森茂峠

森茂峠

[1] 森茂峠

Webページ

[2] 道路レポート 六厩川橋攻略作戦, , http://yamaiga.com/road/morimo/main2.html

綺麗だ…。

出発地がある小鳥川の谷間を見事な雲海が覆っていた。

足元に発する「なぶし洞」のV字のシルエットもまた美し。

この景色に祝福されつつ、森茂峠は極まった。

8:05 【現在地】

林道の入口から3.3kmの地点で、本日行程の最高所である海抜1112mの「森茂峠」に到着した。

ちなみに、これまでフリガナをふってこなかったが、「森茂」の読みは「もりも」である。

あと、前に「六厩」の読みを「むまい」としたところ、「むまや」が正解ではないかというご意見を頂いた。

なるほど、いまは「むまや」が一般的なようです。訂正したい。(「むまい」は旧版地形図にある読み方)

峠はどこにでもありそうな掘り割りだったが、結構深く切り下げられている。

登ってきた東側は谷が大きく開けているのに対し、これから向かう西側にはちょっとした広場があるようだ。

また、一本の杉の木がぴょこんと正面で目立っている。

広場と思った場所は、別の林道との分岐地点であった。

本線は真っ直ぐで、左へ行くのは支線だろうか。

標識もなく路線名は分からないが、地形図では3km以上も尾根に近い所を縦走して行き止まりになっているようだ。

私はもちろん直進する。まだまだ轍の数は衰えていない。

そして、存在感のある杉の根元に小さな祠が祀られていた。

立ち寄っていこう。

この言葉は曖昧すぎると思いながらも、同じ日本人なら分かってくれるだろうと信じて使う。

これは“好ましい感じ”のする峠の祠だ。

祠自体というよりも、置かれた峠というシチュエーションが心に響く。

峠に神さまを祀るというのは古くから日本人に共通する美意識だったようだが、飛騨地方では今でも数多くの峠に地蔵堂が残る。

一般の交通網からは完全に隔離され、ともすれば忘れられてしまいそうな森茂の峠。

ここに祀られた地蔵には、どんな人々の祈りが込められているのだろうか。

さらに近付いてみよう。

祠には、深い愛情がこもっていた。

格子扉の向こうに、素朴な作りの石地蔵と木彫りの仏像とが、寄り添うように安置されていた。

クッキーの缶を改造した手作りの賽銭箱が置かれていたので、今日はいつもより大きな加護を祈願して100円を投入した。

扉の上に、年代の異なる3枚の額が掲げられていた。

1枚目は、賽銭箱に集まった浄財をもって平成元年に祠の屋根を掛け替えた

[10] 森茂川流れ込みと六厩橋・源流にいた獣と御母衣湖での恐怖の体験, , http://doyano.sytes.net/keiryu/33/index.html

森茂峠を越えて森茂川へ

森茂川へ車で行こうと思うのなら、高山市清見町・小鳥川方面より森茂峠を越えるしか方法がありません。

ただし、林道にはゲートがあります。

また、道路は崩落していて途中までになります。

国土地理院・1/50000の地図では、御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、

森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、

この道路はすでに昭和45年頃から土砂のため埋没しています。

車は通る事はできません。

自転車も難しい。

徒歩でも過酷です。

50年程前までは、集落に人が住んでいて、流れ込みあたりまで車で行けましたが、

現在は、廃村となり人は住んでいません。

このため道路は手入れがされておらず、

峠から1.5キロ下ったところで道路が滑落しており車はここまでです(地図参照)

