三遠南信自動車道

三遠南信自動車道

[1] 三遠南信自動車道 (さんえんなんしんじどうしゃどう)

35.2341437820658 137.898459434509

Webページ

[2] 三遠南信自動車道 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%A0%E5%8D%97%E4%BF%A1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E9%81%93

三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)は、長野県飯田市の中央自動車道・飯田山本インターチェンジ (IC) から愛知県を経由して静岡県浜松市北区の新東名高速道路・浜松いなさジャンクション (JCT) に至る、総延長約100kmの高規格幹線道路である。 国道474号の自動車専用道路(国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路))に指定されている。

[3] 隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道), , http://yamaiga.com/tunnel/kusagi/main.html

草木(くさぎ)トンネルとは、おそらく日本中でここにしかない、

高速道路から一般道路へと転落したトンネルである。

レポートのタイトルにある「三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)」は、その名の通り、三(三河)・遠(遠江)・南信(南信濃)の各地方を結ぶ、我が国の高速道路のひとつである。

今回紹介する草木トンネルとその前後の道は、この三遠南信自動車道の旧道である。

高速道路の旧道といえば、【道路レポート:中央自動車道旧道】もそうだったが、それと大きく異なっているのは、こちらには現道が今のところ存在しないという点だ。

にもかかわらず旧道があることを不思議に思われるかも知れないが、草木トンネルとその前後の道は三遠南信自動車道として建設されたが、その後の計画の変更によって、一般道路に格下げされたのである。

そして、新たな「三遠南信自動車道」はと言えば、まだ完成していない。

現道はないが、旧道だけが存在している。一般道路として。

しかもそこはちゃんと、誰でも一目見れば、「普通じゃない」と分かる姿になっている。

計画の変更から時間が経つにつれ、カムフラージュは進んでいるが、まだまだ完全に臭いは消えていない。

今回は、序。

どこにそんな道があるのかという話しから、はじめる。

2011/3/3 【地図は後ほど】

今回の旅は、しばらく車で行く。

写真の交差点は、静岡県浜松市の北部に位置する天竜区水窪町奥領家(てんりゅうくみさくぼちょうおくりょうけ)の国道152号上にある。

少し前(平成17年)までは水窪町という独立した行政の役場所在地だったところであり、今も景色自体は当時からほとんど変わっていないと思う。

そして、国道152号といえば、“酷道”の世界ではとみに有名な道だが、この道を南(終点:浜松市)から北(起点:長野県上田市)へ向けてひたすら走っていくと、この水窪町から次の長野県飯田市南信濃(平成17年までは南信濃村)にかけてが最初の酷道区間…自動車交通不能区間となっている。

峠の名で言った方が通りが良いかもしれない。青崩(あおくずれ)峠である。

← 地図で見る現在地はここ。

国道152号を浜松から出発すると、旧天竜市二俣、旧龍山村瀬尻、旧佐久間町大井などを経て、旧水窪町奥領家にやってくる。(これらは全て現在の浜松市内)

ここまでの距離はおおよそ60km

[9] 浜松・佐久間Atti-koti:橋崩落の説明会に70人。, , http://puppu.hamazo.tv/e5930270.html

国道473号の原田橋が崩落した問題で、 13日夜、 橋の西側にあたる浦川地区の住民を対象に説明会が開かれた。

喫緊の問題だった仮設道路が12日から開通したこともあってか、 会場には空席もあった。 説明会への出席者は約70人。 橋のメインケ-ブルが破断して全面通行止めになっていた3年前の5月の説明会では、 会場に入りきれない人が通路にまであふれたのだが。

市職員から、 橋右岸の土砂崩落の発生状況や現時点での見通し、 仮設道路の運用方法、 消防・救急の対応方法などについて説明が。

仮設道路は雨期の出水に備えて今後補強していくことや、 う回路として 「林道佐久間線」 (和山間から戸口) の整備を進めているとのこと。 新橋の建設については、 「白紙の状態から考えさせてほしい」 と回答があった。

≪主な質疑≫

増水に対する仮設道路の補強方法は

う回路の整備を (林道佐久間線、 市道浦川半場線の神妻・半場間)

片側交互通行による車両待機場所の民家への影響について(川合側)

仮設道路は 「仮設橋」 であるべき

三遠南信道の天竜川に架ける橋を一般国道と併用すれば、橋は1本ですむ ⇒ 関連記事

国・県・市は安全な道路を造るため、 縦割り組織を超えた対応を

安全で安心して暮らせる環境の確保を

過疎に拍車をかける状況を憂う

説明会は、14日、佐久間地区でも開かれる。

[10] 道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間, , http://yamaiga.com/road/r256_kami/main5.html

この机上調査で解明したい、国道256号の “地形図に描かれていない区間” に関する最大の「謎」は、

並行する県道があるのに、廃道状態の国道が放置されているのはなぜか?

