粟島

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[1] 粟島

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[2] 相次ぐ木造船漂着 非常駐の粟島に警察官を派遣 新潟 | NHKニュース, , https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171221/k10011266641000.html?utm_int=news_contents_news-main_004

朝鮮半島から来たと見られる木造船の漂着が日本海沿岸で相次ぐなか新潟県警察本部は、警察官が常駐していない粟島での警戒にあたるため、21日から警察官を臨時に派遣しました。

第9管区海上保安本部によりますと、新潟県内では先月から今月にかけて、朝鮮半島から来たと見られる木造船の漂着が19件あり、粟島沖で漂流する船が目撃されたケースもありました。 これを受けて新潟県警察本部は、警察官が常駐していない粟島での警戒にあたるため、当面、警察官2人を交代で派遣することになりました。 21日は、村上市の村上警察署で出発式が行われたあと、2人の警察官はミニパトカーとともに岩船港から粟島に出発しました。 村上警察署の伊藤寿伸署長は、「通報や、パトロール中に木造船を発見したら、署や本部と連携して対応し、粟島の皆さんの安全と安心を守りたい」と話していました。 粟島に到着した警察官は、夏の間、臨時交番として使っている建物に荷物を運び、交番の看板を正面に立てかけていました。 地元の30代の女性は、「警察官が夏しかいなくて心配していました。船の漂着が相次いでいますが、警察官がいるというだけで心強いです」と話していました。

[3] 富山ライトレール富山港線 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E6%B8%AF%E7%B7%9A

富山港線 (とやまこうせん)は、 富山県 富山市 の 富山駅北駅 から 岩瀬浜駅 までを結ぶ 富山ライトレール の 軌道 ・ 鉄道 路線である。

2006年 ( 平成 18年) 2月28日 まで 西日本旅客鉄道 (JR西日本)が運営していた 鉄道路線 ( 地方交通線 )を 第三セクター 会社の富山ライトレールに移管し 路面電車 ( LRT ) 化した路線で、同年 4月29日 から富山ライトレールによる営業を開始した。路面電車が市中心部の 併用軌道 区間から 専用軌道 の鉄道区間へ直通する トラムトレイン に分類されるもので [1] 、JR 富山駅 の駅前から1.1kmを併用軌道で走行する。この路線を走る車両の愛称は「ポートラム」。

なお、この記事では、「富山ライトレール」が発行するIC 乗車カード 「 passca(パスカ) 」についても併せて述べる。

路線データ [ 編集 ]

富山ライトレール移管後 [ 編集 ]

路線距離( 営業キロ ):全長7.6km

富山駅北 - 奥田中学校前間 1.1km( 軌道事業 )

奥田中学校前 - 岩瀬浜間 6.5km( 第一種鉄道事業 )

軌間 :1067mm

駅数:13駅(起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:全線(直流600V)

閉塞方式

富山駅北 - 奥田中学校前間:無閉塞式

奥田中学校前 - 岩瀬浜間:自動閉塞式

交換可能駅:4( 奥田中学校前 、 粟島 、 城川原 、 大広田 )

車両基地 : 城川原駅 に併設(本社および 運転指令所 も同駅に併設)

JR西日本運営時 [ 編集 ]

路線距離( 営業キロ ):8.0km( 第一種鉄道事業 )

軌間 :1067mm

駅数:10駅(起終点駅・臨時駅含む)

複線区間:なし(全線単線)

電化区間:全線(直流1500V)

閉塞方式 :自動閉塞式(特殊)

交換可能駅:1(城川原)

運行形態 [ 編集 ]

JR西日本運営時と比較して富山ライトレール移管直後に列車運行本数が約3倍と大幅に増加し、利便性が向上した。

富山ライトレール移管後は、平日朝ラッシュ時は10分間隔、昼間から夜20時台前半までは15分間隔、夜20時台後半から23時台は30 - 40分間隔で運行されている。休日は朝から20時前半まで15分間隔、夜20時台後半から23時台が30 - 40分間隔となる。本数も

[4] 日本国, , http://homepage2.nifty.com/yamade/H16/5.15nippon/nippon.htm

日本国(555m)

