素波里ダム

素波里ダム

[1] 素波里ダム

40.33343196 140.22264707

Webページ

[3] 素波里ダム散歩, , http://www.youtube.com/watch?v=e4HI3DhZV7g

2012/10/4撮影。

秋田県山本郡藤里町粕毛にある素波里ダムを散策。

想像以上に深い渓谷に圧倒されました。

[4] 二ツ井営林署(藤琴粕毛線) - 秋田営林局 - 失われた鉄道 - 秋田各駅停車の旅, , http://www7a.biglobe.ne.jp/~akitetu/lost/l_sinrin/futatui_kasuke/index.html

二ツ井営林署管内で藤琴線と並び幹線の地位にあったのがこの粕毛線です。

粕毛川の東側に沿って敷設されており、並行する県道322号線とは異なるルートを通っていたこともあり、トンネルや橋脚などの遺構が残されています。

しかし、昭和45年に竣工した素波里ダムによって軌道跡は消滅しており、付近の地形も大きく変わっています。

ちなみに粕毛線は、藤琴線が昭和33年の水害で全滅した後も存続していましたが、昭和38年7月25日に秋田沖で発達した低気圧の影響による豪雨で粕毛川が氾濫し、壊滅的被害を受けたため廃止となったものですが、この災害を契機に建設が推進されたのが素波里ダムです。

路線概要

[5] 廃線レポート, , http://yamaiga.com/rail/kasugeutikawa/

今回は、またも林鉄探訪にお付き合い願おう。

紹介するのは、正式名称「藤琴粕毛内川線」という、大層長い名前の、林鉄である。

秋田県山本郡藤里町の北部、世界遺産登録以来とみに露出度の上がった白神山地、その懐深くに位置する全長3500m足らずの、小規模な支線だ。

規格的には森林鉄道2級であり、昭和8年竣工、昭和38年廃止とされる(JTBキャンブックス刊『全国森林鉄道』巻末資料より)。

この路線を語る前に、藤里町の林鉄の全体像を理解して頂きたく、右の図を用意した。

なぜ面倒なことを要求するかと言えば、今年の山行がでは繰り返しこの地域が取り上げられる公算が高いので、今のうちに把握していただくと、後が楽だと思うのだ。

無論、内川支線単発でも、それなりに見所はあるが、まだまだ藤里の林鉄…ひいては、白神の林鉄は、めちゃくちゃ奥が深そうなのである。

前置きが長くなった。

藤里町は、昭和30年以前は藤琴村と粕毛村という、二つの村であった。

そして、この事実は今日の藤里村の地図を見ると、とてもよく理解できる。

町役場が置かれている藤琴集落付近で粕毛川と藤琴川が合流し、一本の藤琴川として、やや下流で米代川に注いでいる。

藤里町のほぼ全ての集落は、このいずれかの河川の傍に立地しており、特に多くの集落を点在させる粕毛川の河岸段丘は著名である。

元々は、この粕毛川流域が粕毛村といい、その景勝地素波里峡の一字が、現在の町名に引き継がれている。

同様に、藤琴川流域が藤琴村のかつての村域であった。

そして、この粕毛と藤琴の二つの流れは、村の交通網ともぴったり一致しており、大正末期から昭和中期にかけては上流域唯一の交通手段であった森林鉄道についても、例外ではなかった。

右の地図の通り、粕毛川沿いには、粕毛林鉄(正式名は「藤琴粕毛線」18.6km 大正8年〜昭和38年)が通り、藤琴川沿いには藤琴林鉄(14.7km 大正元年〜昭和38年)が、奥地にまで支線網を張り巡らせていた。