道路界広しといえども、なかなか見られない不自然な現状に対して、納得出来る理由を見出そうというのが、この机上調査の最終目的である。

道路に関する謎を解き明かすセオリーは、来歴を調べることだ。

道の現状を見ただけでは分からないことは多い。現に私も現地探索だけでは上記の謎の答えを導き出せなかった。

まずは、今回探索した道がどのような経緯で誕生したのかという来歴を探ることから始めよう。

なお、今回私が探索したのは、伊那山脈を越えて伊那谷と遠山谷という2つの生活圏を結ぶ歴史的な峠道である 小川路峠 の一部だ。

本稿では小川路峠や秋葉街道についての一般的解説はほぼ省略したが、 小川路峠は近世に秋葉街道として大いに発展し、近代以降も引き続き地方交通の主流となるべく改良を目論まれたものの、車道化が難しい険阻な地形に邪魔されて思うようにならなかった“苦闘の峠道”である ――というくらいの大まかな認識で大丈夫なように書いたつもりだ。

第1章: 旧版地形図には描かれていた “地形図に描かれていない国道”

�@ 地理院地図(現在)

�A 昭和26(1951)年

�B 明治44(1911)年

まずはいつものように、旧版地形図のチェックから。

ここに掲載した地理院地図、昭和26(1951)年版、明治44(1911)年版からなる3世代の地形図を見比べてみると、 “地形図に描かれていない国道”の正体は、明治以前から存在していた古道だったことがはっきり分かる。

明治と昭和のどちらの地形図でも、道は「府縣道」であることを示す太い二重線で描かれており、かつ「荷車が通れない=車道ではない」ことを示す片破線になっている。また、途中の2kmごとに水準点の記号が描かれており、険しい山道でありながら幹線道路として重視されていたことが伺える。

もっともこれについては、現地探索中に石垣や道形を前にさんざん「古道」とか「近代車道」と言っているので、予想通りである。

どう見てもあれは近年の国道指定時に急ごしらえで作られた道ではなく、古くからあった道だった。この国道に限らず、当サイトがこれまで紹介してきた多くの不通国道や不通県道が古道を路線に指定

[12] 国道152号線の未開通区間を歩いた - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/140530164258_4.htm

さて、引き続き国道152号線を歩こう。

青崩峠の古道から続く国道152号線は落石が酷く、木の葉もこんもり積もっている。酷道というレベルを越えて、もはや廃道の趣きである。

[13] 国土交通省 中部地方整備局 飯田国道事務所, , http://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/seibi/sanen/aokuzure.html

長野・静岡・愛知の県境を越えて新たな連携を促進するため整備を進めている三遠南信自動車道の中でも、県境の扉を開ける青崩峠道路は、通行不能となっている国道152号の代替路としても大きな期待を寄せられています。

現在、静岡県側の浜松市天竜区水窪町内の草木トンネル区間2.2kmを暫定供用しています。

[14] 出かけよう!北遠へ-ふるさと散歩道: 青崩峠トンネル着工へ 三遠南信道の静岡・長野県境 13年度にも, , http://yama-machi.beblog.jp/sakumab/2012/12/13-8e47.html

三遠南信自動車道の一部として浜松市天竜区水窪町と長野県飯田市(旧南信濃村)を結ぶ青崩峠道路計画で、国土交通省中部地方整備局は、早ければ2013年度にも県境のトンネル掘削に着手する。事業化から30年を経て“本丸”の工事にこぎ着けようとしている形だが、開通のめどは依然立っていない。

飯田国道事務所によると、長野県側では11年度に工事用進入路の開設に着手。静岡県側では来年1月から「本線工事」に入り、国道152号からトンネル出入り口までの740メートル間で既存道路を拡張したり、橋の基礎部分を造ったりする。

さらにトンネル本体の着工に向けて地質などを確かめるため、調査坑の工事費用を13年度予算案に盛り込みたい考えだ。

青崩峠道路は、県境の青崩峠(1,082メートル)の152号不通区間解消を目的に1983(昭和58)年に事業化、87年に三遠南信道の一部に位置づけられた。公共事業費の縮減を求められる中、国交省は計画延長13.1キロのうち、トンネル部分4.9キロを含む5.9キロを「当面整備区間」として、480億円を投じて片側1車線の自動車専用道路を優先的に整備する方針を打ち出した。

現状でも152号と平行する市道に迂回すれば県境を越えられるが、この市道は狭く曲がりくねっている上、冬季は積雪や凍結もある。浜松市道路課の担当者は「トンネルは計画の肝の部分。完成すれば長野県側との行き来が大幅に改善される」と早期完成の必要性を強調している。

