奈川渡

奈川渡

[1] 奈川渡

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[2] 道路レポート 梓湖に沈んだ前川渡(長野県道乗鞍岳線旧道), , http://yamaiga.com/road/maekawado/main4.html

現地での最大の謎として残った、この写真の隧道の行く先は、旧版地形図を見ることで簡単に解決した。

次にご覧頂くのは、奈川渡ダム完成の17年前を描いた、 昭和27(1952)年応急修正版5万分1地形図「乗鞍嶽」 である。

長過ぎ〜!!

案の定、あの隧道はめちゃくちゃ長かった! 深追いせず正解。地形図上での長さを計ると、 3800m はある!

この数字は、過去に私が探索したあらゆる廃隧道の中で最長だと思う。

仮に洞内に泥が堆積していなかったとしても、さすがに途中で怖ろしくなって逃げ出したか、或いは本当に酸欠で大変な目に遭っていた可能性がある。

私は僅か20mほどでリタイアしたが、私は本当に果てしない長大な隧道に呑み込まれかけていたのである…。

そして肝心の出口には何があったかといえば、そこにはやはり発電所の記号が待ち受けていた。

その発電所の場所には、梓川と奈川が合流する奈川渡(ながわど)の地名があり、これは現在の奈川渡ダムサイトのすぐ近くだ。

上の図は、昭和27(1952)年と昭和47(1972)年の地形図である。カーソルオンやタップ操作で画像が切り換わる。

これらの地図には、私が今回発見した2本の水路橋を含む長大な発電用水路の全貌が描き出されているが、昭和47年版では既に奈川渡ダムが出現しており、その湖畔に本来なら既に廃止されていたはずの水路が引き続き描かれてしまっている。これは「資料修正版」という、ダム完成以前の図に簡単な修正を施しただけの版だからだろう。

