二井山隧道

二井山隧道

[1] 二井山隧道

Webページ

[2] 二井山隧道(羽後交通横荘線跡), , http://www.youtube.com/watch?v=vqx8c7Hwalc

2012年4月、ヨッキれん氏・ミリンダ細田氏とともに鳥海町の直根(ひたね)および百宅(ももやけ)周辺をプチ探索した帰りに立ち寄った時の動画です。

うかつにもライトを持っておりませんで、入口付近で動画は終了となりますが、これだけでもこの隧道の重みというか、雰囲気は伝わるかと思います。

[3] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/niiyama_3.html

天井を覆いつくすコウモリの群れにビビリまくりながらも、辛うじてその目で崩落の現実を内部から確かめることに成功。

あとは、崩落現場となった老方側坑門を確認すれば、いつも重苦しい独特の空気を纏う二井山隧道との、一応の決着を見ることが出来よう。

崩壊した隧道を迂回し、坑門を目指した。

秋田県主要地方道48号線の唯一の不通区間である二井山隧道を迂回する道は大きく分けて2本あるが、二井山の集落内を通る道が一般的だ。

一方、最大限通行可能な部分を利用しようとすれば、このもう一本の迂回路となる。

標識も何もない畦道であり、通行量の少なさは疑いようも無い。

しかし、一応二井山隧道老片側坑門のすぐ傍から南へ別れ、畦道500mほどで、同隧道二井山側坑門に近い出羽グリーンロードに出られる。

写真に写る白いガードレールが、まさしく県道の不通区間の始まりであり、迂回路が間もなく県道に合流する部分だ。

合流した県道から、不通の隧道方向を見る。

かつては鉄道が通っていたのだが、ちゃんと車道幅(1車線だが)に土手は拡幅されており、畦道として辛うじて生きながらえる。

だが、その先の森で道は唐突に終わる。

ブツッと森へ消える道。

訪れる度に、時期にも拠るのだろうが、だんだんと森は深くなっている気がする。

もはや、この先に道があったことを確信できる者でなければ、入ろうなどとは決して考えないであろう。

この森っぷりは、はっきり言って、二井山側以上だ。

初っ端から大量の蜘蛛の巣に阻まれ萎えたが、ここまで来たら坑門はすぐそこ。

何も考えずただただ前進!

幸い深い森の中ほど下草の繁茂は免れており、奥へ進むほど道跡ははっきりとしている。

そして、僅か50mほどで、坑門のあるべき斜面が見えてきた。

遂に、対面のときが来た!

蜘蛛の巣を掻き分け、一歩一歩前進するたび、坑門の代わりに見えてくる茶色の斜面。

様子がおかしい。

鬱蒼とした森の中に、ひっそりと静かにたたずんでいた坑門は、

どうなってしまったというのか?!

あと20m。

視界を遮る枝葉の向こうに、遂に坑門の全体像が見えてきた。

そこにあった姿は、衝撃的の一言。

一昨年には、まだまだ健在であったはずの坑門は、無残にも天井が落ち、大量の土砂に埋もれている。

70年以上も昔のことだが、ここを本州縦断を夢見て走った小さ

[5] 白兎鉄子の号外【羽後交通・横荘線9-2】:『二兎丸日記』:So-net blog, , http://parco-dei-mostri.blog.so-net.ne.jp/ousyou09-2

