吾妻神社

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[1] 吾妻神社

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[2] 隧道レポート 長浦田の浦隧道 (横須賀市の明治隧道), , http://yamaiga.com/tunnel/yokosuka_meiji/main3.html

前回の冒頭で説明したとおり、長浦田の浦隧道は、現在の長浦隧道の隣に存在した。

しかし、埋め戻されているという。

吉倉隧道は形を変えて生き続けていたが、それよりも19年遅い明治43年に開通したという長浦田の浦隧道は、正反対の末路を辿った。

そのせいか、この隧道についてはネット上にもほとんど情報が無く、市史にも隧道名の他は「明治43年竣工」としか記載されていない。

これから紹介するのは、横須賀市内の明治隧道の中で、最も謎多き隧道である。

本編と直接関係ないのだが、余り悔しかったのでここに報告。

長浦隧道に到着する直前、その手前の吉浦隧道の出口で、ちょっとした不注意から歩道と車道を隔てるガードレールにチャリのハンドルを接触させる事故を起こした。

比較的低速ではあったが、走行中に突然ハンドルが90°車道側に向いたのだから、チャリは当然急停止。咄嗟にガードレールを蹴ってバランスを取り戻し転倒は免れたものの、首から下げていた愛用のデジカメ「Lumix DMC-FX01」は慣性に従って前方のガードレール支柱に激しく激突。跳ね返って私の胸元に戻ってきた。

…私の初代Lumix君は、二度と沈胴式レンズが動かなくなり、電源は入るもののオシャカでした。

ちくしょ〜〜〜! こんな一般道でデジカメを逝かせちまうなんて…。

数分間放心状態に陥った後、サブカメラの「現場監督」をリュックから取り出しまして、意気消沈のまま長浦隧道へ向かったのでした…。

これ以上悲しい犠牲を出さないためにも、皆さんはちゃんと自転車から降りて通行してくださいねぇ。

というわけで、長浦隧道。

これはその横須賀側(南側)坑口である。

昭和3年に一連の隧道群の一つとして開通した、全長194.8mのコンクリートブロック積みのトンネルで、現在は国道16号の内回り線(横浜→横須賀方向)として利用されている。

そして、問題の「長浦田の浦隧道」は、この長浦隧道南口の傍らに小さな口を開けている。

もう見つかったでしょうか?

坑口の50mほど手前の左側に、車一台がギリギリ通れるスロープがある。

この奥まったところ、ちょうど長浦隧道坑門の肩の上といった場所に、小さな口が開いている。

これぞ、最近まで正体の掴めなかった問題児。長浦田の浦隧道の坑口である。

それにしても、さすがは明治43年生まれ。

煉瓦隧道だったか!

[3] 田浦をあるく「今も残る古道」|横須賀市, , http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2482/walk_taura/b10078.html

更新日:2010年11月1日

田浦をあるく「今も残る古道」

長浦~田の浦をむすぶ古道が、今も残っている。明治43年手掘りのトンネルができるまでは主要道路であったが、今では吾妻神社へ通じる唯一の山道となっている。

履歴

[4] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/22776855933250038

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