小雪なぎ隧道

小雪なぎ隧道

[1] 小雪なぎ隧道

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[2] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main3.html

2008/7/2 8:54

ずみの窪隧道に、予想外の旧道を発見した我々は、その足で隣接する小雪なぎ隧道へ戻った。

すると、ここにも明らかに旧道と分かる入口があった。

これほどはっきり残っているのに、一度はスルーしていたのが恐ろしい。 テヘヘ…

照れ笑いとともに、旧道への進入を開始する。

平行する小雪なぎ隧道は約270m。旧道も距離はさほど変わらないだろう。

そもそも、これらの隧道は距離を短縮するために掘られたものではない。

あくまで、土砂崩れの危険度の高い場所を地下に迂回するためのものだ。

先ほどまでの劣悪な崩壊斜面にまみれた廃道とは異なり、今度は僅かながら車の轍も残っている。

路肩にはガードレールの支柱がずっと続いている。

昭和42年までの国道も、未舗装ではあるが、路幅に関してはそれなりに広かったようだ。

これは、意外であった。

ここまで続いていた車の轍の正体見たり、ハニーフラッシュ!

nagajis氏のコブシの意味は不明だが、前方には養蜂箱が無数に並んでいた。

もちろん、道一杯に生きたハチたちがぶんぶん飛び交っている。

…ここ、通るのか?

通るのか?

刺されたりしないのか?

きっと大丈夫。

彼らはただの蜜蜂さ。

こっそり横を通り抜ける分には、大丈夫だと思う。

そう言いながら、先を行く私の狡さ。

こういう場面では、後続の方が遙かに刺されるリスクが高いのである(笑)。

でも、nagajis氏はさすがに廃道に愛された男。

ここを無傷で通り過ぎてきた。

こ、 これは…。

この擁壁の四角い切り抜きは…。

内部は完全に埋まっており奥行きは確かめられなかったが、これもまた横坑の跡と思われる。

それにしても多い。

延長500m足らずのずみの窪隧道に2本、270mの小雪なぎ隧道にも1本である。

よほど工期に追われていたのでなければ、考えにくい横坑の多さだと思う。

そう… 実は工事を急がねばならぬ、特別な事情があった。

この道は、単なる国道の旧道というわけではなかったのだ。

まもなく、そのことを我々に気付かせる、ある決定的な場面が現れる。

初めに異変に気付いたのは、nagajis氏だった。

nagajis: なんや下にも道あらへんか?

?

あ、 あるか?

あるかなぁ?

もしあるとしたら、何の道だね?

あ。 ありますね。道。

下にもう一

[5] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main.html

右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松本市安曇地区(旧安曇村)のマップである。

3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。

最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。

ダム有るところに、廃道あり。

このセオリーはこの場所でも生きている。

梓川の本流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。

おいおい紹介していくことにもなるだろう。

だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。

日本中の道の中でも、ここの現国道には殊更おおきな思い入れがある。

右の地図にも描かれているが、奈川渡ダムの周辺はとにかくもの凄いトンネル連続地帯になっていて、明かり区間よりもトンネルの占める距離の方が長いほどなのである。

そして、これらのトンネルが

…幼かった私の心に

…二度と治らぬ病を

…暗くて狭い隧道への飽くなき憧憬を

…植え付けてしまった。

旧安曇村内の国道158号関連のレポートとしては、最も松本寄りの 「猿なぎ洞門(橋場地区)」 を公開済である。

次は水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間をお伝えしたいと思う。

いよいよ、我がオブ心の故郷、トンネル連続地帯にも掛かるレポートになるだろう。

これは、今回のレポート範囲のダムが出来る前の地図。

ちょうどこの地図が描かれた昭和28年に、従来は県道「松本船津線」であった梓川沿いの道が、二級国道158号「福井松本線」へ昇格したのであった。

地図を見ても分かるとおり、この区間には当時隧道はひとつも無かった。

そして、奈川渡付近では谷底を通っていた。

ここは明らかに奈川渡ダムによって水没しているであろうが、一方でその下流の水殿ダムは、必ずしも旧道に影響しなかったかも知れない。

地図を見る限り、水殿ダムから下流の稲核ダムにかけての道は、ダムが出来る以前からかなり高い山腹に付けられていたようだ。

続いて、現在の地形図を見てみよう。

今回

[6] 隧道レポート 釜トンネル , , http://yamaiga.com/tunnel/kama/main2.html

上高地の衛兵こと、釜トンネル。

国道158号に面する中ノ湯側坑口には、新旧の坑口が仲良く並んでいた。

当然我々のターゲットは“釜トン”こと旧隧道だったが、人の目もあり進入は不可能だ。

そこで我々は計画を変更して、上高地側坑口へと向かうことにしたのである。

平成17年に開通したばかりの(新)釜トンネルは全長1310mもあり、完全2車線で防災設備も完備した近代的トンネルである。

だが、この立派なトンネルを通ることが出来るのは、特別な許可を与えられた車…主にバスやタクシーのみである。

それでも、年間200万人を超す上高地の観光客がこぞって通行しているのだから、過剰な設備投資と安易に言えるものではない気がする。

自動車にとってはただの通過地点に変わってしまった“釜トン”だが、一方で今も自由に通行できるチャリにとって、たった一本で145mもの高低差を稼ぎ出すトンネルが印象に残らないはずがない。

「二度はない。」 そう思うほどのほどに苦しい道であった。

その通過にたっぷり20分近くも要していることからも、分かって貰えよう。

2008/7/2 17:21

連続11%の急勾配に耐え抜き、脱出した先は、産屋(うぶや)沢という。

トンネルから続く坂を登りきったところで突如平坦になって短い橋を渡るが、この下の小さな沢が産屋沢である。

釜トンの入口が中ノ湯なら、出口は産屋沢と、昔から知られた名前だという。

釜トン自体のカリスマは失われてしまったとはいえ、梓川の車窓の大なる変貌は、依然として釜トンの存在感を確認させてくれるものだ。

中ノ湯までの車窓はずっと急峻なV字谷の底にあったが、この産屋沢まで来ると、上高地を象徴するあの風景…大正池…を彷彿とさせる、壮大な山間の堆積平野に変わっている。

実際、ここから大正池まではもう2kmほどだ。

川べりを行くこの県道「上高地公園線」も、トンネルであんなに登らされたのがまるで嘘のように、あとは終点上高地までほぼ平坦である。

え? 上高地?

なにそれ? 美味しいの?

…というわけで、 Uターン!

つうか、 Ob ( オブ ) ターン??

nagajisさんとも笑ったんだが、ここまで登ってきて上高地へは行かないとか、どんだけマゾだって話だよ(笑)。

17:22

新トンネル上高地側坑口の目の前で分かれ、梓川河原の方へ急激に下っていく道

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926422717096

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