男鹿川

男鹿川

[1] 男鹿川

Webページ

[2] 道路レポート 塩那道路工事用道路, , http://yamaiga.com/road/ennakouji/main1.html

まだ眠りから覚めていない横川の集落を、自転車に乗って進んでいく。

既に目的地は見えており(!)、今までこんな分かり易い探索をしたことがあったろうかと自問自答をしておかしく思ったが、決して笑う事は出来なかった。

真剣だ。とても真剣だ。そして、怖い。

なお今回の計画では、塩那道路に辿りついたら、そのまま同じ道を辿って下山してくるという日帰りの予定である。

自分でも面白みがあまりないと思ったが、藪の濃い行程が想定される中で山中泊の装備を持ち歩くのは、時間と体力の面で大きな負担になるだろうという冷静な判断だった。

これはかつての 清水峠攻略作戦(1年目) の教訓でもあった。

なので、遅くとも昼前には塩那道路に辿りつき、昼過ぎには下山を開始して、夕方にはこの道を戻ってくるはずである。

だから今は通りすぎる風景が、いつも以上に愛おしく感じられた。

集落を外れると道はすぐ森の中に入るが、鋪装はされており、勾配も緩やかなので良いペースで漕ぎ進む。

このままずっと奥まで行けると楽なのだが、そうは行かないことも私は既に知っていた。

前述したように、この道を私は既に何度か辿ったことがあり、ある程度奥までは知っているのである。

そして、そんな私の記憶が間違いではないと教えるように、日光市が立てた通行禁止の予告看板が現れた。

そしてそれから間もなく現れた、

いつ見ても、いい気がしない看板たち。

この山域で行方不明や滑落事故が多発しているというのが、脅しなのかそうでないのかは分からないが、いつ来てもここは物々しいいんだよな…。

この看板たちが並んでいる場所は――

5:18 (出発から18分) 【現在地】

入口からわずか1.6kmの地点に設定された、

一般車 (者も) 通行止めゲート である。

私が時間を惜しみながらも、麓に車を置いて自転車で出発したのは、

この序盤に待ち受けているゲートの存在を知っていたからであった。

ちなみに、封鎖ゲートの脇にあるのはキャンプ場の管理棟。

静かにゲートの脇をすり抜け、特に起点を示す標識などは見られないものの、関東森林管理局宇都宮森林管理署が監理する 男鹿(おじか)山林道 へ進入する。

20分ほどの間にますます空が明るさを増しており、今にも太陽が顔を出しそうだ。

そして相変わらず、私の目指す塩那道路の走る稜線は、正面に聳えている。

挑戦

[7] 国道352号part5(福島県南会津町〜栃木県日光市), , http://route01.com/r352p5.html

早坂交差点を右折するとR121・R400と重複しながら会津鉄道のガードをくぐる。100番代国道との重複区間であるため交通量は少なくない。勾配はさほどきつくないが常に上りが続いているうえに登坂車線がないため前に大型トラックがいると少々厄介かもしれない。そんな時は早坂交差点と県境の山王トンネルの中間にある道の駅「たじま」で一休みするという手もある。もっとも週末は結構な混雑を見せている。

そしてこの区間最大の特徴はR121・R352・R400の3つ串刺しおにぎりの存在だろうか。新潟県内及び早坂交差点以西の福島県においては3つどころか2つ串刺しおにぎりですら立てられていなかったというのに。

[8] 道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) その7, , http://yamaiga.com/road/enna/main7.html

