましては、後日明らかになるのですが…

そんな発見に浮かれていると、曳鉄がガラガラと動き始めました。

それと同時に雲行きが怪しくなり(*_*)

雨脚は強まる一方なので、撮影を切り上げて退散することにしました。

雨の中をトボトボ歩いていると、砕石輸送のダンプカーが停止。

『乗せてやるよ~』

と声をかけていただきました。

雨でびしょ濡れになっていた旅の者を見て哀れに思ったのでしょうか…?

ダンプのおじさんはCB無線で

『ヒッチハイカーの姉ちゃんを乗せた~♪』

と喋っていました(笑)

おかげさまで無事に奥多摩駅に戻れました。

ダンプのおじさん、その節はありがとうございました。

[6] 道路レポート 奥多摩古道 (氷川〜除ヶ野), , http://yamaiga.com/road/yokeno/main2.html

ギョッとして、GPSで現在地を確認したらば…

↑ここだった!

完全に、工場内だった!!

2013/2/25 9:33

だが、

道は地を伝い、ゆるぎなく、続いていた。

おそらくは明治の地形図に描かれた、その形のまま。

空をファクトリーに塞がれても、お構いなしか。

道はかくも、尊いか。

道幅おおよそ1間半。

両側には、軽レールを用いたごくごく簡単な柵がある。

その外は、何疑いもなく工場であった。

奥多摩工業氷川工場。わが国最大級の規模を誇る、石灰石工場、

その腹中であった。

周りの景色に目を奪われっぱなしだが、

この音を表現できないことが、もの凄くもどかしい。

ガシャンゴションガシャンゴションプシャーガシャンゴションガシャンザザザァ〜ゴションガシャンゴションプシャーガシャンピーピーピーゴションガシャンゴションガシャン…

間断なく乾いた音が聞こえてくる。

もちろん、音の出所は一つではなく、全方位から様々な音が、混ざり合いながら聞こえてくるのである。

四方のみでなく、上下からも聞こえてくる。

道は音の嵐から逃れんとするかのように、一般道路としては稀に見る急坂で上っていく。

先ほどからマークを画像に表示している部分には全て、「これより先、鉱山施設に付き立入らぬよう、お願い致します」と書かれた看板が取り付けられている。

その設置場所は、建物の閉ざされた扉である場合と、通路への分岐である場合があったが、どちらにせよ工場施設の入口である。

しかし、このように一々注意書きを掲出していることは、私がいる道自体は一般道路である事の暗示である。

少なくとも現在、この道は奥多摩工業の通路として専ら利用されている。

だが、この道の方が遙かに長い歴史を持っているからこそ、そこに工場が容易く封鎖できない、何らかの理由が生じているのだろうと推測される。

公道であるのも関わらず、明らかに一般の利用者には全く関係のない、理解する事さえ困難な掲出物も存在する。

「 注 意

硑の押込み作業は必ず一と山残し励行のこと

製造課 」

「硑」は「瓶(びん)」の異体字だが、鉱山用語貯留ビン(鉱石を一時的に溜めておくタンク)などで用いられる。としては「ずり」と読む。砕石を意味する「ズリ」である。

そこまでは何とか理解できるが、その先は全く意味不明である。

だ が、 そ こ が い い !

[7] 奥多摩工業を巡る鉄道たち, , http://hkuma.com/rail/okutetsu03.html
  • 曳索鉄道 -

氷川工場と日原の鉱山の間は当初貨物用の索道(ロープウェイ)で結ばれていたそうですが、その後輸送力が追いつかないという事態が生じてこの曳索鉄道氷川線が建設されました。

これは言わば水平に走るケーブルカーのような物で、一本のエンドレスロープに繋がれた無数の貨車が、機関車もなく無人で走行を続けるという構造です。

軌道の殆どがトンネル内にあり、稀に沢を渡る部分で橋梁上に出て来るのが唯一、我々の観察出来る場所になります。

特に有名なのが日原街道と日原川を一気に越えるアーチ鉄橋の箇所で、ここはバス車内からも容易に眺望出来るスポットですので、多くの人が目にして印象に残っているシーンと言えるかも知れません。