青崩峠道路計画をめぐっては、国が94年に水窪町の青崩峠東側に草木トンネル(1,311メートル)を開通させた後、ルートを見直して草木トンネルの活用を撤回。結局、自動車専用道路として180億円を投じた草木トンネルを一般道路に格下げした経緯がある。

峠付近は中央構造線が南北に走り、断層活動による破砕帯などで東側は地盤が弱く、西側は相対的に強いとされる。国交省はこうした問題を草木トンネル開通後に明らかにし、地元住民らを交えた「懇談会」などでルートを協議。05年に西側を通る現行計画をまとめた。

国交省によると、青崩峠道路ができれば浜松市と旧信濃村の間の所要時間は約40分短縮されるといい、災害対策や地域活性化の面でも「効果が高く合理的な計画」と強調。ただ、水窪町で20年前より4割以上減るなど県境部の中山間地人口がしぼむ中、1日2,700台という計画交通量の適否など

[15] 国道152号未開通(不通)区間 青崩峠 第一回, , http://pcitorn-nitikaku.sakura.ne.jp/aokuzure1.html

国道152号はを結ぶ長野県上田市と、静岡県浜松市を結ぶ国道であるが、険しい山岳地帯を縦断するルートをとっており途中、2ヶ所、地蔵峠と青崩峠の未開通区間が存在する。

今回は長野〜静岡県境に位置する青崩峠を訪れるつもりである。

標高1082mの青崩峠は、長野県側からであれば兵越林道、草木トンネルの迂回ルートへの分岐を過ぎたのち、車道終点から登山道を経て到達できるという。

車利用であれば、峠まで到達できても当然戻ってこなくてはならないのだが、そこは自転車の利を生かし静岡県側への通り抜けを目指したい。

2010年1月中旬

今回の探索の出発点は、前回レポした田本駅だがこの飯田線温田駅周辺で既に13時近くになっており17時には暗くなってしまうこの時期であることも重なり、既に苦しい状況である。

例年雪は少ない南信地方であるが、標高の低いこの辺りでも日蔭には残雪があり、この先の状況は予断を許さない。

12時57分に温田駅に到着。

長い飯田線のなかでも無人駅の多いこの辺りだが、泰阜村の中心部で特急伊那路も停車するこの駅はしっかりと駅員がいる…と思ったが、どうやらこの温田駅も無人なようだ。

しかし外にクーラーの室外機がある所からみて、完全に無人というわけではなく保線係員の詰所などがあるのかもしれない。

飯田線と並走する県道1号から、真新しい十方峡隧道を抜け、国道418号へ入る。

隣にある旧隧道は旧飯田線の隧道を転用し、信号機による片側相互通行が行われていたという(新)十方峡隧道の前後はバイパス工事が完成し、広々とした歩道付き2車線が確保されているが、その先は旧来のままの狭い所も随所にある。(マウスオーバーで別の日撮影した旧十方峡隧道平岡側を表示します)

[17] 南信濃と天龍村を結ぶ新清水トンネルの工事安全祈願祭開く « ミナミシンシュウ.jp, , http://minamishinshu.jp/news/local/%E5%8D%97%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%A8%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E6%9D%91%E3%82%92%E7%B5%90%E3%81%B6%E6%96%B0%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%B7%A5%E4%BA%8B%E5%AE%89%E5%85%A8.html

飯田市南信濃と天龍村を結ぶ国道418号線の新清水トンネルの工事安全祈願祭が19日、現地であった。関係者ら約70人が出席し、無事故・無災害を誓って着工。トンネルと現道を結ぶ橋梁の整備を順次進め、2013年の供用開始を目指す。

新清水トンネルは、延長326・0メートル、全幅員7・5メートル。計画中の新清水橋と直結させ、遠山川に沿ってカーブを重ねる狭あいな現道に変わり、両市村間を結ぶ。

トンネル部は、09年度国補正道路改良工事として、総工費約6億円で県が発注。来年3月の完成を目指し、土圧を利用するNATM工法で掘削する。

式典では神事を執り行い、無事故を祈願した。

飯田建事所の城之内高志所長は「南部地域と三遠南信自動車道を結ぶ大切な道路。地域の方々が安心して通行できるトンネルにしたい」とあいさつ。地元代表の大平巖・天龍村長は「地元にとっては命の道で、改良促進は悲願。三遠南信自動車道に直結することで、今後の発展に寄与してくれるものと信じている」と期待を寄せていた。

[18] 草木トンネル (道路) - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E6%9C%A8%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB_%28%E9%81%93%E8%B7%AF%29

