沢渡

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[1] 沢渡

Webページ

[2] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main.html

廃道の中の廃道。

皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。

草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ…

ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある!

廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。

ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。

それゆえ、以前執筆させていただいた『 廃道をゆく (イカロス・ムック)

』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。

この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。

同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作成したい。

都合により、このレポートの完結までには数日間の更新停止を数度挟むと思いますが、なにとぞ気長にお楽しみ下さい。

国道158号は、福井県福井市と長野県松本市を結ぶ約250kmの一般国道で、中部日本の内陸部を東西に連絡する路線である。

この地域には南北方向に走向する地溝および山脈が連続しており、路線内には険しい峠が複数ある。

そのなかでも、北アルプスの穂高連峰と乗鞍岳の間を越える岐阜長野県境「安房(あぼう)峠」は冬期閉鎖を余儀なくされる最大の難所であったが、平成9年に念願の安房トンネルが開通したことで長年の困難は解消された。

だが、この安房峠越えの道。

険しいのは峠だけではなかった。

むしろ、安房峠が飛騨国と信濃国の最短距離にありながら、歴史的には南方に大きく迂回する野麦峠の方が両国を結ぶ街道の本道とされて来たのは、安房峠そのものよりも、その信濃側(長野側)アプローチとなる梓川渓谷の、尋常でない険しさのためであった。

右の地図を見ていただきたい。

密に描かれた等高線の最も密なところ、さらに多数の崖の記号を従えて描かれているのが、梓川渓谷である。

どこまでが谷で、どこからが山腹なのかの区別は難しいが、稜線に対する谷の深さは1000mを下らない。

北アルプスの名を冠するに足る、極めて険しい山岳の描写だ。

そして、梓川の流れに寄り添う、一筋の道がある。

[3] 道路レポート 国道158号旧道 沢渡〜中ノ湯, , http://yamaiga.com/road/r158_sawando/main8.html

2008/7/2 16:32

国道158号の沢渡〜中ノ湯間にある、長さも旧道化時期も異なる5つの旧道区間を順に攻略してきた我々は、いよいよ 最後のステージ へ。

それが、現道の 赤怒谷トンネル に対応する旧道である。

赤怒谷トンネルは全長396mで、竣工は昭和59(1984)年とされる。

これは全ステージの中で2番目に新しい旧道区間である。また、地図上で測った旧道の長さは450mで、これは 全ステージ中最短 である。

ゲームなら、基本的に最後のステージが一番の難関だが、現実はどうだろう。

なお、スタート直後の沢渡集落で“モナ王”をかじったのは昼時だったが、今ではもう夕方の入口と言って良い時刻になった。

この間に移動した距離は、現道換算ならせいぜい6.5kmといったところだ。(登り坂とはいえ、本来は自転車で30〜60分の距離だ)

旧道はそれよりは少し遠回りだが、ここまでの全ての旧道を途中で引き返さず一発で突破してきたので、旧道経由の移動距離も、おそらく7.5kmくらいでしかないだろう。その中には現道を走った距離も含まれているわけで、時間を使わされる“難所”が多かった事を物語るスロー進行ぶりだった。

泣いても笑っても最後のステージ、がっつり攻略してやるぜ!

現在地は、ステージ4の終了地点から現道を300mほど中ノ湯側に進んだ所にある、赤怒谷トンネルの坑口前だ。

旧道は例によって、この坑口前から左に逸れて入るのだが、その事よりまず目を引くのは、トンネルの山側に聳え立つ巨大な禿げ山の斜面だ。

トンネルの名前が伝えるとおり、この場所の名前は「 赤怒谷(あかぬたに) 」というらしいが、まさにこの一木一草育たぬ赤茶けた谷は、山の怒りのエネルギーが地上にあふれて出来たもののように見えるのだ。

前回までの「白薙ぎ」や「天然開渠」なども、名が体を現す素晴らしいネーミングだったが、今回の「赤怒谷」も負けていない。

なお、赤怒谷トンネルのトンネルナンバーは「19」で、この先の(旧)釜トンネルに「20」の番号が振られている。前者は国道158号、後者は県道上高地公園線と、路線は異なっているが、トンネル番号はひと続きになっている。

そしてこれが、上と同じ位置から撮影した、旧道のある渓谷上流の眺めだ。相変わらず狭い谷を大量の水が迸っている。

だが、その白い波濤の向こうに、明

[10] 隧道レポート 釜トンネル , , http://yamaiga.com/tunnel/kama/main6.html

17:41

全長510mほどの釜トン。そのほぼ中間地点にあるカーブの外側の壁には、同じ形をした穴が二つ並んで開いていた。

人が出入りするには小さいが、いったい何の穴なのか?