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平成16年山行報告へ

登山日:5月15(土) 参加者:山出・湯殿

行程:小俣小学校8:00〜8:25松が峰広場〜8:50蛇逃峠〜9:04山頂9:33〜10:18小学校

日本国概要

以前から気になっていた日本国という名の山を制覇しに長野県から遥々出かけました。

位置は、新潟県と山形県の県境にあり、登山口は新潟県側の山北(さんぽく)町から登るのが一般的といわれております。

日本国という名前と、標高が555mということでこれから人気のでそうな山です。山用の記念品は特にないので、町内限定販売(と言っていた)の「日本国」という清酒がよいかと思います。

新潟県は隣県だから近いと思っていたら、さすがに山形県境までは遠く、飯豊や朝日岳より直線距離で遠い事があとから解りました。

登山道入口

登山口は県境の町、山北町の中心地より東へ5キロほど入った小俣小学校の前にあります。駐車スペースは小学校の前に5台ほどあります。

途中の道は全線舗装はされておりますが、所々狭隘な箇所もあり、大型定期バスも走っていたり、近所の方が用水路を兼ねた道路側溝で洗物をしているので注意が必要です。

写真では登山口の前に障害物はありませんが、路肩が広くなっておりすぐに登山者の駐車スペースとなってしまいます。

登山道

登山道に入るとすぐに道が錯そうしていますが、どの道を進んでも同じです。10分ほどでラジウム清水に着きますのでここで水を補給するとよいでしょう。

前日に雨が降ったのでしょうか登山道は結構滑りやすくなっています。また、木々が茂っているため空気が動かず暑くなってきました。夏向きの山ではなさそうです。

登山道脇にはチゴユリが結構ありましたが、咲いていたのは山頂付近だけでした。

日本国

府屋の街から日本国は見えるはずですが、結局自分の登る山がわかったのはだいぶ登ってからでした。

途中木々の間から以東岳(実際は自宅に帰ってから判明しました)が確認できました。また、海側は粟島と佐渡がよく見えました。

長野県は海なし県なので、海さえ見えれば満足してしまうのでした。

それにしても、登山道に青虫が上から糸を張ってブラブラぶら下がっているのには閉口しました。

展望は蛇逃峠にある東屋からが一番良いかも知れません。

[5] 日本国「征服」を「登頂」に変更へ|社会|新潟県内のニュース|新潟日報netpark, , http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20130503040840.html

日本国「征服」を「登頂」に変更へ 「不適当」との抗議受け

村上市と山形県にまたがる日本国(555メートル)の登頂者に5日から「日本国征服証明書」を発行する予定だった県村上地域振興局は3日、名称を「日本国登頂証明書」に変更すると発表した。「征服」という表現に対し「不適当」などと抗議が寄せられたため。 振興局によると、日本国の山開きは地元の住民グループが30数年前から、毎年5月5日に愛着を込めて「日本国征服登山」と称して行っている。証明書の発行は、登山客の要望を受けて今年から実施を決めた。この名称が2日夕に報道されて以降、「日本国を征服するとは何事か」などとする抗議が電話とメールで計約40件届いた。 振興局は「山開きが混乱する恐れがある」として地元住民とも話し合い、証明書の名称を変えることを決めた。5日に予定している山開きの名称も、変更を検討している。

[6] 日本国登頂者に「征服証明書」発行|地域|新潟県内のニュース|新潟日報netpark, , http://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20130502040619.html

日本国登頂者に「征服証明書」発行 村上

村上市小俣集落と県村上地域振興局は、村上市と山形県にまたがる日本国(555メートル)の登頂者に「日本国征服証明書」を発行するサービスを、山開きの5日から始める。 料金500円。市民グループ「日本国を愛する会」が発行する。収益の一部は登山道整備などに充てられる。村上市勝木の温泉で使える入浴料100円割引券も付く。 山頂休憩所にある記念スタンプを押印すれば、下山後、証明書を購入することができる。証明書ははがきになっており、必要事項を記入して、専用ポストに投函(とうかん)。後日、日本国オリジナル切手が貼られ、日本国麓郵便局の風景印が押された証明書が届く。シリアルナンバーが入り、ラミネート加工も施す。 問い合わせは、県村上地域振興局企画振興部、0254(52)7230。