みなしゃま 長らくのご無沙汰でした!! うさだ…もとい、白兎鉄子でごじゃいましゅ♪ ∩ ∩ 嗚呼、あんまり久しぶりなので名前間違えちゃったわ(>ω<、) でめさんにも気合かけられちゃうし、しっかりしなくちゃだわ!しゃて、随分前に廃トンネルで停車したままの“羽後交通・横荘線”のお話。 嗚呼、二兎丸がココを取材に訪れてから早いモノで2年が過ぎ、 その間には、平成20年岩手・宮城内陸地震がありました。 果たして、あの地震の後、二井山の廃トンネルはどうなっちゃったのか? 今回は先に進む前に、その姿を確かめて来ました。 前に書いた二井山トンネルはこちらをどうぞ(・ω・)ノ゛ 今回の記事が初めの方は、 どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、 とてもありがたく思いましゅ。 最初の記事>>>  『子供の疑問が大人になって…』では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡ ○お断り(UωU)○ 前の記事をご覧になられた方はご存知と思いますが、 この先、廃トンネルの画像が出てまいります。 けっして気持ちの良い画像ではございませんので、 「もぅ、ああいうのは見たくない」とお感じになられた方は、 この先はご遠慮いただけると助かります m(__)m   一年前の2008年6月14日朝、東北地方を強い地震が襲いました。 平成20年岩手・宮城内陸地震です。 二井山トンネルがあるこの地域でも震度5弱の揺れが記録されました。  被害が甚大だった岩手・宮城両県の被災地では、 未だ行方不明の方、 被災されて不便な生活を余儀なくされていらっしゃる方、 復旧にご尽力されていらっしゃる方が…。 沢山の方々にお見舞いを申し上げると共に、 一日も早い復旧・復興をお祈りいたします。      さて、もとより崩落していた二井山トンネル。 震度5弱という揺れで、もしかしたら完全崩壊?? もし帰れるものなら、確認しに行きたい。 当時東京にいて、前記事の二井山トンネルを書きながら、 二兎はそんなことを考えていました。前記事では車検の代車、ホンダ・クロスロードをお供に行きましたが、 今回も愛車2号が車検に入り、 ←つまり、前に取材してから二年も経っちゃったのさ… 代車にいただいたのはコチラ↓↓(>ω<)ノ ホンダ・イン

[6] 二井山隧道, , http://aoft291.pro.tok2.com/tunnel/niiyama.html

二井山隧道(横手市)

二井山隧道は昭和初期に竣工した旧横荘線の隧道で、廃線後は県道48号に指定された。

他にも横荘線が元となっている隧道が存在し、それらは現在も車道として現役であるが、

二井山隧道だけは不通で、前後の道もかなり荒れている。5月始め頃では容易に辿りつけたが、

夏から秋にかけては草が生い茂り、隧道に向かうのは困難だろう。

旧雄物川町から出羽グリーンロードを南に向かって走ると、このような場所が現れる。

廃線跡は、この突き当たりである。

現道から100mほど入った辺りに隧道がある。中間の広場までは大きな障害はないが、

その先は木が多くなり、ぬかるんでいる。

隧道手前の通行止めを示すガードレールはひしゃげている。

坑口の様子。重々しい雰囲気が漂う。この場所は現道からも近く、車が通ればその音が聞こえてくる。

内壁は白く変色しており、下の水溜りも白く濁っている。また崩落も多く見られる。

反対側は崩壊のため通り抜けできないというが、自分自身ではまだ確認していない。

[7] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/niiyama.html

この二井山隧道については、当コーナーでも既に一度紹介している。

よって、その背景などについては改めて紹介はしない。

再びここを採り上げる理由は一つ、遂に崩落してしまったという情報が、相互リンクリンク先の『踊る大雄勝線』サイト様よりもたらされたためだ。

第一報は、確か今年2003年の雪解けの頃であったように記憶している。

実際の状況をこの目で確かめる為に、遅まきながら、この度再探索を試みた。

これは、前回の調査から、約15ヶ月後の姿となる。

もうすっかり御馴染みになった、二井山集落側坑門への道の入り口である。

ここから坑門までは既に2度歩いており迷う心配は無いが、余りの密林ぶりに躊躇いを禁じえない。

思えば、前回2年前の探索は雪解け直後の4月だったし、初めての探索となった1996年は8月だったが、まだまだこれほど荒れてはいなかった様に思う。車の通行止め処置がとられてから余りたっていなかったのだろう。

この有様では、覚悟を決めて突入しかないな…。

背丈の高い叢に圧倒されはしたが、足元は平坦であり、背を低くして進めばそれほど苦労はしない。

50mほどで、叢が一旦切れて広場のようになっていた。

しかし、まだ坑門は見えておらず、ここからやや右よりの切通をなおも進まねばならない。

再び叢イン!