私は自転車で鍾乳洞方面に行く際に何度か目にしましたが、青空高く聳える鉄橋を渡る小さなトロッコの連なりが、静かな渓谷にガタゴトと音を響かせてトンネルへと消えて行く、そんな光景に何だかちょっとホノボノとさせられてしまいます。

実は奥多摩駅のすぐ裏手付近にもこの軌道が地上に顔を出している箇所がありまして、地図上でそこへ道も通じているようなので見に行った事がありますが、結果から言うと敗退でした。

氷川小学校裏手の路地を抜けて登って行くと、道はそのまま工場と山の間を擦り抜けて行く感じで、奥の除ヶ野集落方面へと向っているのですが、その先の角ですぐに通行止の看板が出て来てしまい、それより先へは進めませんでした。

しかしここ、限りなく工場の胎内巡りという雰囲気の道で、上下左右、工場の設備に囲まれております。

私が行った日は休日で静かでしたが、もしも工場がフル操業状態だったら、きっとおそれをなして潜る事は躊躇したと断言出来ます。

曳索鉄道の始発点はちょうどこの右手上方のあたりかと思われますが、どんな具合なのか機会があれば見学してみたいものです(そんなチャンスあるわけ無いですが)。

諦めきれずに、このあと奥の除ヶ野側からもチャレンジしてみましたが、息を切らして登り詰めたもののこちらも通行止めのバリケードに行く手を阻まれ、登り損のくたびれもうけでした。

昔の山行記録でそこを通過したとのレポートもどこぞにあったのですが、どうもその後道が荒れて通行禁止になったようです。

生活道としては、村から奥多摩駅へは下の道へ下って行けば良いのだし、小学校への通学路にしても危険過ぎるので利用する人が

[9] , , http://www.geocities.jp/glock1320031/sub11-5.html

ケーブルの先を目で追うと、なんとすぐ先の茂みの中に三頭山口駅が・・・。道路わきに石段がありその先は獣道になっているが、すぐに駅跡にたどり着く。

ロープウェイというと低い所から高い所に上っていくものだと思っていたが、ここはなんと標高差0.65m。多摩湖を横断するだけであったために、対岸に渡る橋が出来上がると乗客が途絶え、休止に追い込まれる。

[10] 奥多摩工業 曳鉄氷川線 曳鉄三ツ又線 三ツ又電車線 日原電車線② 1978.1.14, , http://tsunechan.web.fc2.com/19780114okutama2.html

同じような写真ばかりですが、ブローニーでも撮影していましたので、

『高画質版』として掲載いたします。

もう少し多角度から撮っておけばよかったなぁ…

と、後悔ばかりしています。

日原川に架かる曳鉄氷川線の鉄橋です

三ツ又電車線のTLです。左は曳鉄三ツ又線。

側面にE81の番号があります。社名板も付いていますね。

坑道内の軌道。架線がいい味出しています(^O^)/

何故か流木のような物体が載せられています…

今度の出番は何時なのかな…

近頃は何でもかんでもネットで調べられますよね。

奥多摩工業についても色々と掲載があります。

なかでも「上部軌道」という表記がいくつか見られました。

僕が見聞した範囲内では知らない路線です。

鉱山軌道は予想以上に範囲が広く、

自分では把握したつもりでも、実際には

「ほんの一部」ってことがよくあります。

BLの廃車体が転がっている写真も見ましたが、

そういえば奥多摩工業でBLは見たことがありません。

ということは、やはり自分が見たのは

「僅かな部分」だったのかも知れませんね…

マミヤC330プロフェッショナルF

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[11] 道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道 , , http://yamaiga.com/road/nippara/main.html

