パレスガーデン成田

パレスガーデン成田

[1] パレスガーデン成田

Webページ

[2] パレスガーデン成田 : URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-, , http://blog.livedoor.jp/yuwave2009/archives/7359705.html

パレスガーデン成田は、圏央道下総インターからもほど近い距離にある、旧下総町の中ではおそらくもっとも遅い時期に造成された分譲地である。前回紹介した芙蓉邸街は80年代後半、ちょうどバブル期にあたる時期に造成が行われているが、パレスガーデン成田はそれよりもさらに数年遅い。成田市役所の都市計画課に、パレスガーデン成田の開発申請の概要の記録が残されており、それを見ると、東京の神田に本社を置く中堅ゼネコンの鉄建建設のグループ会社「テッケン興産」が平成3年(1991年)12月に開発許可の確認を受け、平成6年(1994年)12月に造成が完了している。 この開発時期を見てもお分かりの通り、パレスガーデン成田は地価高騰・人件費高騰の絶頂期に開発申請が出され、そしてバブルの崩壊の進行ともに造成工事が進められ、住宅市場が一気に冷え込んだ時代に分譲が開始されたものだ。宅地開発としてはこれ以上あり得ないくらい最悪のタイミングであり、今となってはテッケン興産の黒歴史そのものと言ってもよく、もちろん造成完了後もしばらく住宅建設はまったく進まなかった。2005年の航空写真でも、家屋が一棟も確認できないことから、70年代に分譲され、80年代後半まで利用されなかった北総の分譲地の定番のパターンを、ここは20年遅れで再現していたことになる。立地の選定に関しても過去の教訓を生かした形跡がひとかけらも見られず、言っては何だが、これは会社の信頼性をも根幹から揺るがすほどの先見性のなさではなかろうか。まあ、歴史の結末を知る後の時代の人間が過去の過ちをあれこれ腐すのは容易いことなのだけれども。

2005年に撮影されたパレスガーデン成田の上空写真。住宅は全く見当たらない(国土地理院航空写真より引用)。 ところが現実にはパレスガーデン成田の歴史はそこで結末を迎えたわけではなく、どういう訳かここ10年ほどの間にポツポツと住宅建設が進んでいる。ただでさえ限界ニュータウンの聖地とも言える旧下総町エリアにおいて、このご時世になってまた新たな限界ニュータウンが誕生してしまうとは、吸収合併した成田市にとっても頭の痛い問題であろうが、2005年と言えば、廃止バス路線の代替交通手段として成田市のコミュニティバスが運行を開始した年であり(翌2006年の3月には下総町そのものが消滅している)、つまり住宅建設が進んだ時期には既にこの辺

履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567414852700

メモ