和歌山県道213号白浜久木線

和歌山県道213号白浜久木線

[1] 和歌山県道213号白浜久木線

Webページ

[2] 道路レポート 和歌山県道213号 白浜久木線, , http://yamaiga.com/road/wpr213/main.html

【位置(マピオン)】

和歌山県道213号白浜久木線 は、紀伊半島の南部、白浜温泉で有名な白浜町の山間部にある、全長約11kmの一般県道である。

同町内の庄川(しゃがわ)地区と久木(ひさぎ)地区を山越えで結んでおり、峠は 庄川越 という。

(峠の東側の日置川流域は平成18(2006)年まで日置川町に属していたが、合併によって白浜町の一部となった)

しかしこの庄川越の県道だが、市販されている道路地図帳を見ると、全線のうち県道の色が塗られているのは起点側の3kmほどだけで、全線の4分の3近い区間は、無着色の破線や細線で辛うじて描かれているだけである。いわゆる“不通県道”として表現されている。

右の画像は、最新の地理院地図である。

ここでは県道の全線がちゃんと県道の色(黄色)で塗り分けられている。

そして、その道の描かれ方をよく見てみると――

――起点の「庄川口」から3km地点の「出合」集落までは、「1車線の道路」の記号で描かれている。ここまでは市販の道路地図帳でも県道である。

その先は、「軽車道」の記号である細線がひょろひょろと伸びて、そのまま峠を越えて旧日置川町側まで達している。

だが、「出合」から約5km(峠から1.5km)の地点で記号は「徒歩道」に変わり、終点の「久木橋」手前まで約2kmが、地図上の道として最も脆弱な表現をされている。

最後は0.5kmほど「軽車道」の区間を通って、ゴールである。

地図に描かれた道は全体的に等高線に対し従順で、いかにも車道っぽく見えた。

オブローダーとしての勘が働く。

約2kmの「徒歩道」区間の存在が不安ではあるが、 自転車で完抜出来たら、なかなかに楽しめそうだ。

そんなわけで探索に行ってみた。

探索日は、今からほぼ1年前の平成28(2016)年1月9日である。

進行方向は、起点から終点だ。

2016/1/9 6:52 【現在地(マピオン)】

今回の探索、目標とする走破の距離が結構大きいうえに事前情報もほとんど無い状態だったので、時間に最も余裕を持てる朝一からの探索とした。

現在地は、夜明け直後の紀勢本線は紀伊富田(きいとんだ)駅だ。

いまは輪行袋に入った自転車と共に、普通列車を降りたところである。

これから自転車に乗り換えて県道213号の起点を目指す。

出発進行!

7:22 【現在地】

途中のコ

[3] 道路レポート 和歌山県道213号 白浜久木線, , http://yamaiga.com/road/wpr213/main2.html

これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度地権者の寄附によって路盤の整備を図り供用しておりますが、県道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。

それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであります。 従って通行中の 落石事故等 による 賠償責任 は負えません。 尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事業として採択され設けた残土処理場であります。

私は、衝撃を受けた! そして同時に、「おいしい」と思った!!

最奥の出合集落を過ぎてわずか100m、集落手前で見た “この予告” から数えれば、おおよそ300mと思われる地点。

そこに大きな看板が待ち受けているのを見つけたとき、はじめは、 “いつものやつ” だと思っていた。県が設置した「通行止」の看板だと。

だが、文字が読めるくらいに近付いてみて、その異様さに気が付いた。

まず、冒頭の「通告!!」という書き出しが、尋常ではない。

私は日本中で「通行止め看板」を蒐集してきたが、この看板に対する驚きは滅多にない高レベル。百に一つどころか万に一つの逸品と思っている。

地図上では地味目な里山の不通県道程度の印象だったが、これで一気に侮れなくなった!

畳一枚分ほどもある看板にびっしりと納められた、約320文字からなる「通告文」の内容であるが、ひとことで言えば、 免責 である。

これこれこういう経緯の道だから、「 通行中の落石事故等による賠償責任は負えません。 」ということが結論になっている。

具体的には、主に次のような事柄が書かれている。

(以下の内容のうちの括弧内は、看板の文章から私が類推して補足したものであり、明示はされていない。)

これから先の県道は、 “関係者” が昭和56(1981)年に、地権者の寄附によって幅2mの路盤の整備を行い、 (町道として?) 「供用」した。

しかし、県が県道としての「供用開始の告示」を行っていないので、県による道路の維持管理はされておらず、代わりに(道路管理者ではない) “関係者” が(自主的に?)

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24795567291592993

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