後にも先にも、山行が史上最悪の路面崩壊といえば、松の木峠の旧道を置いて他にない。

そう信じてきた私だが、レポート公開以来、読者から「もっと凄い場所がある!」

そんな挑戦状のようなメールが、年に数回以上も届けられるようになった。

中でも、複数の人から繰り返し紹介された場所がある。

東京都奥多摩町の日原川流域に、おそらく松の木峠を越える絶望的な崩落地点が、存在するのだという。

促されるようにして、WEB上で見ることが出来た幾つかの現地レポートを見たが…

皆 撤退していた。

だが。

私は、この崩壊地をモニタ越しに何度か見るうち、

「突破できるのではないか」 「言うほど難しいのだろうか?」

そんな疑問を感じるようになっていた。

確かにその崩壊地の幅は、松の木の比ではないように見えた。

だが… 松の木の時のように、チャリ同伴を強制される訳ではないのだ。

極端な話し、山頂まで高巻することだって、谷底まで迂回することだって出来るのではないか。

年に数回、誰かしからは届く、“日原からの挑戦状”。

遠く秋田にいた私は、それを読むたび、もうもどかしさでどうかなってしまいそうだった。

もし東京で暮らすことがあったら、じっくりと挑戦してみたい。あの松の木の時と同じように… 独りで、思う存分…。

そう願ってきた。

2007年1月5日、私は上京を果たす。

その日より僅か11日目の朝。

挑戦するために 私は独り 家を出た。

問題の大崩壊地は、東京都の西端部を占める奥多摩町の中北部の一角、日原(にっぱら)という場所にある。

自宅からは約50km。電車を乗り継いでいけば簡単に行けそうな近場だ。

旧道を地図に探したが、最新版ではもう描かれていなかった。

手許の古い地図でも見てみると、日原トンネルを迂回するような谷沿いのグネグネ道と一本の短い隧道が、確かに描かれている。

情報によると、その旧道の入口付近に崩壊があり、隧道の内部や裏側へは行くことが出来ないというのだった。

日原上流には関東有数の規模を誇る鍾乳洞があり、渓流釣りや登山に適する場所も豊富で、日原全体が都民の一大レクリエーション場となっている。

反面、一帯の地下には石灰石が膨大に埋蔵されており、昔からの石灰石鉱山地帯でもある。奥多摩町氷川に本拠を置く奥多摩工業は、専用鉄道を日原谷の奥地まで延ばし、今なお盛んに

[12] 廃線隧道【BLOG版】 奥多摩工業曳鉄線, , http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-166.html

奥多摩工業の石灰輸送専用線、「氷川鉱山曳索鉄道氷川線」を見てきました。曳索鉄道とはケーブルを利用して無人の貨車(トロッコ)を運行する鉄道で、氷川鉱山~氷川工場間の約4.8㎞が昭和28年に開通しています。

地図を見ると写真の右上辺りが曳索鉄道の起点になっているようですが、氷川工場の敷地内のため目視でも確認できませんでした。曳索鉄道は工場内からそのまま最初のトンネル(1号トンネル)に入っているので、地形図の点線道でトンネルの出口側に迂回することにしました。 【地図】

[13] 【奥多摩の絶景!】日原街道で日原鍾乳洞へ(前編) : マッキータウンぶろぐ 〜東京近郊自転車コースガイド〜, , http://blog.livedoor.jp/mackey_town/archives/51989388.html

