丸山ダム

丸山ダム

[1] 丸山ダム

Webページ

[2] 二股トンネル徹底調査!〜完結編〜 2/2, , http://www.geocities.jp/teamkokudo/kokudo/R418/futamata-2.htm

近くの集落・・・といっても、二股トンネル付近には人が住んでいないため、かなり遠くにはなるのだが、住民を見つけて早速調査を開始した。

畑で作業をしていたお婆さんを皮切りに、「どなたか知ってそうな人を教えてください。」と、色んな家や店を回った。

遠方からお嫁に来た人もいて、意外と戦時中からずっとこの地に住み続けている人は少なく、調査は難航した。

しかし、粘り強く多くの人たちから話を伺っているうちに、徐々に真実を知る人に近づいていった。

そして、ついに「二股トンネルは昔、内部で二つに分岐していた」という証言が得られた。

その証言によると、二股トンネルは、やはり丸山ダムの建設に絡んでいたようで、ダムの資材を運搬するルートになっていた。

その関係で、トンネル内部で二股に分岐させる必要があったようだ。

「今と違って小さいトンネルで、男の人なんかは背を屈めないと歩けなかった」との証言も、現実と矛盾しない。

なぜ分岐していたのか、理由ははっきりとはしなかったが、木曽川の水運と、この418号の陸運のハブとなる施設が、

ここ二股トンネルの直近にあったことと、関係があるようだ。

これで、一つの謎は解決したが、せっかくなので、さらに聞き込みを続けることにした。

さらに幾人かからお話を聞き、最終的には丸山ダムの建設に携わったという人にまで辿り着いた。

そして、ダム建設当時の作業環境や町の様子など、貴重な話を聞くことが出来た。

とても興味深い話ばかりだったが、丸山ダム及び二股トンネルについて、人柱説についても切り出してみた。

その方によると、ダムもトンネルも完成したのは戦後の話で、さすがに人柱なんて話は聞かなかった。

朝鮮人もたくさん働いていたが、終戦間際に強制連行を隠蔽するために虐殺したなんて話も聞いたことがない。

そんな事実があれば、少なからず噂が立つし、戦後も朝鮮人の労働者はたくさん働いていた。

[3] 賞味期限間近、酷道418号と丸山ダムに行ってきた - Togetter, , https://togetter.com/li/1133898

現在丸山ダムでは嵩上げ工事が行われており、完成するとダム湖は最大17m上昇します。そうなると丸山ダムや酷道418号の一部や付帯設備も水に没します。

数年のうちに完成する予定ですので今のうちに見に行きました。

[4] 分岐のあるトンネル 蘇水峡トンネル, , http://www.geocities.jp/p_road12/tunnel/tn_bun_sosuikyou.htm

岐阜県八百津町の丸山発電所横にあるトンネルです。名称がハッキリしないのですが、道路施設現状調査書に「ソスイキョウ」とあるのでここでは「蘇水峡トンネル」とします。

このトンネル元は丸山ダム建設時に資材運搬用として敷設されたダム工事専用鉄道のトンネルです。平成13年に廃止となった名鉄八百津線の八百津駅より丸山ダム付近までの全長4kmほどの路線で、戦時中の昭和18年に着工したものの戦局の悪化と終戦により一時工事は中止され、結局昭和27年に完成、ダム工事終了により昭和29年10月には廃止になっています。

八百津駅から途中の錦織までは電化され専用の電気機関車が貨物の牽引をしていましたが、錦織〜丸山ダムの区間は昭和28年7月に延長開通したもので非電化で7tディーゼル機関車が使われていたそうです。この蘇水峡トンネルは非電化の区間にあったトンネルです。

