中ノ湯

中ノ湯

[1] 中ノ湯

Webページ

[2] 隧道レポート 釜トンネル , , http://yamaiga.com/tunnel/kama/main6.html

17:41

全長510mほどの釜トン。そのほぼ中間地点にあるカーブの外側の壁には、同じ形をした穴が二つ並んで開いていた。

人が出入りするには小さいが、いったい何の穴なのか?

右図の通り、現在地点は明らかに地中である。

先ほどの「明かり窓」のように、壁一枚で外に通じているとは思えない状況なのだ。

私とナガジス氏は、

一人一穴の体制で、ここに進入してみた。

おや、ナガジスさん。

四角い穴をしゃがみ歩きで通過すると、そこには立ち上がれるだけの空洞が現れた。

そして、そこではもうナガジス氏がニコニコしていた。

……ここは、どこ?

どこだ?!

ここも… 釜トンなのか??

やべー…

また洞内分岐だよ……。

我々が潜り抜けた二つの穴は、よく知られた釜トンと、その陰に存在している 知られざるもう一つの釜トン とを結ぶ、秘密の通路のようであった…。

両者を分ける隔壁は、分厚く堅牢なコンクリート製だ。

横穴は完全に抹殺出来たはずなのに、二つの穴が残されたのは何故だろう。

それはさておき、数十年分の排気ガスは穴を通じて“こちら側”にも充満していたのだろう。

素堀の岩盤は、煤によって真っ黒く変色している。

それはさながら火災現場のようである。

火災現場とのもう一つの共通点は、そこに何ら“生ある”者が無さそうだという点だった…。

目の前には、全く得体の知れない金属製の残骸が置かれていた。

明らかに“二つ穴”よりも大きく、今のように塞がれる以前に持ち込まれた“何か”であることは明らかだった。

そして、横穴は異様に狭かった。

立ち上がるともう、目線は明らかに天井に近かった。

目測であるが、 「幅2m、高さ2m」 程度と思われる。

周囲の壁はすべてコンクリートに覆われているものの、路面のみは未舗装で、拳大の瓦礫やコンクリートの破片、木片などが雑多に積まれていた。

ここは、明らかに“年季の入った廃隧道”の姿である…。

巨大な残骸の脇をかわすと、進路が開けた。

出口だ!!

なんと、この横坑は外へと通じていた。

推定される全長は、50mほどだ。

その進行方向はおそらく、壁の穴を抜ける前に歩いた直線を、ただまっすぐに延長した方向である。

そして、引き継がれているのは進行方向だけではなく、アノ道路トンネルの常識を覆す急勾配(15%)もまた、この横坑にそのまま繋がっている。

[9] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main8.html

2008/7/2 16:32

国道158号の沢渡〜中ノ湯間にある、長さも旧道化時期も異なる5つの旧道区間を順に攻略してきた我々は、いよいよ 最後のステージ へ。

それが、現道の 赤怒谷トンネル に対応する旧道である。

赤怒谷トンネルは全長396mで、竣工は昭和59(1984)年とされる。

これは全ステージの中で2番目に新しい旧道区間である。また、地図上で測った旧道の長さは450mで、これは 全ステージ中最短 である。

ゲームなら、基本的に最後のステージが一番の難関だが、現実はどうだろう。

なお、スタート直後の沢渡集落で“モナ王”をかじったのは昼時だったが、今ではもう夕方の入口と言って良い時刻になった。

この間に移動した距離は、現道換算ならせいぜい6.5kmといったところだ。(登り坂とはいえ、本来は自転車で30〜60分の距離だ)

旧道はそれよりは少し遠回りだが、ここまでの全ての旧道を途中で引き返さず一発で突破してきたので、旧道経由の移動距離も、おそらく7.5kmくらいでしかないだろう。その中には現道を走った距離も含まれているわけで、時間を使わされる“難所”が多かった事を物語るスロー進行ぶりだった。

泣いても笑っても最後のステージ、がっつり攻略してやるぜ!