このように林鉄網が町内の主要な集落全てに行き渡っていた藤里町であったが、県内の他の地域に先駆けて、林鉄のトラック林道転換が行われている。

これは、昭和33年7月に米代川流域を襲った集中豪雨により、特に被害の大きかった藤里町内では、藤琴・粕毛の両幹線林鉄が復旧困難なまでに破壊された為である。

同時期

[6] 廃線レポート, , http://yamaiga.com/rail/kasugeutikawa/main.html

今回は、またも林鉄探訪にお付き合い願おう。

紹介するのは、正式名称「藤琴粕毛内川線」という、大層長い名前の、林鉄である。

秋田県山本郡藤里町の北部、世界遺産登録以来とみに露出度の上がった白神山地、その懐深くに位置する全長3500m足らずの、小規模な支線だ。

規格的には森林鉄道2級であり、昭和8年竣工、昭和38年廃止とされる(JTBキャンブックス刊『全国森林鉄道』巻末資料より)。

この路線を語る前に、藤里町の林鉄の全体像を理解して頂きたく、右の図を用意した。

なぜ面倒なことを要求するかと言えば、今年の山行がでは繰り返しこの地域が取り上げられる公算が高いので、今のうちに把握していただくと、後が楽だと思うのだ。

無論、内川支線単発でも、それなりに見所はあるが、まだまだ藤里の林鉄…ひいては、白神の林鉄は、めちゃくちゃ奥が深そうなのである。

前置きが長くなった。

藤里町は、昭和30年以前は藤琴村と粕毛村という、二つの村であった。

そして、この事実は今日の藤里村の地図を見ると、とてもよく理解できる。

町役場が置かれている藤琴集落付近で粕毛川と藤琴川が合流し、一本の藤琴川として、やや下流で米代川に注いでいる。

藤里町のほぼ全ての集落は、このいずれかの河川の傍に立地しており、特に多くの集落を点在させる粕毛川の河岸段丘は著名である。

元々は、この粕毛川流域が粕毛村といい、その景勝地素波里峡の一字が、現在の町名に引き継がれている。

同様に、藤琴川流域が藤琴村のかつての村域であった。

そして、この粕毛と藤琴の二つの流れは、村の交通網ともぴったり一致しており、大正末期から昭和中期にかけては上流域唯一の交通手段であった森林鉄道についても、例外ではなかった。

右の地図の通り、粕毛川沿いには、粕毛林鉄(正式名は「藤琴粕毛線」18.6km 大正8年〜昭和38年)が通り、藤琴川沿いには藤琴林鉄(14.7km 大正元年〜昭和38年)が、奥地にまで支線網を張り巡らせていた。

このように林鉄網が町内の主要な集落全てに行き渡っていた藤里町であったが、県内の他の地域に先駆けて、林鉄のトラック林道転換が行われている。

これは、昭和33年7月に米代川流域を襲った集中豪雨により、特に被害の大きかった藤里町内では、藤琴・粕毛の両幹線林鉄が復旧困難なまでに破壊された為である。

同時期

[9] 【廃線跡】藤琴森林軌道 粕毛支線 2号隧道 - あきた鉄廃逍遥記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/ogadenesuka/9072846.html

目的は積雪量を実感すること。残雪が多く探索にはまだ早いと頭ではわかってますが、自分の目で見ないと落ち着かないので…

[10] 廃線レポート 藤琴森林軌道 粕毛支線 第一次探索, , http://yamaiga.com/rail/kasuge/main1.html

このレポートは、山行が史上(2005年7月末時点)稀に見る 危険な踏破レポートである。

踏破に参加したのは、山行が合調隊から三名。

私と、パタリン氏、そして、くじ氏である。

踏破対象は、藤琴森林軌道粕毛線(以下「粕毛林鉄」と略)の素波里ダムによる水没を免れた上流部分である。

これまでも、粕毛林鉄については数回に分けて探索してきた(「藤琴の林鉄隧道群」「藤琴粕毛内川林鉄」)が、素波里ダムより上流の本線については、町の中心部から20km、最寄りの鉄道駅からは30km近くも離れていることから、容易に接近することが出来なかった。

また、単独で探索するには余りにも山深い場所であり、そこに長大な林鉄跡が存在するであろう事は分かっていても、接近しがたい秘所であったのだ。

詳細な踏査計画範囲は、右の地図を見ていただこう。

この粕毛林鉄は、『JTB刊 全国森林鉄道』によれば、大正6年開通、全長は18.6kmとある。

この全長を元に、起点である藤琴から終点の位置を予想する事が出来る。

想定される終点は、右の地図の「A区間」の北の端。すなわち、東又沢と粕毛川の出会い付近である。

ここは、林鉄が廃止された後に代替新設された林道の終点にも近く、大変納得できる位置と言える。

また、地形図にもこの「A区間」は歩道として描かれており、実在した林鉄跡とほぼ断定できる。

だが、歴代のどの地形図にも載らず、記録されている全長をも上回る、幻の延伸区間についても、かねてから噂があった。

私が、「山行が」を通じて得たとある山釣り師の情報によれば、東又沢合流点のさら上流の本流にも、軌道跡らしき痕跡があるというのだ。

ただ、その情報は古く、具体的に軌道跡であった確証もないとのこと。

地図中に「B区間」として仮定したのが、未知の延伸部分である。

果たして、人跡稀な粕毛川最上流部に踏み込む、森林軌道跡は実在したのか。

いま、山行がが挑む!

清流の軌道跡

探索とは思えぬ軽装で車外をうろつくくじ氏。

これは、よく合調隊で目撃される一シーンである。

この探索では、実際の踏査に入る前に、面倒な事前準備があった。

それは、探索の起点と終点それぞれの近くに、予め車をスタンバイさせておくことである。

確実に軌道跡があると思われる(前図のA区間)のは5.5kmほどの区間であるが、これに加え

[11] 元祖〜白神郷〜藤里峡を歩く! - ヨッチャン日記 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/yoshida4600tem/44355457.html

ダムの湖底に沈んだ”大開集落(15軒)の記念碑”を発見した! 比内(現大舘市比内町)の浅利家の落ち武者集落らしい!

