概要 [ 編集 ]
伝統産業として全国的に有名な 結城紬 (国の 重要無形文化財 )がある。結城紬は、 2010年 11月16日 に ユネスコ の 無形文化遺産 に登録された [1] 。
鎌倉時代 から 城下町 の基礎を形成しており、 茨城県 はもとより関東でも有数の古い城下町である。
市内に25という数多くの 寺院 があり、市内北部の市街地に集中している。また、分院も含めると相当数にのぼる。
神社 も数多く、 蔵 つくりの街並みと相まって歴史深さを感じさせる街である。
地理 [ 編集 ]
東経139度54分、北緯36度19分に位置する。 関東平野 に位置し比較的平坦な土地である。 旧国名では下総の最北端に属する。
河川: 鬼怒川 、 田川
隣接している自治体 [ 編集 ]
東は鬼怒川を挟み 筑西市 と、南は 古河市 、 八千代町 と隣接し、北と西は 栃木県 小山市 に接する。
北側・西側を 栃木県 との県境に囲まれ、茨城県の他市町村とは 鬼怒川 によって隔てられているため、文化(方言等)・経済・交通面で 栃木県 との関わりが深い。特に隣接する 小山市 とは 小山都市圏 に属する密接な関わりがある。南北の交通網が茨城県の他市町村と明らかに異なる 古河市 ほどではないが、 県南 ( つくば市 など)・県北( 日立市 など)・鹿行地域( 鹿嶋市 など)との繋がりは希薄となっている。
歴史 [ 編集 ]
奈良時代 頃から ふさ ( 麻 の転)や ゆう (木綿。 楮 の繊維)の産地として総の国の ゆうき と呼ばれていた。
旧国名では 下総 に属する。
奈良時代より 結城紬 の特産地として発展してきた。
鎌倉時代 には 小山氏 から分かれた 結城朝光 が館を構え、以後、鎌倉以来の名家 結城氏 (関八家)の 城下町 となる。
元禄 13年( 1700年 )、 水野家 宗家筋の 水野勝長 が 能登 より1万8,000石で封じられ、以後 明治維新 まで 結城藩 水野氏10代がこの地を治めた。なお、現在は結城市の一部となっている山川村には江戸時代初期に 山川藩 があり、結城藩とは同族別家の水野氏が治めていた。この縁で、 天保の改革 で知られる 水野忠邦 の墓所がここにある。
明治時代 になり茨城県に編入。
年表 [ 編集 ]
1889年 (明治22年)
1月16日 - 水戸鉄道 (現