[7] 日本国 555m ガンチャンの山日記/ウェブリブログ, , http://70395979.at.webry.info/200812/article_4.html

2008年12月21日(日) 少し晴れ間

<コースタイム>

新潟県.府屋→小俣小学校前登山口(P)(8:20)→

ラジュウム清水(8:27)→松ガ峰広場(8:54)(9:00)

→沖見休憩所(9:11)→蛇逃峠(9:33)(9:53)→

日本国山頂(10:07)(11:00)→蔵王堂登山口(11:52)

蛇逃峠(11:11)→(蔵王堂コース)→蔵王堂(11:48)→

→小俣小学校前登山口(P)(12:10)→府屋

[8] 日本国登山日記−B型人間の山歩き, , http://www.geocities.jp/hmrmyamada/yamaaruki/nihonkoku.html

昭文社「山と高原地図」リスト

2006年5月5日、新潟県と山形県の境にある「日本国」という山に登ってきました。日本国とは随分大胆な名前ではあります。「山」とか「岳」とか付かない山はあまり多くないですよね。

標高が555mであるため、それにちなんで毎年5月5日が山開きになっているようで、今年もそのようでした。

今回はGWを利用して新潟の実家に帰っていたので、私と長男、私の父の3人で車で行ってまいりました。

見附市の実家を4:20に出発。我が家は遊びに行くときの早起きは苦になりません。

今回は親父も誘いました。親父は独身時代には南北アルプスもかなり歩いた山男だったようですが、結婚してからはすっぱりとやめたそうです。

昔の山用具を家の奥から引っ張り出してきて、この日はその昔着ていたというベストを着てきました。

そしたら、行きの車の中でベストのポケットに手を入れると、なんと1966年の山行に使っていた手帳が入っていたようです。

「1966年・・・雷鳥荘の領収書があるぞ」

実に40年前の記憶が呼び起こされたようでした。

6:50登山口着。

ここが日本国登山道入口。道路を挟んだ反対側に駐車場があります。かなりの台数が停められるようです。道路の路肩にも停められるようでした。トイレもこの登山道入口のはす向かいにあります。

入山届を記入して出発!

登山道に入ると、いきなり杉林の急登となります。ただ、この急登を5分ほど登ってしまえば、あとは普通の登山道になります。

この日登ったのは時計回りに歩くコースでした。この道取りだと、登り始めは急坂ですが次第にゆるくなります。また、下りも始めは急なのですが、次第にゆるくまります。

このコースを逆に回ると、上記と逆の歩行パターンとなってしまうので、一般的な時計回りのコースがオススメです。

親父は昔取った杵柄なのか、急登もすいすいと歩いていってしまいます。

ワタシ「ま;まって・・・」 

上述の急登を登り終えると、「ラジウム清水」があります。ラジウム入りなのかわかりませんが、飲めます。ここで水を補給するとよいでしょう。美味しかったです。

椿咲く登山道。椿が多かったですね、そろそろ終わりでしたが。

この山行の2日前、実家の近くの山に山菜採りに行ったこともあり、長男はワラビを探しながら歩いていきます。

「ねえ、パパも探してよ。あまりないなあ」

この日はワ

[9] 国道345号 笹川流れの隧道群その6, , http://homepage2.nifty.com/bobsatoh/haido-zuido/haido-zuido7-6.html

笹川流れの中心地点にある道の駅笹川流れである。ここはJR桑川駅と併設という形をとっていた。

シーズンオフなのだろうか、思ったよりも全然人がいなかった。そのため大変気楽だ。というかこんな観光地で作業服着てリュック背負っているほうがおかしいだろう。そしてその人間(またはシロクマ)が青森から来ました、と言えばさらにビックリすること間違いナシだ。

さすがに汗びっしょりの作業服のまま道の駅には入ることは少々抵抗があり入ることができなかったが、桑川駅は大丈夫だろうと思い見てみることとした。

桑川駅は2面3線の駅で結構大きめであった。この駅は土・日とかに臨時列車の「きらきらうえつ」が停車するのだが全然問題ないようだ。

ちょうどこのとき時計を見たら13時40分くらいだったので、遅くなったが簡素な食事(ソイジョイ2本プラス自販機で買ったセブンティーンアイス)をとり、再び歩き始めることとした。