今回のライドは奥多摩の日原街道で日原鍾乳洞まで行く。 この企画は以前やったんだけど、日原街道は景観が素晴らしく 自分が過去に走ったコースでも指折りのオススメコースなのだ。 だが当時はケータイの写メによるレポなので不完全な内容だ。 今回はその魅力を存分に伝えるために再訪する事にした。 参考までに以前書いたレポ、奥多摩、日原鍾乳洞へ行く(前編) 今回のコース。 奥多摩駅を起点に日原街道(204号)で日原鍾乳洞まで。 距離は約11キロだが全般的に上り基調なコース。 スタート地点の標高が341mでゴールが638m 11キロの距離で約300m上る事になる。平均勾配は2.7%だ。 スタート地点の奥多摩駅。 サクッと書いてるけど、ここまで60キロ近く走ってるんだぞ! 遠いよ。奥多摩('A`|||) 駅から青梅街道に行き、日原街道入口のT字路を右折。 いつも写真を撮ろうと身構えると、そのタイミングで車が通過するのはナゼだろう? のっけから上り基調な日原街道。 街道とは言っても、ご覧のような細い道だ。 巨大な奥多摩工業が見える。 駅のすぐ隣にある奥多摩工業は今回のキーポイントの一つなので なんとなくでいいんで片隅に覚えておいてほしい。 なおも登る。 スタートからしばらくはヒルクライムモードだ。 ただ、ずっと登りが続くわけではないのでご安心を。 以前の水根線廃線遺構めぐりで紹介した線路跡が見える。 その時は高架の下からしか見えなかったが、今回は上から見ることが出来た。 ただ遠すぎて線路が残っているのかいないのか判断できない。 ※【参考画像】 以前紹介したのはこの構図。 何はともあれ、高架の上を見ることができて満足だ。 「日原鍾乳洞まで9キロ」の看板がある。 いつのまにか幹線道路らしい2車線になった。 最初のピークまで上ったので、いったん下る。 序盤は上ったり下ったりを繰り返すイメージ。 この辺りは岩肌が切り立っている。 しかも、かなり特殊な形をしており「岩肌フェチ」なとりさんは萌える。 スタートから約3.4キロ地点に大増鍾乳洞・・・ があるつもりだったんだけど、何と閉鎖されてるじゃないか! 奥のほうにもブルーシート。 帰宅後に調べて分かったんだけど2011年の台風による被害で 大増鍾乳洞は立ち入り禁止になり休業中らしい。 ここは非常に珍しい真っ白な純度の高い鍾乳石を見れることで有名だっ

[14] 奥多摩工業 運搬軌道 曳索鉄道 電車線 奥多摩のナロー, , http://tsunechan.web.fc2.com/okutama.html

所有事業所=奥多摩工業

(運行区間)

曳鉄氷川線 氷川工場~日原鉱業所

曳鉄三ツ又線 日原鉱業所~三ツ又鉱業所

日原電車線 1号線 日原鉱業所~11坑・12坑

日原電車線 2号線 日原鉱業所~21坑・22坑

三ツ又電車線 日原鉱業所~三ツ又鉱業所

軌間=762mm

《本文を含め、記載のデータは昭和52年~53年のものです》

青梅線のED16を撮影していた頃、地理を把握するため五万図を利用していました。

五万図『氷川』には小河内ダム建設専用線と、もうひとつ怪しげな路線が…

その名は『奥多摩工業 曵鉄線』。

奥多摩駅に隣接する工場から山を貫いて、ほぼ直線に延びていました。

これは一体ナニ???

そんな疑問は次第に膨らんでゆき、ナロー軌道に目覚めたことも相まって、

何としても実態を知りたくて仕方ない状態となってしまいました。

しかし、その頃の詳細をあまり覚えていない…(?_?)

確か最初は電話で問い合わせたような気がします。

それがナロー軌道であることを知り、

『是非この目で見たい!』

と思い、奥多摩工業宛に見学要請の手紙を出しました。

その時点で解っていたのは762mmゲージであること、

運搬車両をケーブルカーのようにワイヤーロープで動かしているらしい…

ということだけでした。

軌道は殆どがトンネルだし、機関車牽引でないのでテンション↓↓

なので、とりあえず工場で見てみよう…という目論みだったのですが…

当時は奥多摩工業に関する情報は皆無で、

とにかく自分で見聞するしか知る術がありませんでした。

その行動がナロー軌道の醍醐味でもある

『発見する楽しみ』

につながってゆき、ナロー病がさらに悪化したのです(笑)