[12] ミニレポ第175回 藤琴森林軌道粕毛支線 第3号隧道(仮称), , http://yamaiga.com/koneta/koneta_175.html

【広域図(マピオン)】/【粕毛林鉄関連レポ一覧】

かつて秋田県を代表する木材の集散地であった二ツ井(現:能代市二ツ井町)から北へ、藤琴川やその支流に沿って白神山地の奥深くへ伸びていたのが、秋田営林局の藤琴森林軌道とその支線たちであった。

その最大の支線は、藤琴(藤里町藤琴)で本線から分かれ、粕毛(かすげ)川沿いを遡行していた粕毛支線であり、その全長は20kmに達した。

粕毛支線の景観は、大きく2つの区間に分けられる。

田園と集落を縫って走る下流区間(藤琴〜素波里ダム)と、厳然たる山岳地帯・素波里峡に挑む上流区間である。

今回取り上げるのは、このうちの下流区間で発見された1本の隧道である。

この区間の探索は平成16年にも行っており、その際に1〜3号(いずれも仮称)の隧道を発見、レポート公開済みである。

だが、このときの探索は駆け足で、「隧道だけをピンポイントに狙った」ものだった。

それは旧版地形図に描かれていた隧道を狙ったに過ぎず、地形図に描かれなかった隧道があった場合は、取りこぼす定めであった。

今回改めて、前回調査しなかった部分を重点的に調べたところ、新たに1本の隧道が発見された。

そしてそれは案の定、いまだかつて地形図に描かれたことのない小さな隧道だった。

なお、私の中ではここ数年のあいだずっと、「秋田県に私の知らない廃隧道(水路や通洞を除く)はない」と自負し続けているが、またしても新たな隧道を発見してしまったことになる。 …もちろん嬉しいことだ!

詳しい地図をご覧頂こう。

今回発見された隧道は、地図上の「第3号隧道」である。

そこから1.5kmほど上流に「第4号隧道」があり、平成16年に発見した際にはそこを「第3号隧道」と呼称したが、今回より起点側に隧道が発見されたので、仮称も変更した。(なお、「2号隧道」と今回発見の「3号隧道」の間に他の隧道が無い事も今回確認したので、番号はもう動かない予定だ)

昭和28年版の地形図を見る(画像にカーソルオン)と、「第4号隧道」ははっきりと描かれている(小さな矢印)のだが、この「第3号隧道」は影も形もなく、発見が遅れる原因となった。

続いて現地レポートへ。

2012/5/8 14:17 【現在地】

ここは藤里町大字粕毛の根城岱集落。

集落は、粕毛川の左岸に形成された数段の河岸段丘の一番下段にあたる猫額の平地に

[14] 藤琴林鉄粕毛支線の隧道群 第1回, , http://yamaiga.com/tunnel/fujisato/main.html

藤里町は県内有数の長大森林軌道網を有していた県北の山間の町である。

その町域は、白神山地から流れ出る藤琴川と粕毛川の二つの清流に沿って南北に長いが、北部は無人の山間部である。

これら二河川に沿って築かれていた森林軌道は、町の中心部の藤琴で川と共に合流し一本となり、藤琴川が米代川に注ぐ二ツ井に運ばれていた。

そこには、県内の他の地域同様、生活と密着した林鉄の姿があったが、藤琴より上流の路線については、昭和33年に一帯と襲った水害により壊滅的な被害を受けたまま、復旧されることもなく、県内では比較的早く、トラック輸送に切り替えられた。

今回は、その藤琴地区から、粕毛線を素波里ダムまで辿ってみた。

ここもまた、水害によって廃止されたと言われる地域である。

鉄道も高速も通らず、県内の交通網からは殆ど一本の県道だけで結ばれているに等しい藤里町。

その中心地である藤琴には、今では懐かしい存在となった商店街が生き残り、個人商店が軒を連ねる通りがある。

軌道もまた、現在では車道や住宅地となって痕跡を失っているが、かつてはここで二つの幹線が分岐していた。

一つは、粕毛川沿いに白神核心部へと深く分け入る粕毛線(大正9年竣工18,500m)と、藤琴川沿いに太良峡を越え太良鉱山の奥へと進んだ藤琴線(大正元年竣工14,700m)である。

現在分岐点はアスファルトの下に消えている。

写真は、粕毛線に入ってすぐの道。

幾らも行かぬうち、前方に高い土の壁が見え始める。

崖の手前には、雪解けを集め深く青い藤琴川。

崖は、その流れが削り続ける、河岸段丘崖であった。

この様な段丘地形は、藤里町では広く見られる物であるが、これほどに切り立っているのは珍しい。

そして、余りにも唐突な場所に、軌道が通っていたという穴が、残されていた。

写真中央付近、…お分かりだろうか?