昼食をものの10分足らずで終了し(量が量なので当然だが・・・)、笹川流れの中心部をあとにする。

正直に言うと、この先には隧道はほとんど存在しないため、ほとんど散歩というかウォーキングに近い感覚で歩いていたような気がする。

笹川流れ中心部を離れて最初に出てきた隧道は「鳥越トンネル」であった。

そういえばトンネルの名称に「○○トンネル」というような表現のものって結構少ないような気がする。「弘法トンネル」位か?あとのやつは大概「○○隧道」というような名前だったような気がする。

まあ今回は「隧道群」の探索なのだから、隧道という名称のほうがうれしいし、何より燃える!!!

鳥越トンネル脇にまた海蝕洞があったのだが、この海蝕洞は今までのとは若干違い、由緒ある穴のようだ(笑)。

入ることはしなかったが、この海蝕洞の内部は鱗のようなデザイン?をしており、今では年2回の交通安全などの祈願法要をしているとのことであった。

しかしこのあたりの海蝕洞は結構形のいいものばかりに感じた。三陸海岸にも結構あるのだが、こっちのほうがより幻想的に感じたかもしれない。

それじゃ鳥越隧道、もとい鳥越トンネルを抜け次の「隧道」に向かっていく。

鳥越トンネルを抜けて間もなくして、大正浦隧道が現れた。その右側を現国道は海上に橋を通してスルーしている構造となっている。

この大正浦隧道は、大規模な改修は昭和41年に

[10] 富山駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E9%A7%85

島式ホーム2面4線、単式ホーム1面1線、切欠ホーム1線の計3面6線を有する地上駅。

直営駅であり、北陸本線の石動駅 - 越中宮崎駅間各駅、高山本線の猪谷駅 - 西富山駅間各駅、城端線・氷見線内の各駅の管理と、該当区間の運営を行う富山地域鉄道部が構内に置かれており、当駅は該当区間の事実上の管理駅となっている。

京都・大阪方面へ行く特急「サンダーバード」、名古屋方面へ行く特急「しらさぎ」(北陸線経由)、「ひだ」の始発・終着駅となる。このほか、越後湯沢駅で上越新幹線と接続し東京まで最短で結ぶ特急「はくたか」、新潟方面へ行く特急「北越」が全て停車する。

富山港線廃止前は4面8線を有した。富山港線は7・8番のりばが使われていたが、同線が廃止された2006年3月1日より使用が中止され、ホームは解体された。3番のりばは2番・4番のりばホームの高山方を切り欠いて設置されている。かつては西3番のりばと呼ばれ、その後西ホームと改称、さらに3番のりばとなった。その際、旧来の3番のりば以降は一つずつ繰り上がった。

高架化工事に伴う変遷 [編集]

以前は各のりばは全のりばを連絡する地下道と全のりばと北口を連絡する跨線橋によって結ばれていた。1番のりばの中央部に正面改札、跨線橋の北の突き当たりに北口改札、跨線橋の南の突き当たりに改札業務のみのとやま駅特選館(駅ビル)改札があった。富山港線が廃止された2006年3月1日から北口の仮駅舎供用前の2007年3月17日までは、地下道は全のりばおよび北口を連絡、跨線橋は全のりばを連絡していた。富山港線廃止前の2006年2月28日までは、地下道は全のりばおよび北口を連絡、跨線橋は1 - 6番のりばを連絡していた。

北口は、北陸新幹線の開業に伴う連続立体交差事業の工事のため、2007年3月18日より仮駅舎を利用している。今までの北口駅舎の西隣にある。3階建てでミニコンビニもある。北口からホームへは地下道が連絡していたが、仮駅舎の供用開始により跨線橋が連絡することになった。

2008年10月20日、北陸本線下り線および上り線の一部の線路切替が実施され、4 - 6番のりばが仮設ホームに移転されるとともに、地下道は廃止された。地下道の廃止により、各ホーム間の通路は跨線橋のみとなった為、特に朝の通勤時間帯には跨線橋が混雑するようになり、問題となっている[3]。

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履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567386038127

メモ