昭和27年版に描かれた一連の発電用水路の上端は、大野川上流の乗鞍高原番所(ばんどころ)付近に設けられた取水堰であったようだ。

そこから小大野川の上流を経由して前川発電所の水圧管路(水を落とす水路)へ導かれていた。これが前半部分で、奈川渡ダムの完成後も引き続き稼働している。

対する後半部分が今回発見された廃止区間であり、ここでは2本の水路橋を経由し奈川渡にあった発電所へ導かれていた。

以上の水路の全長は10km以上もあり、しかもほぼ全線が隧道として描かれていた。

奈川渡ダムの湖底に眠る、長さ4km近い水路隧道。

その奥部は依然として未知のままであり、閉塞しているのか貫通しているのかも分からない。

我々はただ想像するのみである。

仄暗い湖底の底に、人知れず眠り続ける巨大な真闇のあることを。 ―

[4] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main.html

右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松本市安曇地区(旧安曇村)のマップである。

3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。

最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。

ダム有るところに、廃道あり。

このセオリーはこの場所でも生きている。

梓川の本流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。

おいおい紹介していくことにもなるだろう。

だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。

日本中の道の中でも、ここの現国道には殊更おおきな思い入れがある。

右の地図にも描かれているが、奈川渡ダムの周辺はとにかくもの凄いトンネル連続地帯になっていて、明かり区間よりもトンネルの占める距離の方が長いほどなのである。

そして、これらのトンネルが

…幼かった私の心に

…二度と治らぬ病を

…暗くて狭い隧道への飽くなき憧憬を

…植え付けてしまった。

旧安曇村内の国道158号関連のレポートとしては、最も松本寄りの 「猿なぎ洞門(橋場地区)」 を公開済である。

次は水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間をお伝えしたいと思う。

いよいよ、我がオブ心の故郷、トンネル連続地帯にも掛かるレポートになるだろう。

これは、今回のレポート範囲のダムが出来る前の地図。

ちょうどこの地図が描かれた昭和28年に、従来は県道「松本船津線」であった梓川沿いの道が、二級国道158号「福井松本線」へ昇格したのであった。

地図を見ても分かるとおり、この区間には当時隧道はひとつも無かった。

そして、奈川渡付近では谷底を通っていた。

ここは明らかに奈川渡ダムによって水没しているであろうが、一方でその下流の水殿ダムは、必ずしも旧道に影響しなかったかも知れない。

地図を見る限り、水殿ダムから下流の稲核ダムにかけての道は、ダムが出来る以前からかなり高い山腹に付けられていたようだ。

続いて、現在の地形図を見てみよう。

今回

[5] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main3.html

2008/7/2 8:54

ずみの窪隧道に、予想外の旧道を発見した我々は、その足で隣接する小雪なぎ隧道へ戻った。

すると、ここにも明らかに旧道と分かる入口があった。

これほどはっきり残っているのに、一度はスルーしていたのが恐ろしい。 テヘヘ…

照れ笑いとともに、旧道への進入を開始する。

平行する小雪なぎ隧道は約270m。旧道も距離はさほど変わらないだろう。

そもそも、これらの隧道は距離を短縮するために掘られたものではない。

あくまで、土砂崩れの危険度の高い場所を地下に迂回するためのものだ。

先ほどまでの劣悪な崩壊斜面にまみれた廃道とは異なり、今度は僅かながら車の轍も残っている。

路肩にはガードレールの支柱がずっと続いている。

昭和42年までの国道も、未舗装ではあるが、路幅に関してはそれなりに広かったようだ。

これは、意外であった。

ここまで続いていた車の轍の正体見たり、ハニーフラッシュ!

nagajis氏のコブシの意味は不明だが、前方には養蜂箱が無数に並んでいた。

もちろん、道一杯に生きたハチたちがぶんぶん飛び交っている。

…ここ、通るのか?

通るのか?

刺されたりしないのか?

きっと大丈夫。

彼らはただの蜜蜂さ。

こっそり横を通り抜ける分には、大丈夫だと思う。

そう言いながら、先を行く私の狡さ。

こういう場面では、後続の方が遙かに刺されるリスクが高いのである(笑)。

でも、nagajis氏はさすがに廃道に愛された男。

ここを無傷で通り過ぎてきた。

こ、 これは…。

この擁壁の四角い切り抜きは…。

内部は完全に埋まっており奥行きは確かめられなかったが、これもまた横坑の跡と思われる。

それにしても多い。

延長500m足らずのずみの窪隧道に2本、270mの小雪なぎ隧道にも1本である。

よほど工期に追われていたのでなければ、考えにくい横坑の多さだと思う。

そう… 実は工事を急がねばならぬ、特別な事情があった。

この道は、単なる国道の旧道というわけではなかったのだ。

まもなく、そのことを我々に気付かせる、ある決定的な場面が現れる。

初めに異変に気付いたのは、nagajis氏だった。

nagajis: なんや下にも道あらへんか?

?

あ、 あるか?

あるかなぁ?

もしあるとしたら、何の道だね?

あ。 ありますね。道。

下にもう一

[8] 道路レポート 長野県道26号 奈川木祖線 奈川渡ダム〜奈川, , http://yamaiga.com/road/npr26_nagawa/main.html

【周辺地図(別ウィンドウ)】

このレポートは、「 道路レポート 国道158号 水殿ダム〜奈川渡ダム 」の続編である。

nagajis氏とタッグを組んで梓川筋の隧道・旧道・廃道を手当たり次第に攻略する旅は、その重要な経由地である奈川渡ダムに到達後、少し寄り道をすることにした。

ターゲットは、奈川渡で国道158号より分岐して旧奈川村から木祖村方面へ繋がる県道26号「奈川木祖線」にある、4本の隧道たちだ。

水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間にも5本の隧道があったが、ダムへのもう一つの接近路である県道26号にある隧道は4本。

由来もダム工事に関する路線の付け替えということで前者と共通する。

なお、前回レポートの冒頭でも語ったとおり、私にとってこの一帯は、 “トンネルではない「隧道」への目覚め” のエリアである。

特に我が家では、毎回この県道26号から梓川筋へ入っていた憶えがある。17.8年も前だから、当時は長野自動車道も未完成で、東京方面からの入路として必ずしも松本経由は最短ではなかったのかも知れないし、ハンドルを握る親父の好みだったのかも知れない。(帰りはいつも松本経由だったので)

ともかく、今回の探索では最後に遭遇することになるだろう「角ヶ平隧道」こそ、幼少の私にとって、 なぜだか分からないが興奮する隧道達との出会いと再開の場所 であった。

そこは、今日の ヨッキれんの原点 であるといっても、決して過言ではないはずだ。

大人になって初めて… 十数年ぶりの再会。

果たして隧道は、どうなっているのだろう。

地図を見る限り、当時と同じで5本健在であるようだが…。

ナガジスさん、すまないね〜。 俺の思い出拾いにつきあわせちゃって…。

「 イイヨイイヨー 」

読者さんにも、すまないね〜。

2008/7/2 10:24

県道26号の起点は、入山隧道内部の洞内分岐地点と、そこから約200m離れた奈川渡ダム交差点の、合計2箇所あることになる。

だが、そう厳密に考えなくても、起点から約200mほどで両者は合流する。前回紹介した、新入山隧道の坑口前の交差点で。

左の写真は、そこからさらに100mほど南へ進んだ地点だ。

早速、県道26号として1本目の隧道が見えている。

右に広がる広大な水面は、これでほぼ満水位の梓湖だ。

この湖面は、かつての梓川の右支流奈川を5k

[9] 隧道レポート 釜トンネル , , http://yamaiga.com/tunnel/kama/main6.html

17:41

全長510mほどの釜トン。そのほぼ中間地点にあるカーブの外側の壁には、同じ形をした穴が二つ並んで開いていた。

人が出入りするには小さいが、いったい何の穴なのか?

