2010/4/19 17:20 【現在地】
渡谷橋を渡ると大井川左岸の大字東藤川に入るが、200mほどで今度は川根路橋(昭和58年竣工)が現れ、県道はそのまま橋を渡って右岸(大字奥泉)に戻る。
この橋の袂に、わずか数軒の家から成る谷畑集落へ下る道が分岐している。
何の標識も見あたらないが、長島ダムや接岨峡および井川(静岡市)方面へ大井川の本流をさかのぼる道は、県道接岨峡線が昭和58年に開通するまで、ここを右折していた。
いまは町道になっているようだが、元は東京営林局の大井川林道であった。
あっという間に家並みは途絶え、川と山に挟まれた1車線の登り道になった。
そこに現れた、吊橋の主塔の跡。
附属して何か小屋のようなものが建っているが、その正体は不明。
しかし橋については、昭和27年の地形図に既に【記載】がある。
この吊橋の次世代が昭和37年の奥泉橋(おそらく最初の車道橋)で、その次が現在ある川根路橋だろう。
なお、奥泉橋は長さ180m幅7mの3連ガーダー橋であったこと以外、詳細不明。(『橋梁史年表』より)
主塔跡付近から眺める大井川の景色。
写真中央奥の山がV字に切れているところが大井川の川谷で、そこから対岸の奥泉集落を孕む形で大きく蛇行して眼下に達している。
少なく見積もっても対岸までの距離は150m以上あり、ここに架かっていた吊橋は、人道用であったにしてもなかなか壮大なものだったろう。
更に進むと、小さなコンクリート橋が現れた。
廃道化こそ免れているが、欄干は一部崩れたまま修理もされず、舗装路のくせに顕著な“ダブルトラック”を見せている。
現在の通行量が、舗装に見合わぬ量でしかないことを教えている。
17:26 【現在地】
入口から350mほど進むと、右後方から別の舗装路が合流してきた。
地形図を見る限りこの道は行き止まりだが、行き止まりには神社と日当たりの良い緩斜面が描かれており、おそらくは茶畑があると思う。
私は直進するが、路面のタイヤ痕は右折側が優勢だ。
直進すると、また橋があった。
橋の右に映っているのはタンクで、沢の水をホースで組み上げて溜めていた。
また、橋の前後の路面が濡れているが、このあたりは山がかなり水気を含んでおり、裸のままの法面から自然に垂れて水たまりを作っていた。
この水たまりを踏んで橋の上にタイヤ痕を残した軽ト