足元は坑門に近付くにつれ、徐々にウェットになってくる。

また、かつて自動車も通っていたことを忘れさせるほどに、水流によって地形が抉られてしまっていて、歩きづらい。

我慢しつつ、蜘蛛の巣をかき分けかき分け、奥へ一歩一歩進んでゆく。

次第に切通は深くなり、正面の山肌に立ち向かうように接近してゆく。

車道から100mほどの徒歩で、鬱蒼と茂る森の中にぽっかりと空いた坑門にたどり着く。

何度見ても、背筋に来る物がある。

当サイト掲示板のある常連さんは、この坑門の景色を神秘的と評していたが、今回の印象は正にその通りだ。

東南アジア系の密林の遺跡といった佇まい。

かつては車止めとして機能していた道を塞ぐ一本のガードレールも、すっかりと存在感が薄れてしまっている。

さらに接近だ。

坑門自体の様子は、一昨年と余り変わっていないように思う。

反対の坑門付近が崩落してしまったというが、まだ実感がわいてこない。

約200m先にあるべき出口の明かりは見えないが、

[8] 二井山隧道, , http://www.tunnelweb.jp/tohoku/05akita/ob-road/48niiyama.html

かつて、横手市と本荘市(現由利本荘市)を結ぼうとしていた羽後交通横荘線という鉄道があった。東側区間は少しずつ延長を重ねて山越え区間も乗り越え、1930年に東由利町老方までの区間が開通した。

また、西側も羽後本荘駅から前郷(現在の由利高原鉄道)までは開通していたものの国鉄に買収されるなど結局横手と本荘を結ぶことはなかった。戦後の台風災害によってこの山越え区間は運休となりそのまま廃止されてしまった。

その羽後交通横荘線の東側区間の山越え区間は廃線敷きがそのまま県道に転用され、当時の姿に近い形で往時を偲ぶことが出来る。

その第1のトンネル遺構がこの二井山トンネルで、台帳に残っていることから県道指定はまだ外れてはいないようだが、通行止めとなっており老方側の坑口は大崩落を起こして閉塞している。

石で巻かれた馬蹄形の鉄道トンネルで通行止めになってからかなりの時間が経っているようで、内部には剥がれ落ちた巻き石などが堆積している。

老方側坑口の崩落や内部の状況からもわかるようにかなりの老朽化で再度の閉塞につながるような崩落がいつ起こってもおかしくない。

[9] 隧道レポート(初期レポート集2), , http://yamaiga.com/tunnel/tunnel2.html

このレポートの最終回ないしは最後に更新した回の 「この位置」に、レポートへの採点欄とコメント欄を用意しています。 あなたの評価、感想、体験談などをぜひ教えてください。

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前回紹介した、旧横荘鉄道廃線後に残る隧道のうち、唯一不通となっている隧道である。

ここを2002年春、山チャリがてらの内部調査を行った。

今回は、そのレポートである。

今回の探索のスタートは、この二井山集落である。

この地にかつて二井山駅があったが、廃止されて40年近く経過した現在では、そのことを伝えるのは、一本の立て札のみだ。

二井山集落を離れると、すぐにのぼりが始まる。

ここから長い山間部の道なりとなる。

かつての鉄路は、現在の車道(県道48号線)に沿って存在したようだが、その痕跡は見つけられなかった。

結構な勾配であり、SLや気動車では、速度は出なかっただろうなー。

1Km程で、車道は、直角のカーブで進路が変化する。

一応青看があるが、正面に道の表示は無く、事情がわからない人には、何のための青看なのか分からないことだろう。

このときは雪が残り、なおさらそうだったのかもしれないが、もはや正面に道あるとは思えないほど、廃線跡は自然に還ってしまっていた。

しかし、わたしの目はごまかせないぞ(笑)。

この切り通しが、廃線跡である。

今回は雪も残り、目的の二井山隧道はすぐ近くであることから、チャリはここにおいて徒歩での探索となった。

5年位前に来た時には、「通行止め」の表示があったりしたはずだが、現在では、もはやそれらも消滅していた。

この先の隧道は完全に、忘れ去られようとしているようだ。

県道48号線でもあるのに…。

切り通しには雪がいっぱい。

しかし、この雪のおかげで、通行(徒歩)はたやすかった。

たぶん夏場は…、身の丈もあるほどの雑草に覆われているのでは…?