現在地は、ステージ4の終了地点から現道を300mほど中ノ湯側に進んだ所にある、赤怒谷トンネルの坑口前だ。

旧道は例によって、この坑口前から左に逸れて入るのだが、その事よりまず目を引くのは、トンネルの山側に聳え立つ巨大な禿げ山の斜面だ。

トンネルの名前が伝えるとおり、この場所の名前は「 赤怒谷(あかぬたに) 」というらしいが、まさにこの一木一草育たぬ赤茶けた谷は、山の怒りのエネルギーが地上にあふれて出来たもののように見えるのだ。

前回までの「白薙ぎ」や「天然開渠」なども、名が体を現す素晴らしいネーミングだったが、今回の「赤怒谷」も負けていない。

なお、赤怒谷トンネルのトンネルナンバーは「19」で、この先の(旧)釜トンネルに「20」の番号が振られている。前者は国道158号、後者は県道上高地公園線と、路線は異なっているが、トンネル番号はひと続きになっている。

そしてこれが、上と同じ位置から撮影した、旧道のある渓谷上流の眺めだ。相変わらず狭い谷を大量の水が迸っている。

だが、その白い波濤の向こうに、明

[16] 釜トンネル - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

[編集] 概要

総延長は1,310m、幅員は7.0m(路肩含む)、計画交通量は2,100台/日(うち大型車は800台/日)、設計速度は30km/hである。最大勾配は10.9‰でトンネルでの標高差は約100mにも及ぶ。トンネルのすぐ手前の国道158号との分岐点には、県道を冬季通行止めとするためのバリケードがある。現在のトンネルは、工事時期の違いによって釜トンネルと釜上トンネル(仮称)とに分かれる。

[編集] 歴史

[編集] 初代

1927年(昭和2年)から1937年(昭和12年)まで供用された。

1915年(大正4年) - 焼岳の噴火によりできた大正池を利用した水力発電所の計画が持ち上がる。

1926年(大正15年) - 長野市の梓川電力(現・東京電力)が霞沢発電所の建設に着手した。当初は導水路建設のための工事資材運搬用の軌道として梓川沿いの急峻な岩崖に道が通され、その最も急峻な釜ヶ淵を避けて隧道がすべて手掘りで建設された。これが最も古い釜トンネルで、「古釜」の俗称がある。開通した当初の釜トンネルは長さ320m、幅と高さは2mそこそこだったといわれる[1]。

1927年に工事が完了し、軌道を整理して自動車道となった。

1933年(昭和8年) - 私道から県道へ移行、「松本槍ヶ岳線」の一部に指定された。また、乗合バスが大正池まで運行を開始した。

1934年(昭和9年) - 乗合バスが河童橋まで運行して乗客数も増えた。

[編集] 2代

1937年から2002年(平成14年)まで全域が供用され、2005年(平成17年)にすべて使われなくなった。

1934年 - 中ノ湯側の坑口付近で大規模な土砂崩れが発生した。

1937年 - 土砂崩れ対策のため、中ノ湯側に新たな坑口を開いて約270mを掘削し、途中で初代のトンネルと接続させた。この結果、トンネル全長は約520mとなり、初代のトンネルの50mほどが廃道となり、釜トンネル内に急カーブが生じた。

この頃までは、冬山で凍死した登山者の遺体を春から夏の間に松本市側に移送する時まで、冬季通行止めの期間にトンネル内で保管することもあった。

1950年(昭和25年) - 改修して幅員・トンネル高とも3.2mになった。

1964年(昭和39年) - 坑口にトンネル前後の道路の落石や雪崩を防ぐためのロックシェッドが設けられ、上高地側を「釜上洞門

[17] 上高地 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%AB%98%E5%9C%B0

上高地は、飛騨山脈(北アルプス)の谷間(梓川)にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている。狭義にはこの平野のうち、観光名所として知られる河童橋の周辺だけを指す場合もある。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本では他に例が少ない。

