大牧トンネル

大牧トンネル

[1] 大牧トンネル

Webページ

[2] 道路レポート 国道156号 大牧トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r156_oomaki/main.html

【所在地(マピオン)】

随分久々になってしまったが、“越中五箇山”を巡る道を、また少し語りたいと思う。

越中五箇山、或いは単に五箇山(ごかやま)とは、日本海に望む北陸の砺波平野から山を隔てた内陸部、庄川水系に属する山峡地帯の歴史的広域地名であり、平成の合併前に存在した富山県東礪波郡旧平村、旧上平村、旧利賀村の地域を指す。現在はいずれも南砺市に属す。

そしてこの名は、中世の平家落人たちによる開村伝説を持ち出すまでもなく、平成7年にユネスコの世界文化遺産にも指定された合掌造り集落に代表される独自性と秘境性を併せ持った地域名として、現代なお広く用いられているのである。知名度の面において、北陸を代表する“秘境”ではないだろうか。

だが、現在の五箇山は山村ではあっても、飛び抜けた秘境というにはあたらない。

右の地図を見てもらえば分かるが、五箇山は地理的に見てさほど平野から遠い場所ではないし、今ではその平野と繋がる3本の国道が地域内を縦横し、いずれも積雪期においても通行が確保されている。さらには高速道路も開通した。

実際、いちばん内陸寄りの旧利賀村地域だけは少し遠さを感じるが、それ以外の地域は(少なくとも私が体験した夏場であれば)かなり気軽に訪れる事が出来るのである。

しかし、今の秘境らしからぬ便利さは、これまでの国道整備に依るところが大であり、むしろそれがほとんど無二のものである。

そして、これら国道が現在に近い状態で完成した時期は、いずれも昭和50年代以降と、さほど昔ではない。

例えば五箇山を走る3本の国道の中心的存在といえる国道156号でさえ、庄川〜祖山ダム間が冬も通れるようになったのは、昭和52年である。

それまで、旧平村や旧上平村の住民は、毎年12月頃から4月頃まで四周を深い雪道に閉ざされ、村に自動車はあっても外へ乗って出る事は出来なかった。

その当時は、庄川の祖山ダム湖と小牧ダム湖を乗り継ぐ村営船や、細尾峠の危険な雪中行軍をもって、辛うじて世界と繋がっていたのである。

そして、今回主に紹介するのは、この区間における国道156号の除雪可能化(無雪化)を実現させた最大の立役者である大牧トンネル(全長1330m、昭和52年開通)、その開通以前の旧国道である。

五箇山が名実とも神秘の秘境であった時代の最後を見届けた国道風景と、失われた車窓、それらとの再開

[3] 道路レポート 国道156号 大牧トンネル旧道, , http://yamaiga.com/road/r156_oomaki/main2.html

2009/4/30 8:30 【現在地】

これが、大牧トンネル南口付近から見た、旧道の姿である。

確かに道があったという痕跡は見て取れる。

路肩の擁壁や、その先に続く微妙な平場の断続的連続など…。

だが、直前に見た駈足谷橋の旧道で恐れていた展開は、現実のものとなった。

現道開通後、おそらく速やかに放棄されたと思われる旧道は、豪雪の山腹に放置されること30余年にして、その国道であった過去をまるで喪失してしまったように見える。

良かろう。

望むところ。

季節的には、今がベストシーズンであるはず。

現道がトンネルで失ってしまった庄川峡の車窓を独り占めに出来るのならば、苦労のし甲斐もありそうだ。

とりあえず「大牧とんねる」の扁額が掲げられた坑口から洞門に入り、急な左カーブで90度近く進路を変えると、正面に洞門とは異なるオレンジ色の空間が見えてきた。

出口まで見通す事が出来ないそれは、全長1330mを誇る大牧トンネルである。

そして旧道の分岐は、その本当の坑口の直前にあった。

一応自動車でもここを曲がって、旧道のある“外”へ出る事までは出来るし、禁止もされていない。

ただ、後続車がいたら追突されそうで怖ろしい。

いよいよ、旧道探索が始まる。

初っ端から、これである。

遠目に見た時から予感はしていたが、やはり旧道は完全に廃道化しているようだ。

地形図に描かれていなかった時点で、十中八九分かっていたともいえる。

問題は、その状況如何である。

まず、自転車についてはこの時点で持ち込みを辞退させて頂くことにした。

無事に探索が終わってトンネルの反対側に脱出出来たら、トンネルを歩いて回収しに来れば済むことだ。

多分、この状況の廃道を自転車を持って無理やり突破するより、結果的には短時間で攻略出来ると判断した。

(一番やってはいけないのは、ダラダラと途中まで自転車を持ち込み、回収にまで手こずる羽目になることだ)

早速の道の見失いっぷりに驚かされるも、崩れ落ちた上に突き固められた土砂の山の根本、本来の路面があった辺りに目をやれば、ちゃんとその痕跡を見て取ることが出来た。

見覚えがあるギザギザの構造物は、明らかに路肩の駒止めである。

間違いなく、ここに小さな暗渠を渡る道路が通っていたのである。

これに小さく励まされ、いざ単身、先へ進む。

この先想定される旧道

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054528056293

メモ