カトマンズ

カトマンズ

[1] カトマンズ

Webページ

[2] カトマンズ トリブバン国際空港から市内まで, , http://b-tabi.com/asia/nepal/04tribhuvaninternationalairport.html

カトマンズトリブバン国際空港に到着のエアアジアX国際線D7192 搭乗率90%

エアアジアジャパンはなくなるがエアアジアは各国の多くの人々に支持されいる

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● エアアジアカトマンズ行き

5:07 2013/10/27 カトマンズ時間

タメルのゲストハウス1泊500Rp(500円)で目覚める。昨日宿到着後お昼寝したので早起きになる。この宿はトイレシャワー付。部屋にはエアコンもファンもないが、最高気温24度で、朝は12度まで下がり毛布がないと寒くて眠れない。その気温で朝の水シャワーは無理。幸いこの宿は温水が出る。また部屋の中で無料ワイファイにつながる。

昨日午前中かけてクアラルンプールからカトマンズへエアアジアD7192フライトで移動する。機材はA330-300の国際線仕様。フライト時間は4時間25分。往復786リンギ、カード会社の請求金額で25,102円(1R=31.937円)のプロモフライト。7月15日予約の10月26日〜11月某日に往復。1日に1便しか出ていない国際線なのであまり強烈なプロモが出回りにくい。

トリブバン国際空港 2013年10月26日撮影

ジャルパックで行くネパール世界遺産5日間

[3] 0910チョーオユー, , http://members.jcom.home.ne.jp/tkurimoto/0910chooyu.html

参加者;6名(群馬:Oさん、愛知:Mさん、千葉:Hさん(女)、東京:K、兵庫:Sさん(女)、東京:Nさん、年齢順)

男性4名、女性2名(70才台:2名、60才台:2名、50才台:2名)

企画・運営:�潟Aドベンチャーガイズ主催の公募登山隊

ツアーリーダ兼ガイド;近藤謙司、杉本水生

現地ガイド;プラチリ(サーダ)、ラクパチリ、ダディンディー、チュパ、、カイラ、ランパブ(シェルパ)、マイラ(コック)、ラルー(キッチンボーイ)

7〜8月のペルーアンデス・ワスカランでのプレ登山に引き続き、9〜10月は、今年の最大の目標である8000m峰・チョーオユーへの挑戦でした。結果はプレ登山が効果的であったのか、順化が順調で比較的余裕を持って登れた。しかし、8000mの空気の薄さは一筋縄では行かないところがあり、いろいろと勉強することが多かった。

[4] エベレスト - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%99%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88

1852年、インド測量局の技師でベンガル出身のインド人測量技師、ラダナス・シクダール (Radhanath Sikdar) が240 kmはなれたインドから三角測量した結果、P-15 (Peak XV) という仮称で呼ばれていた山が世界最高峰であることを発見した。当時ネパールは「禁断の王国」であり、外国人は入ることはできなかったため、より近距離での測量は不可能だった。測量の結果によればP-15 (Peak XV) の標高は約8,840 m (29,002 ft) だった。

現在最新の標高は8,848 mとされているが、他にもいくつかの異なる標高が測量結果として報告されている。2番目に高い山はK2で、標高8,611 mである。2005年5月22日、中国のエベレスト測量隊はエベレストに登頂、数ヶ月に渡る測量の結果、同年10月9日にエベレストの標高は8,844.43 m±0.21 mと公式に発表した。彼らはこの数値がこれまでで最も正確な標高であるとしている。しかしこの標高は最も高い岩石の部分に基づくもので頂上部分の氷や雪は含んでおらず、モンブランやテンリタグといった他の高峰の標高の基準と異なっている。測量隊は雪と氷の厚みも測量しており、この結果は3.5 mだったことから、8,848 mという従来の測量結果に誤りはなかったことになる。しかし実際のところ雪と氷の厚みは変化するため、正確なGPSによる測量がなければ、厳密な標高を求めることは不可能とされている。

現在最もよく知られている8,848mという標高は、1955年のインドによる従来より近距離からの測量によって、初めて求められたものである。1975年の中国による測量でも同様の結果が得られた。どちらも頂上部分の氷雪の厚みを含んだものである。1999年5月、ブラッドフォード・ウォッシュバーン率いるアメリカエベレスト遠征隊は山頂にGPSユニットを設置、8,850mという測量結果を発表した。これによれば岩石部分の標高は8,850m、氷雪を含めると更に1 m高いとされている。ネパール政府は正式にこの測量結果を認めていないが、この数値は広く用いられている。1999年と2005年の調査双方にジオイドの不確かさという問題が指摘されている。