右図の通り、現在地点は明らかに地中である。

先ほどの「明かり窓」のように、壁一枚で外に通じているとは思えない状況なのだ。

私とナガジス氏は、

一人一穴の体制で、ここに進入してみた。

おや、ナガジスさん。

四角い穴をしゃがみ歩きで通過すると、そこには立ち上がれるだけの空洞が現れた。

そして、そこではもうナガジス氏がニコニコしていた。

……ここは、どこ?

どこだ?!

ここも… 釜トンなのか??

やべー…

また洞内分岐だよ……。

我々が潜り抜けた二つの穴は、よく知られた釜トンと、その陰に存在している 知られざるもう一つの釜トン とを結ぶ、秘密の通路のようであった…。

両者を分ける隔壁は、分厚く堅牢なコンクリート製だ。

横穴は完全に抹殺出来たはずなのに、二つの穴が残されたのは何故だろう。

それはさておき、数十年分の排気ガスは穴を通じて“こちら側”にも充満していたのだろう。

素堀の岩盤は、煤によって真っ黒く変色している。

それはさながら火災現場のようである。

火災現場とのもう一つの共通点は、そこに何ら“生ある”者が無さそうだという点だった…。

目の前には、全く得体の知れない金属製の残骸が置かれていた。

明らかに“二つ穴”よりも大きく、今のように塞がれる以前に持ち込まれた“何か”であることは明らかだった。

そして、横穴は異様に狭かった。

立ち上がるともう、目線は明らかに天井に近かった。

目測であるが、 「幅2m、高さ2m」 程度と思われる。

周囲の壁はすべてコンクリートに覆われているものの、路面のみは未舗装で、拳大の瓦礫やコンクリートの破片、木片などが雑多に積まれていた。

ここは、明らかに“年季の入った廃隧道”の姿である…。

巨大な残骸の脇をかわすと、進路が開けた。

出口だ!!

なんと、この横坑は外へと通じていた。

推定される全長は、50mほどだ。

その進行方向はおそらく、壁の穴を抜ける前に歩いた直線を、ただまっすぐに延長した方向である。

そして、引き継がれているのは進行方向だけではなく、アノ道路トンネルの常識を覆す急勾配(15%)もまた、この横坑にそのまま繋がっている。

[13] 上高地 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%AB%98%E5%9C%B0

上高地は、飛騨山脈(北アルプス)の谷間(梓川)にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている。狭義にはこの平野のうち、観光名所として知られる河童橋の周辺だけを指す場合もある。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本では他に例が少ない。

気候的に山地帯(落葉広葉樹林帯)と亜高山帯針葉樹林の境界線付近の高度に位置しているため、ブナ・ミズナラ・シナノキ・ウラジロモミ・シラビソ・トウヒなど、両者の森林の要素が混在し、更にヤナギ類やカラマツを中心とする河川林や湿原が広がるなど、豊かな植生で知られている。最終氷期(ウルム氷期)には、上高地の上部に位置する槍沢と涸沢には山岳氷河が発達し、もっとも拡大した時期には氷河の末端が上高地最深部の横尾にまで達していたと考えられている。現在も氷河によって形成されたカール地形が残っている。気候は亜寒帯湿潤気候である。1月の平均気温は-7.7℃、最低気温は-20℃を下回り非常に寒さが厳しい。一方、8月の平均気温は19.7℃で日中でも22℃ほどにしかならず夏季はかなり涼しい。

[編集] 上高地の生物

梓川や大正池には渡りをしないマガモが住んでおり、ほとんどの個体は人を恐れない。ニホンザルも通年住んでおり、冬季は下北半島の北限ニホンザルよりも厳しい条件である当地で越冬する。

[編集] 外来種

もともと梓川や大正池にはイワナが優占種として生息していたが、1925年以降カワマス、ブラウントラウトが放流された。現在ではイワナとカワマス、ブラウントラウトの純粋種の他に、放流された3魚種の自然交雑種が生息し、イワナは優占種では無くなった[1]。自然交雑種のF1(雑種第1代)は雑種強勢の特長が現れるが、戻し交配を含むF2(雑種第2代)は繁殖力が極端に弱く雑種崩壊を起こし、純粋種の減少が進んでいる[2]。

上高地に生息するゲンジボタルが、人為的に持ち込まれた可能性が高いと、安曇野市が2010年11日に長野市で開いた研究会で民間の自然環境調査団体が発表した。ゲンジボタルは2000年ごろから梓川沿いの池で確認されるようになり、上高地の水温は年間通して10度以下で、ホタルの成育に適さないが、この池は温泉の影響

[14] 冬の上高地(1) 釜トンネルと釜ヶ淵堰堤 - 雲上への逃避行 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/tatooclimber/20136483.html