専用線跡地はほぼ全線に渡り県道358号線になっていて自動車で通行することが可能です。

[5] 森茂 六厩側: 林道・ダム・鉱山の勝手な記録, , http://netishim.seesaa.net/article/195100288.html

明るい時間の六厩川沿いの林道を行ってみます。 入口で工事が有って、結構待ちました。 もう9時20分です。 天気は悪いですが紅葉が綺麗です。 綺麗な道をどんどん進みます。 廃別荘地みたいな場所も通過します。 六厩川の流れです。 大蓑谷林道の分岐まで来ました。 こちらが大蓑谷林道の方。 ちゃんと看板が有ります。 例の南京錠。 もう番号も分かっていますが、今回はパス。 さらにどんどん進みます。 間もなく六厩赤谷林道との分岐に来ました。 こちらは本線側のゲート。 そしてこちらが六厩赤谷林道のゲートです。 「違反者の無い事を祈る」 なんだか素敵です。 大自然の中の渓流で釣りをする人に 悪い人は居ないと思います。 本線のゲートには例の南京錠ですから、ちょっと 車ごと失礼させて頂き、さらに進んでいきます。 ところどころに砂防の処置がされています。 この砂防、なみなみと水が一杯。 まだまだ道はとても良い状態です。 ここは六厩川二級林道へのT字路です。 明るい時間に来ると、見る物が多くて時間が かかる気がします。 こちらが六厩川二級林道方面。 夜中見るととても荒れているように見えましたが そうでもないようです。 これも今回は見送ってさらに本線を進みます。 まだまだ車で進むことが出来ます。 あんな場所に林道が見えています。 望遠で見てみます。 結構新しそうなコンクリートが見えます。 2009年12月9日の夜中にここでUターンした と思われる場所まで来ました。 先ほど山の上に見えていた林道の答えです。 ここに分岐が有りました。 大原谷林道と言うようです。 後ほど行ってみましょう。 ここからはいきなり、使用されていない感たっぷり の林道です。 でも4駆なら難なく進めます。 しかし、廃な雰囲気の結末はすぐにやって来ました。 道がごっそり無くなっている! 歩いてすら難しそうです。足をかける場所が無い。 ここから六厩川橋までは7kmくらいは有るでしょうか。 今の軽装備では私の立っている位置から一歩も前へ 進むことが出来ません。 六厩川橋を拝むにはそれなりの装備で来なければ ならないようです。 恨めしく六厩川の流れを見ながら元来た道を 戻ります。

[13] 【酷道ライド】旧国道418号線 - mot3のブログ, , http://mot3.hateblo.jp/entry/2017/02/28/230012

国道418号とは 、 福井県 大野市 を起点とし、 長野県 飯田市 を終点とする 一般国道 である。

現在は立派な代替道路が整備され廃道となっている八百津から恵那へと抜ける”黒瀬街道”は路面が荒れ果てており、その荒廃ぶりから一部 酷道 マニアからは ”キングオブ 酷道 ” と呼ばれ親しまれている。

日本三大 酷道 の一つとも…

国道として限りなく不名誉に近い称号を与えられ、有名心霊スポット”二股隧道”を有し、数多の物好きを楽しませてきたこの 区間 は 近い将来 ダム湖 に沈み、その役目を終えます。

消え行くこの道を自分の脚で見納めようと ロードバイク で走ってきました。

自宅から2時間程で丸山ダムへ到着、ここから潮南の分岐点まで ヒルクライム

恵那方面との分岐を右に曲がり、今度は山を下っていきます。

序盤はこんな感じ。美しいですね

さらに下って行くと廃道然とした路面が現れます。

舗装は剥がれ、砂利と落ち葉が散乱し放題のつづら折れの道、斜度は10%を軽く超えている…

しかもめちゃくちゃ長い

落車しなかったのが奇跡とも思える道に写真を撮る余裕などありませんでした。

何度も引き返そうと思いましたが登れる気がまったくしなかったので 下るしかなかったんです。

一部 区間 では砂利に流されるまま滑り降りてました。

わざわざ潮南まで登ってから下って旧道入りしたのはこの坂を登れる訳がないからです

どう考えても ロードバイク で通行する道ではありません。

憔悴しきった頃に旧国道に辿り着きました。

恵那側は巨大落石によって道を阻まれ、終着点の笠置ダムではフェンスによって通行阻止される為、写真右側の丸山ダム方面へ進みます。

舗装などありません

ぬかるみ、落ち葉に無数の石

小さな洗い越しまで

洗い越しとは、川に橋を架けずに道路と川が平面交差している構造のことである。

こちらは自然にできたものですが…

さて 酷道 走行の不安点として荒れ果てた路面によるパンクがあります

ただでさえ砂利道の中で、なかなか鋭利な石が上を向いているので路面を良く読んで慎重に進んでいきます

どう考えても ロードバイク で走る道ではありません

ボントレガーのタイヤ、R2は耐えられるのか

タイヤへの負担を減らす為、常に腰を浮かせて膝を軽く曲げ、人間サスペンションを駆使して進みます

自然に還りつつある景色と共に愛車を撮影し

[14] 国道418号 達原トンネル廃道 その1 – HETIMA DIARY, , http://www.hetima.net/blog/archives/8450