右図の通り、現在地点は明らかに地中である。

先ほどの「明かり窓」のように、壁一枚で外に通じているとは思えない状況なのだ。

私とナガジス氏は、

一人一穴の体制で、ここに進入してみた。

おや、ナガジスさん。

四角い穴をしゃがみ歩きで通過すると、そこには立ち上がれるだけの空洞が現れた。

そして、そこではもうナガジス氏がニコニコしていた。

……ここは、どこ?

どこだ?!

ここも… 釜トンなのか??

やべー…

また洞内分岐だよ……。

我々が潜り抜けた二つの穴は、よく知られた釜トンと、その陰に存在している 知られざるもう一つの釜トン とを結ぶ、秘密の通路のようであった…。

両者を分ける隔壁は、分厚く堅牢なコンクリート製だ。

横穴は完全に抹殺出来たはずなのに、二つの穴が残されたのは何故だろう。

それはさておき、数十年分の排気ガスは穴を通じて“こちら側”にも充満していたのだろう。

素堀の岩盤は、煤によって真っ黒く変色している。

それはさながら火災現場のようである。

火災現場とのもう一つの共通点は、そこに何ら“生ある”者が無さそうだという点だった…。

目の前には、全く得体の知れない金属製の残骸が置かれていた。

明らかに“二つ穴”よりも大きく、今のように塞がれる以前に持ち込まれた“何か”であることは明らかだった。

そして、横穴は異様に狭かった。

立ち上がるともう、目線は明らかに天井に近かった。

目測であるが、 「幅2m、高さ2m」 程度と思われる。

周囲の壁はすべてコンクリートに覆われているものの、路面のみは未舗装で、拳大の瓦礫やコンクリートの破片、木片などが雑多に積まれていた。

ここは、明らかに“年季の入った廃隧道”の姿である…。

巨大な残骸の脇をかわすと、進路が開けた。

出口だ!!

なんと、この横坑は外へと通じていた。

推定される全長は、50mほどだ。

その進行方向はおそらく、壁の穴を抜ける前に歩いた直線を、ただまっすぐに延長した方向である。

そして、引き継がれているのは進行方向だけではなく、アノ道路トンネルの常識を覆す急勾配(15%)もまた、この横坑にそのまま繋がっている。

[10] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main.html

廃道の中の廃道。

皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。

草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ…

ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある!

廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。

ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。

それゆえ、以前執筆させていただいた『 廃道をゆく (イカロス・ムック)

』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。

この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。

同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作成したい。

都合により、このレポートの完結までには数日間の更新停止を数度挟むと思いますが、なにとぞ気長にお楽しみ下さい。

国道158号は、福井県福井市と長野県松本市を結ぶ約250kmの一般国道で、中部日本の内陸部を東西に連絡する路線である。

この地域には南北方向に走向する地溝および山脈が連続しており、路線内には険しい峠が複数ある。

そのなかでも、北アルプスの穂高連峰と乗鞍岳の間を越える岐阜長野県境「安房(あぼう)峠」は冬期閉鎖を余儀なくされる最大の難所であったが、平成9年に念願の安房トンネルが開通したことで長年の困難は解消された。

だが、この安房峠越えの道。

険しいのは峠だけではなかった。

むしろ、安房峠が飛騨国と信濃国の最短距離にありながら、歴史的には南方に大きく迂回する野麦峠の方が両国を結ぶ街道の本道とされて来たのは、安房峠そのものよりも、その信濃側(長野側)アプローチとなる梓川渓谷の、尋常でない険しさのためであった。

右の地図を見ていただきたい。

密に描かれた等高線の最も密なところ、さらに多数の崖の記号を従えて描かれているのが、梓川渓谷である。

どこまでが谷で、どこからが山腹なのかの区別は難しいが、稜線に対する谷の深さは1000mを下らない。

北アルプスの名を冠するに足る、極めて険しい山岳の描写だ。

そして、梓川の流れに寄り添う、一筋の道がある。

履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926422717153

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