ついに、異様な穴が見えてきた。

廃線跡には、水がたまり、雪解けのこの時期、小川のようになっていた。

スニーカー履きの私は、この期に及んでぬれるのをためらい、なかなか進行するのに難儀した。

いよいよ、入り口に接近。

ガードレールが道をふさいでいたが、もはや要を成さなくなっていた。

よく見ると、入り口両脇の崖は石組みになっているのが認められた。

それでは、いざ、内部へ!!

[10] カーナビの嘘!?【羽後交通・横荘線9】:『二兎丸日記』:So-net blog, , http://parco-dei-mostri.blog.so-net.ne.jp/ousyou09

みなしゃま ごきげんよう 白兎鉄子でごじゃいましゅ♪東京は蒸し暑いでしゅ(-ω-;) クーラーを入れようか、でも今年の夏は電気代が上がると言うから、 今からつけちゃったら、この夏を乗り切れないのではないか?? 蒸れるがココはひとつ“我慢大会”かっっ!? …押し寄せる物価高に戦々恐々でしゅ(泣)しょれはしゃておいて… 本日も、“羽後交通・横荘線”のお話をいたしたいと思いましゅ。 嗚呼、二兎丸がココを取材に訪れてから早いモノで一年が過ぎてしまいました。 この他の記事もそうでしゅが、取材はいずれも2007年の6月にしたものでしゅ(・ω・)ノ 今回の記事が初めの方は、 どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、 とてもありがたく思いましゅ。 最初の記事>>>  『子供の疑問が大人になって…』では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡八沢木駅を出た横荘線は県道164号線(出羽グリーンロード)を南下。 1966(昭和41)年までの終着駅・二井山に辿り着きます。 前の記事で書いた、あの橋脚倒壊さえなければ、 もう少し長く終着駅を勤めたはずの駅でした。 再び旧雄物川町に入ったので、駅を示す標識が立っています。 とは言うものの、上下線を挟んだ島式ホームを持った駅を偲ばせるものは 何も残っていません。標識の立っている辺りが駅舎だったようです。今走ってきた道を振り返ってみると… 寂しい…、寂しすぎるぞ(泣)あまりに寂しいので、さっさと先に向かいましょう… 二井山駅から少し南に行った所。線路跡から少し外れた場所に、 路線バスの終点・二井山があります。 左側から続く白いガードレールが線路跡このカタチの車両は小田急バスから譲渡されたモノ…多分ね。 夏しか走れなさそうな低床バス。 最近は雪が少ないというものの、数多の地方交通の課題で 利用客減少の一途で走るほどに赤字を抱える昨今。 これからの車両調達はどうするのか、羽後交通?? ↑↑この件については、masaharuさんが下のコメント欄にご教示くださいました。 最近は千葉や埼玉の民間バス会社から車両を購入しているとのコトです。 (詳しくはコメント欄↓↓をご覧くださいね) masaharuさん ありがとうございましたm(__)mこの少し先で、県道48

[11] 廃線レポート 上信電鉄旧線 (上野鉄道) 隧道捜索編, , http://yamaiga.com/rail/kouzuke/main2.html

2014/4/2 12:10 【現在地】

明治30年の上野鉄道開業当初に開通し、大正13年の電化&改軌に伴って廃止されたという歴史を持つ、

名前の分からない旧煉瓦隧道へ、これから侵入を試みる。

上信電鉄の現在線に隣接する立地上、この坑口は多くの人の目に晒されているが、

内部についてはそうではあるまい。むしろ、線路端を歩かないと近付けない場所であるだけに、

内部については秘したる度合いが高いと感じられる。私の本当の役目はこっからだ!!