国道418号というと、岐阜県八百津町と恵那市の間にある丸山ダム湖沿いの区間が事実上の廃道区間となっており、道路・廃道愛好家では知らない人のいない存在です。

福井県大野市と長野県飯田市南信濃とを結ぶ全長243.3kmの路線には、丸山ダム湖沿いの「酷道」区間以外にも、国道157号との共用区間には有名な「落ちたら死ぬ!」看板が立てられていたり印象的な箇所が多いですが、それ以外の区間でも離合困難で狭隘な箇所が数多く存在しています。

岐阜県恵那市上矢作町から長野県平谷村を結ぶ区間にもそんな隘路が続いていますが、県境の程近く、岐阜県側最後の集落となる「海」集落の手前に、前後の区間とは不釣合いなほど高規格のトンネルが突如として現れます。これが「達原トンネル」です。

前後に狭隘な区間が続くところに突然高規格な橋梁や隧道が設けられている…といえばおおよそ想像がつくものと思いますが、この区間は災害復旧のために新設された区間です。

「道路情報」の電光掲示に、「通行注意 落石 上矢作町海~横道」と表示されることからも分かるとおり、現道区間でも落石などに遭遇する機会が稀ではありません。

2000(平成12)年9月11日から12日にかけて、東海地方はかつてない豪雨に襲われました。

愛知県名古屋市では2日間の合計降水量が567mmにも達し、名古屋市天白区や、西春日井郡西枇杷島町・新川町(いずれも現清須市)などでは広範囲にわたって床上浸水に見舞われました。

後に「東海豪雨」と命名されたこの災害は、被災地のみならず、全国的な交通や物流にも長期間にわたり影響を及ぼしました。

被害が愛知県下に集中していたためにあまり目を向けられることがありませんでしたが、岐阜県では矢作川流域の恵那郡上矢作町(現恵那市上矢作町)周辺において集中的にこの豪雨の影響を受けており、東海豪雨という一般的な名称とは別に、岐阜県ではこの災害を「 恵南豪雨 」と称しています(以下、本稿でも原則として恵南豪雨と表記します)。

テレビや新聞の報道では名古屋市周辺の被害状況に報道内容が集中していましたが、実際の被害としてはこの恵南地区もそれを凌ぐといってもよいほど甚大なものでした。

私はこの日、たまたま仕事で恵那市内のお客様を訪問していたのですが、今まで経験したことのないような降り方の雨にお客様が気を遣って下さり、予定を切り上げて

[15] 2011年04月23日 : 夢乃又夢, , http://blog.livedoor.jp/donburi01/archives/2011-04-23.html

険道352号と酷道418号の分岐点はすぐだった。「大西瑞 浪線」のキロポストが埋まっている。意外にも険道352号は最近整備されたような形跡があり(それでも道幅は登山道レベルしかないが)歩くのに支障はなかった。数分で五月橋にたどり着く。 桜の満開の時期にはもう遅いが、まだ多くの山桜のピンクが山に色づいていて美しい。かつて深沢峡に観光客が訪れていたころは、多くの人々が桜のピンクと赤い五月橋のコントラストに見入ったことだろう。 五月橋は現在バイクはおろか自転車すら入れないようガードされているが、橋の上に立ってみる。グレーチングの下には木曽川の流れが見える。何度見ても足がすくむ(泣)。橋から丸山ダム方面をよく見ると廃茶屋「いさまつ」がわずかに顔をのぞか せていた。2008年にはいさまつに少しお邪魔したが、こうしてまだ建物があることに少し安心する。 対岸には名もなき小さな滝も見える。貸しボート屋があった頃 はここに近づけたのかもしれない。   「瑞浪市史料集三 なつかしの写真集(瑞浪市民図書館刊)」には昭和28年、32年の五月橋の貴重な写真が載っているが、この写真の中で八百津側に小屋が建っているのが確認できる。また昭和32年の写真は、この小屋から川面まで踏み分け道が続いているのもわかる。小屋は貸しボート屋だろうか。現在はどこにこの小屋があったのか、川 面まで続く道がどこだったのかも判別できない。   五月橋を離れ、ここから恵那方面に向かって歩く。酷道418号は所々に頼りなげなデリネーターを擁しつつ、荒れた路面を呈している。本当に今更だが、この道が1983年頃まで国道として機能していたとは信じがたい。しかしながら車で通れないわけではなく、現に比較的最近と思われる車の轍が路面に刻まれていた。 木曽川対岸に広がる砂浜のような美しい砂地に見とれつつ、名もない小さな橋を2つ過ぎると八百津と恵那の境界線にある名場居川にさしか かってくる。険道352号の分岐点から徒歩20分ほどの地点だ。川にかかる立派な橋はなんとなく「名場居川橋」という名だと思い込んでいたが、恵那市の住宅地図によると「川平橋」と名づけられていた。川平橋の手前には、頑健なガードレールが何人の侵入も拒むように設置されていた。ガードレールの手前には軽トラが停められており、真新しい轍はこの軽トラのものであることがわかった。車の持

