横須賀隧道

横須賀隧道

[1] 横須賀隧道

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[2] 隧道レポート 国道16号 横須賀隧道群, , http://yamaiga.com/tunnel/yokosuka/main.html

三浦半島レポのデビュー戦を、いかにも山行がらしい廃隧道「佐島隧道」で飾った(飾れてないか)私だが、むしろ私がこの三浦半島という地で一番行ってみたかったのは、これから紹介する隧道群だった。

そしてそれは期待通りに、私の心を並の廃隧道以上に掴んだ。

現役でありながら。

横須賀市史は「交通・運輸の推移」という節を設け、その中で「横須賀は地形上、トンネルが多く…」と概観している。

続けて「(市内のトンネルは)(昭和)60年4月1日現在64ヶ所を数えるが、30年には既に42ヶ所のトンネルが開削されていた。」と、古い隧道が多く存在することに触れている。

これから紹介する国道16号の隧道群は、奇しくも路線番号に等しい16本の隧道で構成されている。

そのうち最も古いものは船越隧道で、大正12年に生を受けて以来ずっと現役である。

また、15番目に開通した新浦郷隧道でさえ昭和36年竣工と決して新しくない。ただ一つ、最後に完成した新横須賀隧道のみが平成2年竣工と若いのみである。

そして現在はこの16本の隧道は全てが、上りもしくは下り線専用として利用されている。(右の写真は田浦隧道で典型的な光景)

そのことが、他の道路ではあまり見られない、この隧道群に特有な交通風景を作り出している。

右の地図をご覧頂きたい。

また、もしお手許に道路地図帳があるならば、是非見てみて欲しい。

余り大縮尺でない道路地図の方がギツギツさが伝ると思う。地図を描く人もここには頭を悩ませた筈だ。狭い範囲に太線で描くべき国道が輻輳せざるを得ない。

道は突如街中で二股に分かれたかと思うと、狂ったように隧道を連続させている。

実は、遠くない未来、これら隧道群が大規模な改修を受ける公算が高まっている。

そうなれば、この土木遺産級の隧道達はどうなってしまうのか。 …不安は大きい。

軍港都市として発展し、戦後は米軍基地と共に歩んできた横須賀。

その海(港と基地)と山に挟まれて南北に細長い都市部の中心を国道16号が縦断している。

これと平行して半島の中央丘陵地に自動車専用道路としての有料バイパス「横浜横須賀道路」が通っているが、距離の離れた両者のアクセス性に難があり、国道16号の混雑は一向に厳しい状態を脱していない。

写真は京急本線の汐入駅(横須賀中央駅の隣駅)付近より北方を望む。

前方のマンションが居並ぶ

[4] 隧道レポート 旧 田浦隧道 <前編> (横須賀市の明治隧道), , http://yamaiga.com/tunnel/yokosuka_meiji/main4.html

「旧 田浦隧道」はどこにあったのか。

「旧」と付くくらいだから、当然いまの「田浦隧道」の傍だろう。

そう思うのが普通である。

「旧 田浦隧道」についても、まずは周囲の道路環境の変化の中での盛衰を見ていきたい。

明治20年

近世の「浦賀道」は「国道45号」に指定されていたが、この道には田浦〜逸見間の十三峠を始め、田浦〜船越間や、船越〜追浜間にも急坂の山越えがあって、車両の通行は不可能だった。

長浦湾の奥に位置する船越地区では、江戸時代から埋め立てによる新田の開発が進められていた。この広大な平地に目を付けた海軍は土地の収用をし、明治19年に横須賀鎮守府の水雷営と水雷修理工場が建設され、船越周辺には多数の工員やその家族が住むようになった。

だが周辺の田浦や浦郷や追浜方面から船越に入るためには、急な山道を越えて歩くか、渡し船によらねばならなかった。

明治20年に横須賀市域最初の民生のトンネルとして誕生した「梅田隧道」は、追浜や浦郷地区の人々が通勤のために建設した。

明治26年

明治26年には、今度は田浦方面から船越へ入る「田浦隧道」が開通した。

明治36年に船越の軍工場は大幅に拡張され、海軍工廠造兵部となる。当時7000人が働き、最盛期となる昭和10年代には3万人が働いた。船越地区の田園風景は全く姿を消し、梅田隧道や田浦隧道も通勤路として大いに賑わった。

大正11年

横須賀に近代的な道路網が出現する少し以前、僅か10年ほどではあったが、この地域の交通路として大変重宝されたものがあった。それは海軍が設置した「横須賀水道」という軍用水道の水道路である。大正7年には田浦〜横須賀間の一般者の通行が許可され、11年には田浦〜逗子も許可された。

これらの隧道のうち当時の姿を留めているのは、逗子市との境に掘られた「盛福寺隧道」で、重厚な煉瓦造りとなっている(立入禁止)。

昭和4年

昭和4年当時の道路網である。

大正9年に国道31号へと改称された道は、いよいよ本格的な改良工事を施され、これが昭和3年までに完了した。

このとき相次いで建設された浦郷、船越、田浦、吾妻、長浦、吉浦、逸見の7本のトンネルのうち、大正12年完成の船越隧道は(従来の)田浦隧道に隣接して建設された。

また、昭和4年には船越〜逗子間の県道が改良工事を完成し、峠に沼間隧道が開通している。

これらの道の開通によ

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