山行が史上最難の踏破計画、和賀計画発動。
現在、第二指令へ移行。
和賀軽便鉄道の跡を追跡開始。
和賀軽便鉄道への挑戦
我々は、平和街道跡をほぼ計画通り踏破し、和賀仙人駅前に停めていたパタ氏の愛車へと戻った。
そして、心地の良い疲れを感じながら、次の目標である、和賀軽便鉄道跡の踏破を成すべく、行動を開始した。
まずは、平和街道の入り口に停めていたくじ氏の車を、湯田ダムサイト上に移動した。
この湯田ダムサイトは、軽便鉄道の踏破を完全に成功した場合の脱出点となる見込みの場所だ。
それから、パタ氏の車に全員乗って、後半戦のスタート地点である仙人鐵工所跡へと移動した。
ここは、かつては和賀鉱山群の鉱石を大量に集積精錬した大工業地帯で、いまも北上市の衛星工業地区として息を繋いでいる。
ここには軽便鉄道時代の仙人駅が置かれていたと言うが、更地化され痕跡はない。
その山際を、現在のJR北上線がトンネルで繋いでいる。
現在地は、右の図中の「スタート地点」で示した場所である。
この後の予定を説明しよう。
我々の計画では、完全に軌道跡に追従して進み、湯田ダムによって行く手を阻まれるまでの踏破を最終目標とする。
前半は、旧北上線の廃線跡と平行する藪道が想定される。
また、中盤以降は、この踏破の最難所と思われる、大断崖地帯だ。
そして、大荒沢隧道(仮名)を経て、終盤の山岳地帯へと入る。
その距離、約2km。
この間、和賀川右岸には一切の並走路が無く、迂回路、エスケープルートもない。
しいて言えば、断崖を降りて和賀川を渡渉することで、国道への脱出が可能かも知れないが、それはもはやエスケープと言うよりも、危険な賭けとなるだろう。
途中で挫折した場合は、基本的には延々と戻ることになると考えて良い。
各車両の移動後、昼食を野外で摂り、計画を再度全員で打ち合わせ。
探険開始時刻は11時半を回っていた。
この軽便鉄道踏破こそが、今回の最大の目標であった。
平和街道など、当初オマケのつもりだった。
偵察時にくじ氏にひどく流血させ、未だその全容明かされぬ和賀軽便鉄道跡。
最強の部隊で最良の結果を残すため、単独踏破の栄光を放りなげ、私は仲間に助力を仰いだのだ。
わたしとて、なにもせずこの道を困難と決めつけていたわけではない。
今年1月の隧道レポで紹介して