エベレストの標高は周辺のプレートテクトニクスにより年々高くなっており、山頂も北東へと移動していると考

[5] 岐阜荘川村 六厩川 - たまにへこむ日記, , http://d.hatena.ne.jp/sed/20051010/1128960751

岐阜荘川村 六厩川

自転車 | 01:12

先週富山から「週末どう?」と電話が来たので、はくたかに乗って富山襲来。ちょっと金使いすぎ。

岐阜・御母衣(みぼろ)湖の東にある六厩(むまや)川を上流から御母衣ダム東岸に出る計画。総勢3名。ツーリングマップルは「がんばれば通れそう」みたいなコメントになっているが、ゲートを突破して 3km ほどで完全に廃道化、崩落倒木多数、4時間近くひたすら担ぎあり薮漕ぎありで、何とか六厩川橋到達(写真) ここから御母衣湖への道がさらにひどいことになっており、御母衣湖へ抜けるトンネルに達することができず*1、六厩川橋から 3km 地点で日没。「今日中に到達することは不可能」と判断しビバークすることに。シュラフがないのでひたすら薮を刈って毛布代わりにして就寝。

翌日全く同じ道を六厩に向け6時間かけて何とか退却。片道 15km 程度の道に丸二日を要する凄まじい企画になってしまった。遭難しないで済んだだけでもハッピーでしょう。ちょっとやりすぎた。反省。

結局、六厩川橋 〜 御母衣湖東岸を結ぶというトンネルは実在するのか、御母衣湖東岸は果たしてどこまで走れるのか、わからないまま退却したため、かなり心残りがある。近くに高速道路も走っているというのに、信じがたく荒廃した道。奥飛騨にはまだこの類の道が沢山あるようで、少し不気味な感じもします。

追記。

以下のページによれば、御母衣湖東岸 〜 六厩川橋間のトンネルは入り口が完全に埋まっているらしい。

http://doya.sytes.net/keiryu/m/7-1/7-1.html

国土地理院・1/50000の地図では御母衣ダム湖東側湖畔に沿って、森茂川の流れ込みあたりまで通じる道路が記載されていますが、この道路はすでに昭和45年頃から隋道が埋まっているため車は通れません。今は完全に土砂に埋没してしまい人も通れなくなりました。

1997年に突破した写真というのもあるのだが…。

http://www.geocities.jp/tdr2508401965/4a20a20s4.html

■ コース

10/9

六厩 R158 分岐付近 (0:15) 林道ゲート (0:30) 担ぎ開始部

(4:30) 六厩川橋 (3:00) 秋町隧道付近? 日没

10/10

秋町隧道付近 (2:00) 六厩川橋 (4:00) 担ぎ

[6] ただいま出張中 , , http://hassamugawa.com/bhutan01.html

1.ブータン前夜

4月16日(火)に成田を発ち、同日バンコク経由でデリー入りした。 今回は約1年間にわたって、ブータン東部にあるルンチ県、モンガル県での農業案件に従事する。 ブータンはインドと中国に挟まれた神秘の小王国である。面積は九州を一回り大きくした程度だが、人口は70万人に満たない。男性は「ゴー」、女性は「キラ」という「丹前」のような民族衣装を着用し、見た目は全くと言っていいほど日本人に似ている。 日本で背広姿のブータン人は、「外国人」に見られず、「しばしば日本語で道を訊かれて困る・・」、と嘆くほど日本人的である。その人と形は追々写真で紹介することとしよう。 私の会社とブータンとの関わりは強く、10年以上も前からこの国で農業、道路、橋梁関連のプロジェクトに参画し、現在も5橋の国道橋建設の施工監理を行っている。今回の農業開発調査で、珍しくブータンで2件の業務を実施することとなった。私自身は過去に2度ほどブータンを訪れたことがあるものの、これから3度の渡航、延べ220日間を過ごすのは初めての長期滞在経験となる。 ブータン国は現在も鎖国に近い状態を保っており、観光であれ、仕事であれ、そう簡単に入国することはできない。空路はDruk航空というブータンの航空会社1社の運行(バンコク、デリー、カトマンズ、カルカッタ、ダッカのいずれかからアクセス可)のみで、ビザを取得しなければ航空券は発券されない。観光で訪問するには、1日200ドル以上のパッケージ旅行しか手だてがない。10日間の日程で訪ねるには、即ち2,000ドル也の滞在費がかかる、しかも往復の航空運賃抜きで・・・。 そんなブータンに仕事で行けるのは、実は、「ラッキ〜!」なのだ。 しかし、10日間ならいざ知らず、トイレも水も電気もなく、徒歩か、せいぜい馬で現場を回る仕事は、それなりにキツイはずでもある。 ところで、ブータンには日本大使館が無い。在インド日本大使館がブータンを管轄しており、業務の節目にはインドを訪れることとなる。日本からはバンコクからDruk航空でブータンに空路入るのが最も近道で、今回の先発調査団員も昨日バンコクから直接ブータン入りしている。 明朝4時にデリーを出発し、午前7時にブータン国西部のパロ空港に到着の予定。そこから車で東に1時間半ほどのティンプーに移動する。ブータンと

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567299218949

メモ