もう、言い飽きた。

そして、聞き飽きただろう。

でも、それでも言うしかない。

凄い景色だ、と。

道は、何と畏れ多いことに、唯一無二なる稜線を、そのまんま車道にしていた。

こんな激しい景色、見たことがない。

これまで私の見てきた、あらゆる道の常識を、覆す景色だ。

海抜1700mの奥羽山脈稜線上に、それをなぞるように車道がある。

一般の観光客達の無遠慮な往来を免れたことだけが、せめてもの救いのように思われる。

もう、作ってしまった道はどうしょうもないが、それでも、今後この道を廃道に戻そうというのは、なるほど理性的な判断のように思う。

私がどうしても来たかった道。

あなたも、リスクを背負ってでもどうしても来たいなら、どうぞご自身のお力で来て、この景色を見て欲しい。

これは、無責任な誘いではない。

挑発などでは毛頭無い。

ただ、どうしょうもなく、こんな道があったということを、伝えたい衝動に私は駆られるのだ。

こうしてレポートをしている傍から、私の心は、あの景色のただ中に、いまもいるのだ。

それほどに、衝撃的な、道の姿だった。

人間が、空を目指して建築し、神の怒りをかった「バベルの塔」。

これは、道路版「バベルの塔」だ。

東西に遮る物無くひらけたる稜線からの眺望。

それもそのはず、この場所は天然の展望台。

「大蛇尾展望台」の塩那看板が、半ば雪に押しつぶされながらも路傍にある。

写真は、東側黒磯市方向の景色。

左の高い山が大佐飛山、右の稜線は、塩那道路の辿ってきた尾根で、その奥の一際高いところが、小佐飛山である。

大佐飛と小佐飛に挟まれた谷が、大蛇尾沢だ。

その名の通り、大蛇の尾のように長く複雑に屈曲した沢筋が、方々の山から集まっている。

どこまで行っても、決して人の住む街など無いのではないか。

そう思わせる山深な景色だが、塩那道路の帰り道は、この方向にずっと続いている。

塩那道路の最高所だった鹿の又坂からは、すでに1.5kmほど来ている。

余りにも衝撃的かつエキサイティングな景色の連続に、またも路傍のカメラに撮影されたにも関わらず、気にならなかった。

道は、稜線の微妙なアップダウンに合わせて緩やかに上下しており、海抜は1700m程度を行ったり来たり。

どんなに愛した恋人との蜜月の日々にだって、いつか終わりがあるのと

[10] , , http://homepage2.nifty.com/Yukita-jj/102-yama_repo/y003-o_sabi_haitai/o_sabi_haitai.html

◇山登り◇

那須塩原市

大佐飛山 敗退

横川〜瓢箪峠(泊)〜名無山〜鞍部(往復)

2011年9月28-29日

uzura, 黒yasu & 爺

(時間は参考にしない事)

魑魅魍魎が集う粋妖怪で(無雪期の)大佐飛山登頂の計画が持ち上がったのは昨年の末.無雪期の「生きている山」へ行きたいと申し出たのは爺.快く山行計画引き受けてくれたのがuzura丼だ.但し彼の場合休みが水曜日という特殊環境の会社(笑).爺は平日休む事に問題ないが、他は参加したくても・・・と、黒ヤス丼が手を挙げた.「おいらは2−3日休んでも大丈夫」と、こちらは羨ましい管理職身分.

さて、uzura丼の計画だが、当然塩那道路を歩き瓢箪峠一泊・・・と、思ったら 横川から瓢箪峠へ抜ける と言う事だった.この辺り、情報は殆どない.最も無雪期の大佐飛山自体、ネット情報はごく僅か.昔はあった横川林道も間違いなく藪化している筈.困難を極めるだろうと思うこのルートをどうして選んだか聞いてみた.「同じ時間を歩くなら塩那道路より、こっちの藪を苦労した方が面白い」・・・これだから、” ヤブスキーuzura丼 ”と言われるのだ(爆)

身支度を整え**の脇を歩き白滝沢沿いの林道を歩き出した.2人の足元は何と渓流シューズに渓流スパッツだ.(爺は皮製登山靴に渓流スパッツ)

横川放牧場を過ぎ左岸林道は歩き易い.男鹿川から白滝沢沿いに林道を分岐しワサビ栽培畑を左に見ながら気分良く歩いていくとやがて白滝沢(上流)右支沢の横断点だが、橋が壊れている.2人は沢靴なので何の問題もないが、爺は登山靴だから沢は水量が多くやや徒渉は困難.そこで、朽ちかけた橋桁に足をかけ橋の上に生えている細い木をつかんで、よいしょと身体を持ち上げた.(掴んだ)木が根っこ毎抜けそうになる.何とか落ちずに橋の上に這い上がるが、やや冷や汗だった.

林道は尚も上に延びているが、ここからショートカット作戦が始まる.つづら折りで付けられている道(既になくヤブ化)を横断しながら直登していくのだ.1150m付近の明瞭な尾根に取り付き一気に登っていく.笹は腰上だがまだ薄い.所々道形を見つけながらそれを横断し登るに従いヤブが密になりだしてくる.1400m付近まで登るとそれまで急だった斜面は緩くなるが笹藪は更に密度を増してきた.えらいこっちゃー・・・三人で代わる代わる先

履歴

[12] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926366864690

メモ