冬の上高地はつい最近までは私のような者が立ち入れる場所ではなかった。

一昔前は「孤高の人」にもあるように、はるか手前の沢渡から約20Kmもの道のりを歩いて向かっていたのであった。

それが、平成9年に安房トンネルが開通したおかげで、1年中松本―高山間が開通し、それにより冬でも中の湯まではバスで行くことが可能になった。

私が四季を通じて初めて上高地へ入ったのは2003年末であった。登山を始めて2年ほどであったが、冬の穂高に魅せられ、勿論登ることは不可能であっても、この目で見たい衝動を抑えきれずに、無謀にも単独で初めてのスノーシューとともに釜トンネルを抜けた。

冬に上高地に入ったことがあれば、皆「釜トンネル」には思い入れがあると思われる。

今年「釜上トンネル」が開通し、昨年までの「釜トンネル」はその役目を終えた。この点はブログにも以前載せた通りである。

私はこのトンネルが怖いけれど大好きなので、繰り返しになるが、画像をアップしたい。

↑ 薄暗い天井には裸の蛍光灯と今にも落ちそうな氷柱。時々、ピキーンと氷柱が地面にたたきつけられる音だけがトンネル内に響く。足元は凍結している部分もあり、様々な意味で恐ろしい。

[15] 飯田線 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E7%B7%9A

概要[編集]

開業・ダム建設輸送・戦時国有化・国鉄分割民営化と、折々の時代の要請の中で愛知県、静岡県、長野県に跨る険しい山岳地帯を貫き全通を果たし、現在も東三河・天竜・中南信の都市農山村を結ぶ路線。長野県の上諏訪駅から愛知県の豊橋駅まで各駅停車で直通する列車もあり、辰野駅から豊橋駅までは約6時間かかるが、一度も乗り換えることなく行くことができる。1983年までは旧形国電の宝庫として鉄道ファンの注目を集めたが、現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅や田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から、鉄道ファンや旅行者に人気のある路線である。

もともと直結した4社の私鉄路線(豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道)を戦時国有化・統合したことで成立した路線であり、駅はほぼ開通時の沿線集落ごとに設けられている。このため駅間距離が旧国鉄の地方路線としてはとても短いのが特徴で、全長195.7km中に起終点を含めて実に94の駅がある[1]。それらの平均駅間距離は約2.1kmと大都市の市街地路線並みであり、また地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから速度は低く、急カーブや急勾配も多く見られる。中でも赤木駅 - 沢渡駅間の勾配は40‰で、信越本線の横川駅 - 軽井沢駅間(碓氷峠)が廃止された現在ではJR最急勾配である。

豊橋駅 - 豊川駅間はIC乗車カード「TOICA」の利用エリアに含まれている[2]。

路線データ[編集]

管轄・路線距離(営業キロ):

東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者):

豊橋駅 - 辰野駅間 195.7km

日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):

豊橋駅 - 豊川駅間 (8.7km)

元善光寺駅 - 辰野駅間 (61.9km)

軌間:1067mm

駅数:94駅(起終点駅含む)

飯田線所属駅に限定した場合、起終点駅(豊橋駅は東海道本線、辰野駅は中央本線支線の所属[3])が除外され、92駅となる。

複線区間:

複線:豊橋駅 - 豊川駅間(豊橋駅 - 平井信号場間は名鉄名古屋本線と共用。詳細は後述)

単線:豊川駅 - 辰野駅間

電化区間:全線電化(直流1500V)

閉塞方式:自動閉塞式(特殊)(豊川駅 - 辰野駅間)

保安装置:ATS-PT(豊橋駅 - 平井信号場間はM式ATSを併設)