草木トンネル(くさぎトンネル)は静岡県浜松市天竜区水窪町にある延長1,311mのトンネル。1992年竣工、1994年開通。トンネルの線形は逆S字の形をしている。

当初は三遠南信自動車道(国道474号)の一部として供用された。しかし供用後の1997年に、草木トンネルから兵越峠の下を通るルートは地盤が脆弱なことが判明した。そのため2008年までに同自動車道の計画が、水窪から地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルートに変更されることになり、その結果草木トンネルは、同自動車道のルートから外されることとなった。そのため、2008年から2009年にかけて草木トンネルをそれまでの高規格構造(1種3級)から歩道を付した一般道路(3種3級)に格下げする工事が行われ、制限速度が60km/hから50km/hに、案内標識も緑地のものから青地のものに付け替えられた。

一般道路となった草木トンネルは、国道152号から不通区間(青崩峠)を迂回する兵越林道へのバイパス機能や、地域の生活道路として活用されることとなる。

関連項目[編集]

青崩峠道路

国道152号

青崩峠

兵越峠

外部リンク[編集]

青崩峠道路懇談会への報告 国土交通省 浜松河川国道事務所・飯田国道事務所 2005年12月[1]

草木トンネルのレポート 2011年3月3日[2] トンネル内外の写真付きレポート

草木トンネルのレポート 2011年10月4日公開[3] 計画の変更について詳しく考察している。

座標: 北緯35度14分13秒 東経137度54分30秒 / 北緯35.236825163424度 東経137.90823644448度

[19] 綱引きで国境を決める飯田市と浜松市が仲良しすぎる - デイリーポータルZ:@nifty, , http://portal.nifty.com/kiji/141106165557_2.htm

綱引き会場の横には、各地域の物産品や、きのこ汁の販売などが行われており、そちらを見物しているうちに、綱引き大会の開会式が始まってしまった。

開会式では、浜松、飯田両市の商工会議所の会長があいさつを行う。

そのあいさつによると、この「峠の国盗り綱引き合戦」は、もちろん合戦という体はとっているものの、三遠南信地域(三河(豊橋)、遠江(浜松)、南信濃(飯田市))の交流を深め、そして、青崩峠で未開通となっている国道の早期改良、そして三遠南信自動車道の完成を願ったイベントであるらしい。

昔の人が、お祭りで無病息災や子孫繁栄などを願ったように、現代は高速道路早期実現を祭りで願う。峠の国盗り綱引き合戦は、国道や高速道路の整備を祈念するためのお祭りなのである。

[20] 道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間, , http://yamaiga.com/road/r256_kami/main.html

国道256号は、岐阜県岐阜市を起点に、長野県飯田市に至る、実延長約221kmの一般国道であるが、最新の「道路統計年報2017」によると、この路線には長野県内に 全長12.3kmの 【自動車交通不能区間】 供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。 があることになっている。

酷道ファンにはよく知られた事実だが、飯田市内にある小川路峠は現在も自動車が通れない。これが上記した自動車交通不能区間の正体である。

ついでに小川路峠の説明を、『角川日本地名辞典 長野県』に行ってもらおう。

小川路峠 (おがわじとうげ)

飯田市と下伊那郡上村との境にある峠。標高1,494m。飯田の町と静岡県の秋葉神社とを結ぶ秋葉街道が,小川路峠・青崩峠を越えて通じ,江戸期から秋葉参りや善光寺参りの人々でにぎわった。伊那谷から遠山郷への最短ルートで,明治10年頃から峠道の改修が進み,牛馬などによる物資の流通も盛んになった。しかし上下5里(約20km)の難路で五里峠とも呼ばれ,遠山郷へ赴任する教員や警察官が職をやめたくなることから辞職峠の異名をとるほどであった。大正12年,下伊那郡喬木(たかぎ)村の小川と上村の程野の間に竜東索道が設けられ,昭和7年,現在のJR飯田線が平岡まで開通してから,峠の交通量は減少。現在,国道152号になってはいるが,峠は通行不能。同43年,喬木村と上村の上町とを結ぶ赤石林道が開通した。同62年,長大トンネルで越える新国道の工事が始められた。

上記内容は少し古いのでいくらか更新すると、「現在国道152号になっている」は、国道256号に変わっている(平成5(1993)年から)し、「喬木村と上村の上町を結ぶ赤石林道」は、長野県道251号になっている。そして、「長大トンネルで越える新国道の工事が始められた」も、国道474号でもある自動車専用道路「三遠南信自動車道」上の矢筈トンネル(平成6(1994)年開通)として結実している。あと、上村という村名も、平成17(2005)年に飯田市と合併したことで消えて、現在は飯田市上村になっている。

標高1494m、全長20kmもの険しい峠道であった、未だに自動車の通えぬ小川路峠。

ついに「山行が」も、全国有数の酷道である小川路峠に挑むのか! そんな風に期待して下さっ

履歴

[22] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/23438054523791661

メモ