栂桜橋

栂桜橋

[1] 栂桜橋

Webページ

[2] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main2.html

2008/7/2 13:12

現在地は、梓川筋最奥の集落である沢渡(さわんど)のはずれ。

これから本格的な山と谷の世界へと分け入っていく。

図中の現国道は、昭和44年に「山吹工区」として着工、同48年に完成した区間である。

したがって我々が辿る旧道は、旧道になって40年弱経過していることになる。

現在の地形図にも、この区間の旧道は破線で描かれており、途中にはそこそこ長い隧道まであるようだ。

早速だが、楽しみな区間だである。

いきなりの深い藪から始まったこの区間だが、幸いにして50mほど進むと視界が開けた。

そして、そこにはより鮮明なカタチで、現道と旧道の立体的な関係性が示されていた。

頭上を跨いでいるのは、現道の栂桜(つがさくら)橋。

緒元は不明だが、梓川筋でも有数の大型橋で、河床から30mほどの高みを越える、方杖ラーメン形式の鋼橋だ。

山吹工区の大工事としては、この栂桜橋と、それに続く新山吹トンネルが挙げられる。

旧道上には、まだクルマが通れていた時代(末期?)の遺物なのか、決壊した路肩を示すように赤いコーンが置かれていた。

スコンスコンッ

そんな破裂音を響かせながら、勢いよく橋を渡っていくクルマたち。

彼らには全く想像もつかないであろう谷底に、40年前の道はあった。

藪がいくらか浅いのは、ここにはまだ鋪装が残っているからだった。

僅かな踏み跡分だけを残しつつ、窒息寸前となった鋪装である。

この栂桜橋を潜ればすぐに隧道が現れる。

地図はそう教えていた。

否が応でも、我々の期待は高まった。

スコンスコンッ

13:19

スコンキター!スコンッ

…あります。

地図にある隧道くらい、あって貰わなきゃ困るんだけど、やっぱり嬉しい廃隧道発見。

しかもこれ、

なかなかどうして、

…凄いところにある。

ザーーーー!!! キター---! スコンスコン

坑口が、滝壺に…。

しかも、水の出所を見上げれみれば、…現道だし(笑)。

何を考えてこんなカタチになっているのか…。

水路の故障か何かでこんな風になっているのかも知れないが、ともかく前代未聞といっても良い光景だ。

哀れ、永遠の滝行を宿命づけられてしまった旧山吹隧道。

ほぼ無装飾に近いがアーチリングだけは鮮明な坑門や、1.5車線分しかない幅など、明らかに前世代的な作りである。

電線を仕込んでいた鉄管

[3] 梓川 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93%E5%B7%9D

[編集] 地理

長野県松本市の北西に位置する飛騨山脈(北アルプス)槍ヶ岳に源を発し南流する。上高地で大正池を形成し、梓湖(奈川渡ダム)に注ぐ。島々宿で東に向きを変え、新淵橋を過ぎたところから右岸の波田と左岸の梓に河岸段丘をつくる。松本市大字島内で奈良井川を合わせ犀川と名を変える。奈良井川との合流点手前のラーラ松本付近では拾ヶ堰や勘左衛門堰が地下横断をする。

[編集] 歴史

仁科濫觴記によれば、成務天皇の代に諸国の郡の境界を定めた際(古事記には「国々の堺、また大県小県の県主を定めた」とある)、保高見ノ熱躬(ほたかみのあつみ:後に「熱躬」を「安曇」と改称)が郡司であったため熱躬郡(あつみぐん)とし、境界の川も「熱躬川(あつみがわ)」とした。この熱躬川が、天智天皇7年(668年)に「梓川」と改称された[1]、とある。「熱躬川」であったにもかかわらず、梓川を「あつみがわ」ではなく「あずさがわ」と呼ぶ理由としては、二十巻本の和名抄(巻5)で、信濃国安曇郡を「阿都之(あつし)」と訓じてあることがあげられる。この「あつし」の訓は、「あづさ」の音にきわめて近い。

