6:51 【現在地】
林道上の広場から分かれていた1本の細路。
どうやらこれが、小坂森林鉄道濁河線(まだ本題の上部軌道ではなく下部軌道の方)の跡であるようだ。
今のところ、軌道跡を示すような遺物は特に見られないが。
また、入口の封鎖ゲートの旁らに立つ看板には、「樹皮堆肥製造場所」という表記があった。
設置者は岐阜森林管理署で、かつての小坂営林署の後裔であろう。
現在もこの土地が、林業のために利用されている事が分かった(少なくとも地目の上では)。
しかし、現に人が頻繁に出入りしているような気配は、まるでなかった。
脇の甘いゲートを抜けて進むと、あっという間に視界から林道は消えた。
林道は右手の斜面を駈け足で登っていってしまったからだ。
取り残された私には、普段の軌道歩きと同じ静謐な時が残されていた。
自転車をデポした標高1400mにはうっすら降りていた霜も、標高900mのここには見られなかったが、それでも5月の割にはえらく寒々とした、新緑前の森だった。
しかし風景写真としては味気なくとも、探索シーズンとしては視界のよい今こそベストと思う。その点は申し分がない。
軌道跡らしき勾配の道には、枕木もレールも見あたらなかった。
落ち葉の土道にはあるのは、レールの代わりのうっすらとした自動車の轍だった。
数分間、森の中の平和な道を歩くと、やや左にカーブしつつ、広場のような場所に出た。
地形的には周囲とあまり変わらぬ平坦な場所だが、そのうちの一画だけ木々が生えておらず、まさに広場としか言いようがない。
また、広場の中には人工的に盛り土されたような直線的な凹凸の地形が見られた。
軌道跡と関係がある物かは分からない。
むしろ、「樹皮堆肥製造場所」として使われた形跡のように思われたが、堆肥らしい物も、独特の匂いもなかった。
それはそうと、いま目の前に見えている山の稜線は、濁河川の対岸である。
これから向かおうとしている、上部軌道が眠る山ということだ。
この段階では、ここと向こうの山を隔てている深い谷の存在は感じられなかったのだが、開けた場所を山の方へ向かって歩くと、すぐさまノイズのような渓声が聞こえ始め、私にとって都合のよい幻想を打ち砕いた。
6:56 【現在地】
歩き出して5分、林道から300mほど北に離れた場所である。
前述の広場を突っ切る形で、