森茂峠には地蔵堂があります。

地蔵堂の中には天明年間に建立された、お地蔵様が奉られています。

今でも、人里から離れたこの地蔵堂に花が供えられています。

かって、この地域に住んでいた人が、今でも地蔵堂にお参りをしています。

森茂川流域に住んでいた人々は、昭和35年頃に道路が整備されたとともにこの地を離れてしまったそうですが、

当時の住居跡が森茂川流域に残っています。

この地では縄文時代の遺跡も発見されており、随分と古くから人が住んでいたことがうかがえます。

釣りには関係の無い話かもしれませんが「森茂川」に興味が沸いて色々調べてみました。

森茂峠についてはこちらで▼詳しく案内されています。

飛騨の峠・建設省中部地方建設局・高山国道工事事務所

森茂川流れ込みを目指しカヌーを用意したが、風が強く断念。

御母衣から小鳥ダムまで行き峠を越える。

御母衣ダム湖からカヌーを使って流れ込みへ行く計画でした。

一旦は御母衣ダム湖の東湖畔側の隋道付近まで行きましたが、

残念な事に風が強くカヌーを漕ぐには危険な状態のため、小鳥川

まで戻って峠越えしました

移動に多くの時間を費やしたために、既に時間は12時を過ぎています。

森茂峠から1.5キロほど下ると右岸へ渡る橋があります。

ここには既に車が7台ほど停めてありました。

車を降りて流れ込みへと続く道路の状況を確認すると、

道路が滑落しており車が通行出来る状況ではありません。

停めてある車はここで車を降りて、それぞれの

[11] 秋町隧道: 林道・ダム・鉱山の勝手な記録, , http://netishim.seesaa.net/article/137703020.html

9月から休み無く出勤したつけが回ってきて、 最近では週休3日制です。 今日(12月9日)も代休が取れました。 おととしに、再会できなかった秋町隧道を見に行こう かと思いました。 それと、以前、Bandlover様より、山の東向こうにも トンネルが有り・・ とお教え頂いていたので、うまく いけばそれも・・・と思いました。でもそれは実現でき ませんでした。 95年に秋町隧道に行った時の記憶がすごく曖昧 で、確認したいという気持ちもあります。 写真(銀塩)と8mmVTRを探しても秋町隧道の 南西側坑口しかみつかりません。 私の記憶だと、95年に行った時はこうです。 ・秋町隧道 南西側坑口には 御母衣右岸側の林道 を通り、すぐ前の広場まで車で横付け出来た。 ・森茂峠を通って森茂へは、車で行けたが、その先は 足のすくむような崖下まで道が崩落していて、歩いて でも行けそうになかった。 ・六厩川沿いの林道では、途中から歩いて六厩川橋 まで行けたが、六厩川橋を渡った先から道が無くな っていて、秋町隧道の北東側坑口には行けなかった。 で、問題は、この六厩川橋のそばにある隧道ですが、 全く記憶に無いんです。有ったら写真ぐらい残っていて もよさそうなものを・・・・ でもBandlover様のおおせのように、地図には描かれて ますね。 今年は暖冬で、いまだに雪が積もっていません。 (11月2日に有峰で雪にあたったのみです。) ひょっとしたら、御母衣もそんなに積もっていない のでは無いかと思い、来てみました。 国道から御母衣の右岸側へ入る分岐です。 雪が全くありません。これは予想外でした。 道中は、さらにこんなに良い感じ。 この前の夏とはえらい差です。スズメバチの心配も 無さそう。 車で行ける終点から延びている林道もくっきり 見えています。 あそこも後で行ってみることにします。 白山方面は・・・ これは当然雪が積もっています。 さすがだ・・・ 荒廃した川に岸もはっきり。 やはり来る季節は間違えてはいけないのですね。 おなじみの場所に車を置きまして、 防寒対策バッチリにして、歩きはじめます。 08年8月10日の同じ場所です。 まったく草の量が違いますよ。 簡易ゲートの場所。 去年とは看板の配置がちょっと変わっています。 車を通す為に外した、ということなのでしょう。 この道、一応現役な

[13] 秋町隧道と 六厩川橋 1, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20s2.html

秋町隧道と 六厩川橋 1

岐阜県の真ん中より 西北に 御母衣ダムがある そのダム 東に

廃村になった 部落 森茂がある。 そこから 森茂川沿いに

西へ 行くと 六厩川橋 秋町隧道トンネルがある。

森茂川沿いの土砂崩れの道

1998年 平成10年 10月10日(土 体育の日)