気候的に山地帯(落葉広葉樹林帯)と亜高山帯針葉樹林の境界線付近の高度に位置しているため、ブナ・ミズナラ・シナノキ・ウラジロモミ・シラビソ・トウヒなど、両者の森林の要素が混在し、更にヤナギ類やカラマツを中心とする河川林や湿原が広がるなど、豊かな植生で知られている。最終氷期(ウルム氷期)には、上高地の上部に位置する槍沢と涸沢には山岳氷河が発達し、もっとも拡大した時期には氷河の末端が上高地最深部の横尾にまで達していたと考えられている。現在も氷河によって形成されたカール地形が残っている。気候は亜寒帯湿潤気候である。1月の平均気温は-7.7℃、最低気温は-20℃を下回り非常に寒さが厳しい。一方、8月の平均気温は19.7℃で日中でも22℃ほどにしかならず夏季はかなり涼しい。

[編集] 上高地の生物

梓川や大正池には渡りをしないマガモが住んでおり、ほとんどの個体は人を恐れない。ニホンザルも通年住んでおり、冬季は下北半島の北限ニホンザルよりも厳しい条件である当地で越冬する。

[編集] 外来種

もともと梓川や大正池にはイワナが優占種として生息していたが、1925年以降カワマス、ブラウントラウトが放流された。現在ではイワナとカワマス、ブラウントラウトの純粋種の他に、放流された3魚種の自然交雑種が生息し、イワナは優占種では無くなった[1]。自然交雑種のF1(雑種第1代)は雑種強勢の特長が現れるが、戻し交配を含むF2(雑種第2代)は繁殖力が極端に弱く雑種崩壊を起こし、純粋種の減少が進んでいる[2]。

上高地に生息するゲンジボタルが、人為的に持ち込まれた可能性が高いと、安曇野市が2010年11日に長野市で開いた研究会で民間の自然環境調査団体が発表した。ゲンジボタルは2000年ごろから梓川沿いの池で確認されるようになり、上高地の水温は年間通して10度以下で、ホタルの成育に適さないが、この池は温泉の影響

[18] 中ノ湯インターチェンジ - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%83%8E%E6%B9%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8

中ノ湯インターチェンジ(なかのゆインターチェンジ)は、長野県松本市にある安房峠道路のインターチェンジである。平面交差で国道158号に直接接続されている。 このインターチェンジには料金所がないが、平湯ICに設置されている料金所で精算する。

[19] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main.html

廃道の中の廃道。

皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。

草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ…

ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある!

廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。

ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。

それゆえ、以前執筆させていただいた『 廃道をゆく (イカロス・ムック)

』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。

この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。

同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作成したい。

都合により、このレポートの完結までには数日間の更新停止を数度挟むと思いますが、なにとぞ気長にお楽しみ下さい。

国道158号は、福井県福井市と長野県松本市を結ぶ約250kmの一般国道で、中部日本の内陸部を東西に連絡する路線である。

この地域には南北方向に走向する地溝および山脈が連続しており、路線内には険しい峠が複数ある。

そのなかでも、北アルプスの穂高連峰と乗鞍岳の間を越える岐阜長野県境「安房(あぼう)峠」は冬期閉鎖を余儀なくされる最大の難所であったが、平成9年に念願の安房トンネルが開通したことで長年の困難は解消された。

だが、この安房峠越えの道。

険しいのは峠だけではなかった。

むしろ、安房峠が飛騨国と信濃国の最短距離にありながら、歴史的には南方に大きく迂回する野麦峠の方が両国を結ぶ街道の本道とされて来たのは、安房峠そのものよりも、その信濃側(長野側)アプローチとなる梓川渓谷の、尋常でない険しさのためであった。

