和田の岩門

和田の岩門

[1] 和田の岩門 (わだのせきもん) , 大東隧道

Webページ

[2] ミニレポ第209回 和田の岩門(せきもん), , http://yamaiga.com/koneta/koneta_209.html

【周辺図(マピオン)】

2015/7/25 16:30

先日、和歌山県の東海岸に面する太地町をウロウロしていると、県道に面して口を空ける小さな隧道を見つけた。

太地町は、紀伊半島の南東部、熊野灘にピョコンと突き出した太地半島にある、和歌山県下最小の面積を持つ小さな自治体。古式捕鯨発祥の地と言われ、現在でも捕鯨文化や捕鯨の歴史を活用した街づくりが行われている。黒潮の青い海と温暖な気候が魅力的な漁業と観光の町である。

場所は右図の通りで、地理院地図を限界まで拡大しても、隧道は描かれていない。

だが、隧道がある道自体はちゃんと描かれていて、「現在地」の地点から南に入る道が等高線を跨ぐ所にそれはある。

地図を見る限り、敢えて隧道を掘らなくても少しだけ東西に迂回すれば良さそうな地形なのだが、ここでどんな隧道が見つかったのか、さっそく写真をご覧頂こう。

これはまた、 かぁいい隧道 である。

手前に止まっている軽トラのお陰で、大きさが分かり易い。

高さは軽トラより少しあるくらいで、幅はその1.5倍くらいだろうか。

かなりの小型隧道であるが、掘られている山自体が凄くコンパクトなので、これ以上大きな断面にしようとすると、もう切り通しになってしまうだろう。

隧道は県道240号の脇に口を空けており、車だと少し気付きづらいが、附近はミニ公園的な整備がされていて、気軽に潜っても良さそうな雰囲気である。

特に交通規制もない。

では、私も行かせてもらいましょう。

凄い人口密度だ!!(笑)

1メートル四方辺りの人数が、日中の新宿大ガードの歩道くらいありそう。

でも、なんか嬉しくなる。

近年では等閑視されることが多いミニ隧道が、ここではこんなに活躍してる。

実はこの日はもの凄く気温が高く、海風が入り込んでくる隧道内の日影は恰好の涼み場所だった。

それで地域の人たちが何となく集まっているんだと思う。

みなさま私が会釈をしてカメラを向けても、全く動じる様子が無く寛いでいらっしゃった。

そして初見の私に嬉しかったのは、公園と一緒に整備されたらしい1枚の解説板の存在だった。

この隧道に興味を持って訪れる全ての人に役立つ情報なので、全文を以下に転載する。

岩 門 (せきもん)

古来、和田の岩屋とか和田の岩門(せきもん)と呼ばれていた。

紀伊続風土記には「和田の岩穴 村の端磯

[3] 和田の岩門:熊野の観光名所, , http://www.mikumano.net/meguri/wadanosekimon.html

自然にできた岩穴の向こうに集落

太地湾に面した県道240号線沿いにある岩穴。

風化作用によって自然にできた洞穴で、この向こうに集落があります。

解説板より。

岩門(せきもん)

古来、和田の岩屋とか岩門(せきもん)と呼ばれていた。

紀伊続風土記 には「和田の岩穴 村の端磯辺にあり。山を切抜きて門の形をなす。内に入れば村居に適せり。和田氏住居せし所といふ。」と記載されている。(和田氏とは、太地古式捕鯨の創始者のこと。)

和田氏は、この石門の内側に4、5千坪もある屋敷をもち、のちにここを和田の東屋敷と呼んだ。

太地教育委員会

[4] 和田の岩門について, , http://taiji.tt-s.org/sekimon/

ようこそ太地町NAVIへ! とある映画の影響で、追い込み漁やその周辺ばかりが有名になってしまった太地町ですが、その外側には古くから伝わる捕鯨文化と、その影響で独自に生まれ育まれてきた伝統や文化、そして古式捕鯨衰退以降に海外に移住した人たちや南氷洋や北極の海にまで鯨を追い求めた人たちも関わって、多くの人達によって作られた町があり、そこに今も住み続ける人たちの暮らしがあります。

このサイトがきっかけになって、スクリーンの外側の景色に触れてくださる方がひとりでも多くなると嬉しいです。

このサイトについて

[5] 和田家の岩門 - みどころ紀州路 - きのくに風景讃歌, , http://www.kinokuni-sanka.jp/modules/landscape/index.php?lid=1220

�太地町内から灯明崎方面に向かう道路沿いに、山を穿った通路があります。今はコンクリートで巻かれ、町内から海岸に出る通路のひとつとして使われていますが、古来この石門は「和田の岩門(せきもん)」と呼ばれ、太地の古式捕鯨の祖、和田家の通用門でした。『紀伊続風土記』には「和田の岩穴 村の端磯辺にあり 山を切り抜きて門の形をなす」と書かれています。この内側に約5000坪にもなる広大な屋敷があったそうです。(2012.3.6)

[6] ☆ 岩門 ☆|癒しの和歌山, , http://ameblo.jp/968-910/entry-10683051288.html

12:55ごろ

「石門」バス停です。

ここにもクジラの絵が描かれています。(‐^▽^‐)

バス停のそばに岩門(せきもん)があります。

麻巳子たちは 燈明崎

からこの岩門を見にやってきました。

坂を下った漁港そばで、国道240号線沿いになのですぐ分かりました。

岩門(せきもん)の説明板がありました。

『古来、和田の岩屋とか和田の岩門(せきもん)と呼ばれていた。

紀伊風土続風土記には「和田の岩穴 村の端磯辺にあり。山を切抜きて門の形をなす。内に入れば村居に適せり。和田氏住居せし所といふ。」

と記載されている。(和田氏とは、太地古式捕鯨の創始者のこと。)

和田氏は、この石門の内側に4,5千坪もある屋敷をもち、のちにここを和田の東屋敷と呼んだ。』

鎌倉時代の武将・朝比奈三郎が北條氏に鎌倉を追われた後、この岩門の内側に居を構えたと伝えられているそうです。

また、和田家の通用口だったようですが、現在は屋敷は無く、この向こうには住宅が密集していました。

岩門は素彫りのトンネルかと思ったら、風化作用で自然にできた岩穴なんですって。\(゜□゜)/

内部は崩落防止のために、今はコンクリートで補強されています。

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404085881697

メモ