紅毛港保安堂

紅毛港保安堂

[1] 紅毛港保安堂

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[2] 高雄紅毛港保安堂 落成前 2013.05.01撮影, , http://www.youtube.com/watch?v=qB4-Hs-7ZkE

臺灣機車旅遊 2013 台湾ツーリング http://blogs.yahoo.co.jp/ymh3xw1991/61916447.html

高雄紅毛港保安堂 落成前 2013.05.01撮影

[3] 高雄 紅毛港保安堂 乗組員の心と共に祀られた軍艦|たまねこ@元気になれる台湾きままに歩こう!!, , http://ameblo.jp/tamanekosmile/entry-11599040615.html

たまねこ@元気になれる台湾きままに歩こう!!

旅は人生の縮図。限られた日程の中で喜怒哀楽を味わいまた、日常へ戻ってゆく…。 終えたときの感慨に浸れる時間が好きでまた出かけたくなるんです。 人生を終えるときもそうありたいと、思いつくままに書き綴りたいと思います。 どうぞ、よろしくお願いします。

MRT紅線草衙駅で降りてタクシーに飛び乗る。行き先の名前と住所を見せて拙い中国語で一言「」想像していたとおり、運転手さんの顔色がくもる。インターネットで調べたその住所は、以前の場所から移転した為、新しいものになっていました。アバウトにしか場所を把握していなかったのですが、この運転手さんの頭の中も同じ模様…。取り敢えず車は走り出しました。 車窓に見えるのは倉庫と新しく区画整理されたらしい大地、時折建てられたばかりの住宅街…。果たしてこんなところに目的とする場所はあるのかな…。途中で振り向いた運転手さんが、分からない…といった表情で僕を見つめる。 台湾の街の住所は、実は結構分かりやすい。どこの通りにも名前がついていて、それを元に住所が決められている。例えば中山路1號とあれば、まず通り(ここでは中山路)を探し、次にどの建物にもついている住所板を見て番地を確認。そこから前後左右に番地を見ていくと大抵たどり着ける。よくタクシーでホテルへ向かう時も、ホテル名より住所を伝えた方が、運転手さんの理解も早いのです。 さて、今回の目的地の住所は、六成里國慶七街132號…。周りを見渡すと標識に國慶七街の文字が。そう遠くはなさそう…。運転手さんに取り敢えずあっちへって指差して、ノロノロ運転でキョロキョロしながら2人で探す。暫くしてえーっと、あっ!あった、あった!停めて!!大きな二つの廟に囲まれて、こじんまりとした感じの『保安堂』にたどり着きました。

1946年に網にかかった頭蓋骨を漁民らが丁重に弔い、慰霊の為に海衆廟という霊廟に祭りました。その後豊漁が続いたので、これをご利益と考えた人々によって、1953年に新たに保安堂が建立されます。 1968年に蘇現という漁民の枕元で、あの頭蓋骨の主が自分・帝国海軍38号哨戒艇艦長であること、できれば部下と共に弔って欲しいとのことを語ったという。そこで、その話を聞いた漁民たちが集まり、帝国海軍の軍艦模型を製造して奉納されたのが、こちらの『にっぽんぐんかん』↓

[4] 台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養+(1/2ページ) - MSN産経ニュース, , http://sankei.jp.msn.com/world/news/140110/chn14011007390000-n1.htm

日本の「軍艦」などを祭っている台湾南部・高雄市の道教霊廟(れいびょう)「紅毛港保安堂」の新堂が完成し、仮堂から神像や神艦を遷座する落慶祭がこのほど行われた。 高雄は日本統治時代、海軍と軍港の街として知られた。同堂によると、終戦直後、漁師が漁網にかかった頭蓋骨を地元の廟に祭って慰霊したところ、大漁が続いたため、1953年に保安堂を建立。その後、頭蓋骨が「日本海軍38号哨戒艇の艇長」を名乗って漁師の夢枕に立ち、「部下を日本へ連れて帰れなかったのが残念」と語ったと伝えられている。そこで漁師有志が90年ごろ、「魂だけでも帰れるように」と、「日本の軍艦」の模型を作り神艦「38にっぽんぐんかん」として奉納、追悼供養したという。 港に面した旧堂は再開発で2007年に移転を迫られ、堂管理委員会では神艦などを仮堂に遷座し、08年から3500万台湾元(約1億2200万円)を投じて新堂を建設。うち100万元(約350万円)は邦人有志の寄付という。

[6] 【日本人が知らない日本】「海軍さんの街」に2隻の“日本軍艦” 台湾・高雄 +(3/4ページ) - MSN産経ニュース, , http://sankei.jp.msn.com/world/news/130127/chn13012712010002-n3.htm

ところで高雄の街には、もうひとつ日本の「軍艦」関連施設が存在する。 同市郊外の霊廟(れいびょう)「鳳山保安堂」に祭られている手作りの日本海軍艦艇の模型「にっぽんぐんかん」(日本軍艦)がそれだ。 堂守らによると、終戦翌年、出漁の際に漁網にかかった頭がい骨を地元漁民らが水難者慰霊のための霊廟「海衆廟」に祭ったところ、大漁が続いたため、53年に保安堂を建立。 その後、頭がい骨が「戦死した帝国海軍38号哨戒艇の艇長、大田」を名乗って漁民の夢枕に立ち「部下とともに日本に帰りたい」と語ったため、90年ごろから漁民有志らが全長3メートル近い日本の軍艦の模型製造にとりかかり、奉納して追悼供養したという。 哨戒艇の多くは旧式化した駆逐艦で、やはり日本海軍でいう「軍艦」にはあたらないが、奉納された模型「にっぽんぐんかん」(「か」は片仮名のカに点が打たれている)はどうみても軽巡洋艦級の迫力。当時存在しなかったミサイル風の兵装も施され、艦橋の艇長以下、素朴な兵員らの人形も配置されている。 由来が示すように、元来このお堂は高雄港に面した漁師町にあったが、再開発のため2007年、郊外に移転を余儀なくされた。現在、新たなお堂が2014年の完成を目指して建設中で、「ぐんかん」は新堂隣の仮堂に祭られている。

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933417234

メモ

[9] 関連: bidi

[8] 台湾に安倍元首相の等身大銅像 24日に除幕式 - 産経ニュース, SANKEI DIGITAL INC., , https://www.sankei.com/article/20220923-5BRRJWOAUZL5ZBODRE6A45YBXM/

[10] 台湾で神様になった日本の海軍大尉、実の息子が参拝 : Taiwan Today, Ministry of Foreign Affairs, Republic of China (Taiwan), https://jp.taiwantoday.tw/pics.php?unit=7187&post=44433&fbclid=IwAR2eBv9CcC8f1G3ko43tLXYTaSUkn5FUYJuqxF5kmVMBTK0wpzNjlA4JiVM_aem_AeIB6I9HPFxmcLCvuTLzSe18JmLDAODC5_W_mYcR5TRvrfU7VrkpYraNV7oEVFn8NQM