[16] 国道418号 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93418%E5%8F%B7

概要[編集]

国道157号重複区間の温見峠を皮切りに、尾並坂峠、平谷峠、売木峠(旧道)などの峠を越えていく線形をとっている。

岐阜県加茂郡八百津町南戸(みなと)の岐阜県道353号篠原八百津線分岐点から恵那市笠置町笠置ダム付近までは狭隘路となっているが、付近で事業中の新丸山ダム建設に伴い水没することから、北岸にバイパス道路(丸山バイパス)が建設中であり、一部区間は2010年3月に供用を開始した。途中の新旅足橋では川の水面まで200mという非常に高い場所に橋がかけられている[1][2]。

国道157号との重複区間である、本巣市根尾能郷の冬期閉鎖ゲート付近も狭隘路となっており、道路状況に対する注意喚起のため「落ちたら死ぬ!!」と書かれた看板が設置されている。ここから黒津までの区間は7年近く通行止めとなっていたが2012年10月、復旧工事が完了し通行可能となった。

要目[編集]

陸上距離:243.3km

起点:福井県大野市神明町(上神明交差点・国道157号重複、国道476号起点)

終点:長野県飯田市南信濃和田(国道152号交点)

指定区間:なし

歴史[編集]

1982年4月1日:一般国道418号(長野県飯田市 - 岐阜県本巣郡根尾村)として指定。長野県飯田市から下伊那郡売木村は国道151号と重複。

1993年4月1日:長野県下伊那郡南信濃村(現 飯田市) - 下伊那郡売木村、岐阜県本巣郡根尾村(現本巣市)から福井県大野市を編入して起終点の方向を入れ替え、福井県大野市から長野県下伊那郡南信濃村(現 飯田市)となる。

重複区間[編集]

福井県大野市神明町(上神明交差点) - 岐阜県本巣市根尾板所:国道157号

岐阜県関市栄町3丁目(栄町3交差点) - 同市平和通6丁目:国道248号

岐阜県加茂郡川辺町中川辺 - 同町石神(新山川橋北詰交差点):国道41号

岐阜県恵那市山岡町馬場山田 - 同市岩村町(裏山交差点):国道363号

恵那市岩村町(一色交差点) - 同市上矢作町:国道257号

長野県下伊那郡阿南町新野:国道151号

長期通行止め区間[編集]

岐阜県加茂郡八百津町(岐阜県道353号篠原八百津線分岐点)から恵那市(笠置ダム付近)までの約17.7kmは、本区間を管理する岐阜県可茂土木事務所と恵那土木事務所が通行を禁止している。この区間は丸山ダムの嵩上げ計画である新丸山ダムによ

[17] 二股トンネル徹底調査!1/2, , http://www.geocities.jp/teamkokudo/kokudo/R418/hutamata1.htm

二股トンネル徹底調査 1/2

2005年2月に単独で再調査した時のレポートです

酷道418号線沿いにある二股トンネル。ここには、色々な噂話があります。

たとえば・・・

1、戦時中に鹿島が在日朝鮮人を人柱として埋めた

2、戦時中に朝鮮人を強制労働させて手掘りでトンネルを完成させ、多くの犠牲者をトンネル内壁に塗りこんだ

3、二股トンネル付近で口の裂けた女性が目撃され、全国に「口裂け女」が広まった

4、昔は内部で二路に分岐していた

などです。しかし、どれ一つ信じるに値する根拠はなく、肯定も否定もできない状況です。

1と2は似たような内容で、二股トンネルが「朝鮮トンネル」の俗称で有名になった所以です。418号の木曾街道沿いには、戦時政策で満州に移り住んだ集落が多くあります。離村して開拓移民となった村民は、昭和20年の敗戦により筆舌に尽くしがたい苦痛を受け、半数以上が満州の野に散ったと言われています。こういった話が、「朝鮮トンネル」という名称を生み出した土壌になっている気がします。