何とも微妙な姿である。

存在感があると言えばあるし、崖の一部のように振る舞っているようにも見える。

当然、往時はここを渡る橋が架けられていたはずだが、此岸は河川改良によって橋台を失い、対岸にもそれらしい痕跡は見えない。

まるで、隧道の断面を見ているような不思議な眺めである。

ただし、見ている分には楽しいが、いつものように内部探索をしようとなると、此方からのアプローチはどうあっても不可能だ。

対岸の裏

[17] 白神山地・藤里の林道〜ブナの森を行く〜/WOODLAND-TRAIL林道レポート076, , http://woodlandtrail.fc2web.com/repo/repo76.htm

高速道も延びたものですね。一部対向1車線ずつとはなりますが、秋田道はいまや南能代まで供用されています。時間があれば、各地方の情緒に触れられる下道のほうが楽しいのですが、今回は、遠方の割りに限られた時間内であったため、その出来る限りを今回楽しみたい主体の現地で使おうと、行き来は高速を使いました。

藤里町は、能代市中心部から東に20kmほどにある元二ツ井町(現在能代市に合併)から、県道317号線で入ったところにある、周囲をまったくの山で囲まれた国道も鉄道も通っていない町です。そればかりか、今回の訪問時期には、県道が青森県側で通行止めであったこともあって、実質的には二ツ井からの県道317号線が唯一の交通手段ともいえるところです。

現地入りした後は、早速、町役場で町の状況・名所案内などの資料収集を行います。平日の旅行では、いつもよくやっていることですが、今回はちょっと失敗です。私はカメラを持って歩き回りますが、ここ秋田県の藤里町と言えば、少し前の例の事件のあった地です。その後遺症が色濃く残っていて、カメラをぶらさげた見かけない顔が役場に入ってくるなり、何か異様な空気でこちらに注視。ああ、これはいかんと用を済ませてさっさと退散しました。

[18] 橋梁レポート 宝仙湖底の岩ノ目橋, , http://yamaiga.com/bridge/iwanome/main2.html

2012/11/7 16:13 【現在地】

このままでは、ヤバイ!!

二人はそう思った。

もともと気軽な探索のつもりだったため出発が遅かったのに、現地に着いてからはあれこれと目移りしてしまい、何一つやり遂げたことがない。

挙げ句の果てに小雨が強雨となり、夕暮れを誘い込んでいる。

もう中途半端なお前らには探索させてやらない。早く帰れ。そうダムがぼやいている気がしてきた。

ここへ来た大元の目的は、柴犬氏が発見した「岩ノ目橋」の確認である。

これだけは果たさければ、来たことさえ後悔する。

だが、ここまでの無計画な探索のために時間がもう残り少ないので、最後の手段を使って橋の捜索を敢行することとなった。その方法とは、岩ノ目沢の上流に架かる現在の岩ノ目橋(以後、これを「新橋」とする)から直接沢を下ることで、湖底にある旧「岩ノ目橋」(以後「旧橋」とする)を探すのである。

「岩ノ目橋」という銘板の画像しか旧橋の位置の手掛かりは無いが、この名前で岩ノ目沢以外の場所にあったらアウトだよな!! 頼むぞ!

林道から樹林と灌木の斜面を突き抜けて、強引に沢底へ下り立つ。

水はざぶざぶと音を立てながら、川幅一杯に勢いよく流れていた。

宝仙湖に注ぎ込む10を越す河川の中では、中くらいの規模の沢であろうか。

多くの沢が一斉にこの勢いで注水しているし、またダムから勢いよく放水している様子も見えないのに、水位があんなに低いのである。

おそらく、もの凄く巨大な浴槽に蛇口で水を注ごうとするのに似ているのだろう。

小さなダムなら、数日で満水になりそうな注水量があるのに。

ところで、現在の地形図ではこの辺りに沢沿いの道は描かれていないが、昭和28年の地形図には、左岸に沿って森林軌道が描かれている。

地形が緩やかなので、橋やトンネルがありそうでもないが、平場くらいは残っていたかも知れない。

もはや、これ以上の寄り道は探索の生死に関わるとばかり、私たちは普段見せないほど先を急いでいたので、目線を送っただけで路盤探しはしなかったが、一応報告しておく。

新橋から沢に降りた直後は、水際にも高木が生えていたが、それから50mも進むと森は高巻きに沢を見守るようになった。

そして代わりに沢の周囲は、灌木と草が生い茂る原野に置き換わった。

これは、玉川ダムの満水位よりも下に入ったことを意味していた。

履歴

[19] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933390942

メモ