一方で、流域は古来より梓の産地であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていて、このことが川の名前の由来になったとも言われている[2]。

[編集] 利水

梓川の水は、発電用と、農業用灌漑のために、古くから用いられてきた。このため、新淵橋よりも下流の松本盆地での流量は豊かだとは言えない。

[編集] 発電用

水路式発電所は上高地に近い上流から、盆地部に下りての昭和電工赤松発電所・梓水力発電所まで、流域の各地に造られて古くから稼働してきた。1969年(昭和44年)11月には、奈川渡ダム、水殿ダム、稲核ダムの梓川3ダムが完成した(それまで梓川にはダム式発電所がなかった)。この梓川3ダムは揚水発電所として運用され、電力需要の多い時間に発電のためにいったん下流に放水された水を、電力需要の少ない夜間に再度揚水して上流のダム湖にためるようになっている。このために、下流のダム湖の上端が上流のダムの下まで来るように造られている。

[編集] 灌漑用

「堰」は一般には、川を堰き止める構造物をさすが、松本盆地ではその堰から取水して水を流す人工河川をも「堰」(読みは「せぎ」)といい、たくさん存在する。梓川から取水するものだけでなく、烏川から取水する烏川

[4] ツーリングに 尻木宇豚堂/ウェブリブログ, , http://ulman.at.webry.info/201310/article_1.html

行ってきました。

当初は志賀高原に行くつもりでしたが、この日は東側の天候が良くなかったので比較的天気の良い西側へ行くことに。先日の「福井県にタッチ」の続きで荘川〜白川郷方面へ行くことにしました。

安房峠越えで岐阜県入り

安房峠を下る途中から見た乗鞍岳

平湯温泉スキー場前から見た槍ヶ岳

平湯温泉スキー場は少しだけ紅葉しはじめていました。

旧道を登って平湯峠

乗鞍スカイライン頂上は午前11時現在で9℃

ちょっと気温高めですね。

ここからR158で高山、中部縦貫自動車道で飛騨清美JCT、東海北陸自動車道で荘川IC。ここで高速を降ります。

昼になったので荘川町のソバ屋「蕎麦正」に入ります。

このときは新そばまつり期間中でした。

新そば旨かったです。

さあ、R156白川街道に入ります。ここは4年前のZZR一泊ツーリングで通りました。今回は逆方向の北上ルートです。

岩瀬橋が見えてきました。

注意標識

この先が難所であることを予告しています。

岩瀬橋

岩瀬橋を渡った先は直角カーブ

大量の注意標識。さあ、難所の始まりです。

荘川桜

御母衣湖の水没地区から移植した桜の木です。

尾上橋

渡ったところから振り返る

この橋も渡ったところは直角カーブです

この先2本目のトンネル「尾神2号トンネル」の中は補強付き

今はこのように照明が付いていますが、以前は無かった。暗い中でいきなり出っぱりが現れる怖いトンネルでした。大型車の運転手はさぞびっくりしたでしょう。

トンネルを抜けて振り返って撮影

少し行くと1999年開通の福島保木トンネル(全長1106m)と旧道

もちろん右側の旧道に進みます。

旧道に入って最初のトンネル「福島保木第1トンネル」

トンネルを抜けても洞門が続き、次は「福島保木第2トンネル」

ここも抜けても洞門が続き、次は「福島保木第3トンネル」

トンネルに横窓がついています

横窓から外の壁を見るとボロボロ

作ってから50年以上経ちますからねぇ

洞門の上に登るハシゴがあります

湖面を見おろす

この水面下数十メートルには、白川街道の難所「福島歩危」がありました(詳しくはコチラ)

トンネル名の福島「保木」は「歩危」から来ているんですねー。まさかトンネル名に「歩危」なんてコワい名前つけられませんから。

途中明かり区

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926422861032

メモ