森茂川 南 林道の 土砂崩れの地点から 西へ 歩いて

約3km進んだ 秋町隧道トンネルを 目指した。

今年の 第3回 9月 三重 和歌山ツーリングは 2台無事に スケジュールを

消夏できた。 その2日後 9月17日(火)あたりから 天候は 曇りの日が

20日ぐらい 続いた。 ほんとうに 毎日毎日 ぐずついて 曇りか 雨ばっか

だった。 10月上旬に なったら こんどは 暑い日ばかり 半袖で過ごす日が

続いた。 10月6日(火)あたりに ようやく朝方 冷え込むように なった。

それまで 掛け布団は 薄い夏用のだったが 9日(土)に ようやく 分厚い

掛け布団に かえた。 ほんとうは 9月26日(土)に 冒険を 予定していたのに。

10月9日(金)仕事を終え 家に着き 玄関のカギを開ける前に 東側に

しまってあった バイクを 押し出した。 エンジンをかけてみる。 かかった。

すぐにエンジンを止める ひと安心。 家ん中に入り 洗濯 夕食 風呂を すませて

録画してあった 秋の踊る大走査線SPを見る。 PM9:20ごろ 電話が鳴った。

出ると いつも上機嫌のD氏からだ 画面見とった? って、 こちらは めずらしく

F2 F3の電源が切ってあった。 んにゃ、 これから M氏の 誕生日会やるから

こんかね? って、 うちはもう パジャマだった。 結局行くと 返事をした。

ちゃっと 着替えて ここ2〜3ヶ月電源が入れてある 携帯を持って スプリンターの

ドランクから 6MのANTをだして 家を出た。 途中 姫を乗せて ファミレスへ

向かう。 着き駐車場へ いんちき止めして 店内へ入る。 レジ前で ローカルらは

空席待ちをしていた。 D、M、E、姫、H、そしてP氏 だが空席待ちを していたのは

P氏ではなかった。 人 間違いだった。 P氏は 来ていない。 計5人。

ようやく 席に着き ピザ 大盛りポテト ケーキ ドリンク注文、 のち 各

[14] 六厩川橋, , http://doyano.sytes.net/keiryu/34/img/7-4-2-p.html

国土地理院発行の地図には、高山市荘川町牧戸から清見町森茂まで道路が表示されています。

見た目には通る事が出来そうで、釣り人やバイクマニアなどが一度は挑戦しているようです。

しかしこの道路は、私が釣りを始めた昭和45年から通る事は出来ませんでした。

トンネルが土砂に埋まり通行不能だったのです。

六厩川橋へは今では行くのがとても困難ですが、

その当時でも状況は同じです。

一度だけ橋の袂へ行きましたが、橋の床が腐っていて渡れるような状態ではありませんでした。

今では幻の橋として酷道マニアの聖地になっています。

この橋へは、森茂峠からですと道なき道を歩いて5時間。

六厩川上流からでも同じく5時間。

御母衣ダム湖からは山越えとなるので何時間かかるのか分かりません。

たぶん一日がかりなるのではないでしょうか。

いずれにしても相当な時間が必要になります。

野宿覚悟の遠い道のりとなります。

それほど困難な場所にあるため、行った者には必ず幸せになるという「噂」がありそうですが、

聞いた事はありません。

ただ、酷道マニアには垂涎の場所で、渡ったものは英雄視されているようです。

橋が完成してから、一体何人がこの橋を渡った事か?興味はつきません。

[15] 森茂 2002年 5月5日, , http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a15s2.html

森茂 2002年 5月5日(日)

友人の I氏と 約20年ぶりに 森茂を 訪れた。

2002年 5月 右が 森茂村跡

森茂林道入り口 青が道 ・ 赤が崩れた道

赤が 崩れている カ所で 車通行は 不可

2年ぐらい前の集中豪雨で この谷間が 変貌したようだ

大谷橋を脇に 森茂峠を下って 崩れた道

左が御母衣方面 右が森茂への道

森茂橋

森茂橋から数百m進んだ崩れた道

森茂村手前の崩れた道

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[16] 2白川郷の地名呼名 | 白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ, , http://cloud-line.com/travelshirakawagou/history20/

白川郷の歴史と文化や旅行と見どころ The history, culture and a travel, and highlight of Shirakawa-go