坑門は、山から落ちてきた土砂のため断面の半分程度を埋められていた。

元々軌間1067mmの普通鉄道用より遙かに小さな断面しか持たないナローゲージ(軌間762mm)用のトンネルであったため、入洞に際して特に天井の近さを実感した。

はじめて目にする洞内は、右に緩やかなカーブを描いていた。

その先に出口の明かりは見えず、代わりに崩土なのか意図的な埋め戻しなのか、ここからは判断が付かないが、30mほど奥に土色の壁が天井まで届いているのが見て取れた。

当然のように風も吹いてはおらず、涼しい春の外気に対しては隧道特有の冷気も感じられなかった。

しかし、“廃隧道”特有の土の匂いは、目をつぶっていてもここがどこであるか分かりそうなほど、濃厚であった。

入口から隧道の閉塞はほぼ確認出来たが、もちろん侵入する。

現在線と極めて近接しているという立地上、洞内に何らかの補強が施されている可能性を疑っていたが、上信鉄道はその必要がないと判断しているのだろう。

隧道の変状をモニタするような装置なども見られず、どこかの孤立した山中で見つかった廃隧道のように、完全放置で崩れるに任されていた。

奥の閉塞壁にばかり目が行くが、内壁の様子も観察しておきたい。

まず、内壁は全て煉瓦によるが、側壁とアーチ部で積み方が異なっていて、側壁は小口の段と長手の段が交互に現れるイギリス積み、アーチ部は長手積みによっている。この組合せは煉瓦隧道として一般的である。

しかし、ナローゲージ鉄道の煉瓦隧道というは結構珍しく、当サイトに登場したものでは、津軽森林鉄道(明治42年開業)の相の股隧道くらいしか前例がないのではないか。

また、煉瓦の壁が3色に見える点も印象的だ。

黒・白・赤の3色であり、今から90年近く前の廃止当時は、全体的にもっと黒かったものと思われる。

[12] 道路レポート 群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区, , http://yamaiga.com/road/gpr63_sudagai/main2.html

2010/8/24 12:31 【現在地】

推定全長330m、封鎖された須田貝隧道へ自転車による潜入を開始。

早速の水たまりに路盤状況を感じた私は、最初からヘッドライトと手持ちライトのWライトで進行することにした。

入って最初に壁の作りをチェック。

側壁と天井とで、明らかに風合いが異なっている。

垂直の側壁は場所打ちのコンクリートであろうが、天井の方はコンクリートを吹き付けているようだ。

しかしアーチの形は整っているので、漏水防止のための後補強だろうと考えられる。

続いて、10m先に見えるブルーシートへ進む。

どうやら隧道の南側坑口付近は、工事機材置き場として使われていたようだ。

と、これは“過去形”にしなければなるまい。

使用するたびに入口の鉄パイプのフェンスを解体しているワケでないならば。

見たところ廃棄処分されたわけではなく、あくまでも保管しているようだったが、このままでは隧道と共に誰からも忘れられてしまいそうだ。

しかも、ここに保管?されていたのは、機材だけではなかった。

子供が乗る車のおもちゃみたいな大きさの、四輪のタイヤを履いたトロッコを発見!

下にある自動車のタイヤと大きさを比較して欲しい。

本当におもちゃみたいなサイズだが、おもちゃにしては荷台が武骨過ぎる。

一体これで何を運んでいたのか、運べるのか気になるが、とりあえず…

これが1台目。

2台目は自転車。

いや、2台目だけじゃないぞ、これは。

現地では数えることはしなかったが、この写真には少なくとも5台の自転車が ごちゃってなってる。

見た感じ、タイヤの空気が抜けているくらいで、意外にシャンとしている感じだった。

まあ、シチュエーション的にそう新しいものではないと思うが。

なんと、まだあった。

3台目…じゃなくて、7台目の車輌は、バイク。

お馴染み、スーパーカブというやつだと思う。

全然バイクは詳しくないので、違っているかも知れないが。

こいつもタイヤはフニャフニャだが、事故車っぽい感じではない。

いったいこの闇に溶ける廃隧道には、

何台の車が放置されて居るんだ!

って、おまえ!

出た。

8台目は乗用車!

デカイよ。

流石にすごい存在感。

道をきっかり半分塞いでいる。

隧道の中で廃車体を見たのは初めてじゃないが、大抵それは短い隧道だった。

なんか、フロントガラス

履歴

[13] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933390480

メモ