右の地図を見ていただきたい。

密に描かれた等高線の最も密なところ、さらに多数の崖の記号を従えて描かれているのが、梓川渓谷である。

どこまでが谷で、どこからが山腹なのかの区別は難しいが、稜線に対する谷の深さは1000mを下らない。

北アルプスの名を冠するに足る、極めて険しい山岳の描写だ。

そして、梓川の流れに寄り添う、一筋の道がある。

[20] 初夏の上高地○旧釜トンネル・釜上洞門へ続く道路 ( 長野県 ) - みのみのの「清流梓川のせせらぎ・上高地」 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/minominofx66/1384481.html

新釜トンネル・北側坑口のある稜線沿いに下流側へ続く一本の道路があります。この道路が旧釜トンネルへと続く長野県道24号上高地公園線の旧道です。新釜トンネルが中ノ湯から産屋沢までいくつもの稜線の内側を突き進んでくるのに対し、旧道は釜ヶ淵と呼ばれる梓川の流路勾配が急激に大きくなる部分付近まで梓川の縁を走り、旧釜トンネルに進入します。

この旧釜トンネルを実際に歩いてレポートをされている方です。以前、国道158号線旧道「沢渡〜中ノ湯」レポートと同じ方で、私もこのジャンルに強い興味を持ちました。

[23] 中の湯温泉 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89

[編集] アクセス

鉄道・バス:アルピコ交通上高地線新島々駅より上高地行き路線バスで約45分で中の湯バス停へ。(あるいは松本バスターミナルから高山濃飛バスセンター行き特急バスで約75分。冬季は特急バスのみ。)バス停前の「中の湯売店」からは旅館の送迎車を利用。なお、朝は1回だけ旅館から大正池までの送迎がある。

マイカー:安房峠へ通じる国道158号の旧道沿いにある。ただし、冬季(概ね毎年11月中旬から翌年4月下旬頃)は、旅館へ通じる区間を含む旧道が閉鎖されるため、岐阜県(平湯温泉)側および長野県側双方から旅館まで直接マイカーで乗り入れることができない。このため冬季間は中の湯バス停前の「中の湯売店」から旅館に電話をかけ、安房峠道路の中ノ湯インターチェンジの旧道接続部にあるゲート(中の湯ゲート)を開いてもらう必要がある。

[編集] 泉質

硫黄泉(旅館)

鉄泉(卜伝の湯)

[編集] 温泉地

一軒宿の「中の湯温泉旅館」が存在する。上高地観光の拠点になるほか、焼岳登山の中の湯コースの登山基地としても利用価値が高い。近年は閉山後の上高地を徒歩で釜トンネルを通って訪れる人の基地として使用される例も増えている。

一軒宿はかつて、国道158号と上高地への県道の交差点近くに旅館が存在した。2005年6月まで交互通行だった釜トンネルの信号待ち中、梓川の対岸に存在した旧中の湯温泉の露天風呂に入浴する浴客は、上高地への車窓名物の一つだった。しかし、安房トンネル工事が原因の水蒸気爆発により、安房峠途中の現在地へ移転を余儀なくされる。移転後の現在地からは穂高連峰が遠望できる。

かつての中の湯温泉旅館の場所に近い釜トンネル入り口付近には、中の湯売店と、洞窟風呂である「卜伝の湯」が残る。「卜伝の湯」は30分単位の貸切りとなっており、入浴希望の宿泊者は予約時間に合わせて旅館から送迎車に乗って入浴に行くことになる。卜伝の湯への日帰り入浴は中の湯売店でも受け付けており、空き時間さえあれば外来入浴もできる。

旧旅館があった梓川沿いの場所は、崖地のあらゆる所で温泉が湧出しており、一帯は湯気と温泉の匂いに包まれている。旧中の湯の源泉とは別の野湯も多く存在する。沢渡温泉の源泉も当地にある。但し、旧中の湯の源泉とは別の安房トンネル工事の際に発見された源泉を利用している。旧中の湯の源泉は、現旅館にポンプで汲み上げられるも

履歴

[24] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926422861777

メモ