岐阜県大野郡白川村 境川 白川村の北端と越中(富山県)の国境に「境川」という川が流れていたのである。 小白川地区 白川村の北端に「小白川」地区があったのである。 打越峠 小白川地区の山から西に通じる峠が「打越峠」であった。この打越峠北の尾根上に小白 川砦があったのである。 籠の渡し小白川 小白川と越中(富山県)を結ぶ国境の境川という川に「籠の渡し小白川」があったので ある。 小白川砦 小白川の打越峠北の尾根上に「小白川砦」があったのである。 加須良地区 椿原地区から西の山奥に「加須良」地区があったのである。白川郷の北海道といわれた 秘境が「加須良集落」で、山々に囲まれた全くの別天地でした。加須良地区には外部から の電話、電気は引線されておらず、昭和43(1968)年の離村するまで電気は自家発電?(谷 川を利用した水力発電)の生活であった。昭和42(1967)年に離村。 加須良川 加須良集落から、椿原の北の庄川まで流れたいたのが「加須良川」であった。「加須良集 落から加須良川沿いを下って椿原北まで通じる道」(距離約6km)は、近代の道で昔はあり ませんでした。加須良川沿いに、加須良林道が昭和36(1961)年に完成してようやく「自 動車が」加須良集落まで入れるようになったのであった。 蓮如峠 加須良地区から南南東に「蓮如峠」があった。昔は、蓮如峠→加須良集落→越中(富 山県)桂集落→加賀(石川県)に抜ける道があったのである。1469~1486年(文明年間) 蓮如上人が白川郷加須良集落を訪れ、蓮受寺に休泊されたという言い伝えからこの「横谷 峠~蓮如峠~加須良集落」へ通じる道が古くからあったことが分かるのである。 芦倉地区(庄川の東、右岸に位置する) 椿原地区 籠の渡し椿原 椿原集落と芦倉集落の庄川に「籠の渡し椿原」があったのである。 有家ヶ原地区(庄川の東、右岸に位置する) 内ヶ戸地区 椿原ダム建設により昭和13(1938)年までに離村、水没したのであった。 内ヶ戸歩危 内ヶ戸集落の北と南に「内ヶ戸歩危」があったのである。迂回路は内ヶ戸集落から西に 山を越えた、馬狩谷沿いを通行してい

[17] 艨艟ノ棲処−森茂林道と秋町隧道, , http://moudou.hatagashira.com/moudou/motercycle/kdx/kdx_touring_report/20100504_kdx_morimoakimachi/20100504_kdx_morimoakimachi.html

地図で見て、昔からとても魅力的に思っていた御母衣ダム周辺の林道。マシンと時間がなかなか合わず、何年も行こうと思っていて実現しなかったのだが、実は昨年、ようやくに走ってきた。

で、だ。御母衣ダム周辺林道のどこへ行こうかと思っていたかというと、まずはここ。 地図を左上から右下へ横切る細い線は尾根上を走る林道で、これは関係ない。問題は右上から左下へ、途中で切れている道だ。古い地図(といっても平成の始め頃まで)には、この部分に隧道があるのだ。未舗装(たぶん)林道の先に現れる謎の隧道。なんかもう、想像するだけでワクワクしてくる。

加えて、その地図を更に左上へ辿ると、川を渡るところに橋が架かっているのが分かると思う。

だがしかし。橋へ至る左下からのルートは、件の隧道のところで切れている。そして橋の右(東)から来るルート、上(北)から来るルートは、いずれも途中で林道が終わり、細い線(徒歩道)となっている。

どう?ドキドキしてきたでしょ。

こうなってくると、廃(?)隧道

と橋をこの目で確かめたくなるのは人情というもの。で、さっきも言ったように、行たのである。

だがしかし、その結果はレポートにまとめる程の成果も得られず、分かりやすく言えば「惨敗」である。南から廃隧道を目指したルートは、激藪のためKDXどころか徒歩でも進めず。東から橋を目指したルートは、途中で路盤が消失(落ちて)していた。やむなく再挑戦の時期を狙っていたのだが、その間に、こっちのサイトで先を越されてしまっていた(一時期、アムンゼンに先を越されたスコットのような気持ちだったのは事実である)りして、ややテンションは下がり気味だった。

しかし持つべきものは友である。昨年の状況を聞いたリターンライダーKDX氏が、是非行きたいという。ならばと今年、再挑戦してみることにしたのである。

さて、廃隧道と橋へのアプローチだが、昨年は南からの六厩林道、そして御母衣湖沿いの秋町林道のコースを取った(両方とも失敗したが)ので、今年はまだ走ったことのない東からのアプローチ、森茂林道を通ることにした。

さて、途中は飛ばして森茂林道の入口がここである。延長は15km(!)とある。これがここから橋までの距離なのだ。

急勾配の九十九折れを10分ほど上がって行った先に森茂峠がある。峠の祠はきちんと清掃されているところから、それなりに

履歴

[18] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054529288387

メモ