【訪問日】

昭和52年 4月12日

昭和52年 7月16日

昭和53年 1月14日/1

昭和53年 1月14日/2

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[15] 【トロッコ】奥多摩工業曳鉄線 ‐ ニコニコ動画:GINZA, , http://www.nicovideo.jp/watch/sm2691569

動画の説明文:全文を表示

奥多摩工業・氷川鉱山から奥多摩駅横の精製プラントまで石灰石を運搬する無人のケーブルトロッコです。間近で見れるポイントにたどり着くには、林道を経て道なき山中を歩き回らねばなりません。杉林の中にあるの...

[16] 奥多摩工業の無人トロッコの見える場所 : 銅の匙、記憶の旅, , http://aizak3.exblog.jp/17114286/

日原鉱床と天祖山鉱床の位置 奥多摩工業と石灰採掘の歴史は、『多摩誌』の該当箇所をそのまま「more」に引用した。 京浜工事事務所の編纂した『多摩誌』はweb上で検索でき、全文が読むことが出来る。 3.2.2 奥多摩の石灰工業 建設省京浜工事事務所『多摩誌』 奥多摩町には古くからある製材工場(9工場,86人)のほかに,近年は電機部品等の工場も多くなってきたが(約20工場,350人),やはり最大の事業所は日原で石灰石を採掘する奥多摩工業であり,その関連企業である. 奥多摩工業は従業員数約300人で,日原に3個所の鉱山があり,いずれも氷川駅に運ばれて選鉱し,セメント工場や製鉄所へ出荷されているが,青梅市上成木にも梅ヶ平鉱山があり,瑞穂町富士山に化工場がある.また,奥多摩町倉沢に奥多摩化工があって,生石灰の生産を行っている. 奥多摩工業は,1927年に浅野セメントが買収していた日原の山林133町2反6畝を継ぎ,10カ年以内に当時の鉄道の終点御岳から氷川まで鉄道を建設し,石灰石の採掘を行おうとしたもので,日本鋼管と鶴見造船が300万円を出資して,奥多摩電気鉄道株式会社として設立されたものである. 鉄道は1941年に着工されて1944年に竣工したが,当時の地方鉄道法によって国有化され,会社は現社名となった. 氷川から戸望鉱床まで5kmの索道が建設され,実際に営業を開始したのは第二次世界大戦後の1946年であった.1947年の年産額は6.8万tであったが,1952年には39.8万t,1957年には126.1万tに達し,1961年には200万tを超えた. 採掘は朝顔坑の露天掘りで,底部からトンネルの運鉱路を通って岩松に集められ,ここで砕石される.砕石はさらに底部より鉱車に積まれトンネルの曳索鉄道を通って氷川に運ばれ,ここで選鉱される.カーバイド用やセメント用の鉱石はそのまま貨車で出荷されるが,高炉用や硝子用の4mm以下の細粉は水洗して砕石し,選別される.また,転炉用の生石灰を造るために,1961年,奥多摩化工が建設された(参52). 石灰石は1950年制定の新鉱業法によって新たに適用鉱物となったため,奥多摩工業は,1963年にかけて倉沢・天祖山・小川谷・已の戸・樽沢・御前山・川乗山など2,618haに鉱業権を設定した. そして戸望や油面を中心とした日原鉱床の貧鉱化に伴い,1

[17] 奥多摩古道 奥多摩駅前~奥多摩工業氷川工場~曳索鉄道~除ヶ野集落, , http://www.youtube.com/watch?v=x1_Lm8m-3xA

"山さ行がねが"の道路レポートを参考に、このページで"奥多摩古道"と呼んでいる道を歩きました。 奥多摩駅前から、氷川小学校横を通っていくと奥多摩工業氷川工場の敷地内?を通り抜け、奥多摩工業の曳索鉄道の様子を眺め、除ヶ野集落に至ります。

履歴

[18] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529541092

メモ