昭和26年に丸山ダムが再着工され、それと同時に今のR418十日楽〜丸山間が整備されました。二股トンネルもこの区間にあります。トンネルの竣工は昭和31年になっていますが、ダムの完成時期を考えると、昭和26年頃にはトンネルの原型が出来ていたのではないでしょうか。当初、たわいの無い噂話だと思っていましたが、一応調べてみる必要がありそうです。

3「口裂け女」のいわゆる都市伝説は、1978年12月に岐阜県から広まったとの学説が有力視されています。発祥の地も、美濃加茂〜八百津の地域とされています。しかし、塾通いが過熱しはじめた時期で、親が子に聞かせた作り話だと言われています。また、口裂け女を目撃したのはタクシーの運転手とされており、二股トンネル付近でタクシーというのは、ちょっと考えにくいですね。

4のトンネル内で二つの道に分岐していたという説、近くの地名を調べても二股という地名はなく、トンネル名称から考えると、あながち嘘とも言い切れません。

まずは、4の確認のため、早速現地に向かいました。

[18] 国道418号笠置ダム〜丸山ダム区間(第四回), , http://pcitorn-nitikaku.sakura.ne.jp/418v4.html

岐 阜県東部を流れる木曽川にそった国道418号 笠置ダム〜丸山ダム区間 はどの道路地図にも国道を示す赤の実線でしっかりと書かれているにも関わらず、実際にはその大部分が車の走行がまったく不可能な事実上の廃道状態でありネット上ではきわめて有名である。

しかしそのレポートの多くは丸山ダム周辺の一般車も通行可能な区間(とはいえ一車線の断崖が続く道だが)を車でヒヤヒヤしながら通ったもので廃道区間を通り抜けたものは限られており、特に最近のものは少ないようだ。

今回はいわゆる「酷道区間」をレポートする。

さて、フェンスの向こうの完全封鎖区間を攻略した国道418号だが、ここからは「一応」車も通れる道に変わる。

しかし、どうもここまで一般車がフリーで入ってこれるという訳ではないようだ。

フェンスを過ぎるとダブルトラックが復活するが、中央と両側から緑の侵略を受けており、それ程頻繁に車両が通過する訳ではないようだ。

今までの廃道状態からは相当に改善されたが、ここが現役国道とは信じがたい事には変わりない。

未舗装の道を暫く行くと、簡易なゲートがあったが此処もまた一般車がフリーで入れる最終地点ではない。

今日は道の端に寄せてあったが、なにか作業が行われるのであろうか。

(追記)約1年後に再びこの場所を訪れた際もこのゲートはやる気のない感じで端に寄せてあったので、現実に封鎖が機能している訳ではないのかもしれない。

路肩に現れた「起点」。

そう、ここがかの有名な県道352号大西瑞浪線の起点である。

酷道から分岐する険道といった所だが、キロポストの向こうに道が見当たらないのは、単に廃道化したという言う訳ではなく、もともと車道として開通した歴史が無い為のようだ。

県道352号大西瑞浪線は、国道脇の急斜面を獣道レベルの道で下って行き、やがて木曽川の本流を渡るこの五月橋に到達する。

この五月橋を含む瑞浪市方面の全区間は非常に見どころ満載であり、実は踏破済みなのだがレポートはまたの機会に。

2010年12月 レポート公開しました

五月橋への分岐を過ぎても、国道418号は激狭のダートのままで、ガードレール等も無い。

この辺りは天気に関わらずいつもぬかるんでいるようだ。

恵那方面へ走り去る一台の軽自動車。

山仕事風のおじさんが二人乗車しており、この車は酷道マニアという訳では

[19] 県道352号大西瑞浪線と五月橋 後編, , http://pcitorn-nitikaku.sakura.ne.jp/352part2.html

岐阜県瑞浪市北部の県道65号恵那観御嵩線(旧中山道)から分岐する県道352号大西瑞浪線。地図で見ると木曽川を渡って 国道418号 と接する少し手前で途切れ、点線表記になっている。

その実態はいかに。

県道からいさまつの2階部分を見る。

前述のように少しネットで検索しただけで山程出てくるこのいさまつや遊覧船の事であるが、いつまで営業していたかや、現役時代の様子などは全く見えてこないのが実情である。

当然近隣住民もおらず、聞き込み調査もできない。

履歴

[20] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567390794575

メモ