最高速度:85km/h

運転指令所:東海総合指令所

全線がJR東海東海鉄

[16] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main.html

右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松本市安曇地区(旧安曇村)のマップである。

3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。

最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。

ダム有るところに、廃道あり。

このセオリーはこの場所でも生きている。

梓川の本流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。

おいおい紹介していくことにもなるだろう。

だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。

日本中の道の中でも、ここの現国道には殊更おおきな思い入れがある。

右の地図にも描かれているが、奈川渡ダムの周辺はとにかくもの凄いトンネル連続地帯になっていて、明かり区間よりもトンネルの占める距離の方が長いほどなのである。

そして、これらのトンネルが

…幼かった私の心に

…二度と治らぬ病を

…暗くて狭い隧道への飽くなき憧憬を

…植え付けてしまった。

旧安曇村内の国道158号関連のレポートとしては、最も松本寄りの 「猿なぎ洞門(橋場地区)」 を公開済である。

次は水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間をお伝えしたいと思う。

いよいよ、我がオブ心の故郷、トンネル連続地帯にも掛かるレポートになるだろう。

これは、今回のレポート範囲のダムが出来る前の地図。

ちょうどこの地図が描かれた昭和28年に、従来は県道「松本船津線」であった梓川沿いの道が、二級国道158号「福井松本線」へ昇格したのであった。

地図を見ても分かるとおり、この区間には当時隧道はひとつも無かった。

そして、奈川渡付近では谷底を通っていた。

ここは明らかに奈川渡ダムによって水没しているであろうが、一方でその下流の水殿ダムは、必ずしも旧道に影響しなかったかも知れない。

地図を見る限り、水殿ダムから下流の稲核ダムにかけての道は、ダムが出来る以前からかなり高い山腹に付けられていたようだ。

続いて、現在の地形図を見てみよう。

今回

[17] 中の湯温泉 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%B9%AF%E6%B8%A9%E6%B3%89

[編集] アクセス

鉄道・バス:アルピコ交通上高地線新島々駅より上高地行き路線バスで約45分で中の湯バス停へ。(あるいは松本バスターミナルから高山濃飛バスセンター行き特急バスで約75分。冬季は特急バスのみ。)バス停前の「中の湯売店」からは旅館の送迎車を利用。なお、朝は1回だけ旅館から大正池までの送迎がある。

マイカー:安房峠へ通じる国道158号の旧道沿いにある。ただし、冬季(概ね毎年11月中旬から翌年4月下旬頃)は、旅館へ通じる区間を含む旧道が閉鎖されるため、岐阜県(平湯温泉)側および長野県側双方から旅館まで直接マイカーで乗り入れることができない。このため冬季間は中の湯バス停前の「中の湯売店」から旅館に電話をかけ、安房峠道路の中ノ湯インターチェンジの旧道接続部にあるゲート(中の湯ゲート)を開いてもらう必要がある。

[編集] 泉質

硫黄泉(旅館)

鉄泉(卜伝の湯)

[編集] 温泉地

一軒宿の「中の湯温泉旅館」が存在する。上高地観光の拠点になるほか、焼岳登山の中の湯コースの登山基地としても利用価値が高い。近年は閉山後の上高地を徒歩で釜トンネルを通って訪れる人の基地として使用される例も増えている。

一軒宿はかつて、国道158号と上高地への県道の交差点近くに旅館が存在した。2005年6月まで交互通行だった釜トンネルの信号待ち中、梓川の対岸に存在した旧中の湯温泉の露天風呂に入浴する浴客は、上高地への車窓名物の一つだった。しかし、安房トンネル工事が原因の水蒸気爆発により、安房峠途中の現在地へ移転を余儀なくされる。移転後の現在地からは穂高連峰が遠望できる。

かつての中の湯温泉旅館の場所に近い釜トンネル入り口付近には、中の湯売店と、洞窟風呂である「卜伝の湯」が残る。「卜伝の湯」は30分単位の貸切りとなっており、入浴希望の宿泊者は予約時間に合わせて旅館から送迎車に乗って入浴に行くことになる。卜伝の湯への日帰り入浴は中の湯売店でも受け付けており、空き時間さえあれば外来入浴もできる。

旧旅館があった梓川沿いの場所は、崖地のあらゆる所で温泉が湧出しており、一帯は湯気と温泉の匂いに包まれている。旧中の湯の源泉とは別の野湯も多く存在する。沢渡温泉の源泉も当地にある。但し、旧中の湯の源泉とは別の安房トンネル工事の際に発見された源泉を利用している。旧中の湯の源泉は、現旅館にポンプで汲み上げられるも

[18] 釜ヶ渕堰堤 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E3%83%B6%E6%B8%95%E5%A0%B0%E5%A0%A4

釜ヶ渕堰堤(かまがふちえんてい)は、長野県松本市安曇(旧南安曇郡安曇村)、信濃川水系犀川の上流部(梓川)に建設されたダム。高さ29メートルの積石アーチ式コンクリート砂防ダムである。国の登録有形文化財。

[編集] 概要

1915年、焼岳の噴火による大量の泥流が犀川上流部(梓川)をせき止めてられて大正池が誕生した。この堆積した土砂の流出を防ぎ、上高地の景観と犀川流域の保全を目的に、大正池の河口直下に建設されている。かつては県道沿いに上高地に向かう途中に見ることができたが、県道の崩落事故が度重なったため2005年に新しい釜トンネルに付け替えられ、ほとんど人目に触れることはなくなった。

[編集] 歴史

1936年(昭和11年)に着工し、1943年(昭和18年)に釜ヶ渕堰堤本体工事が、翌年昭和19年に下流側の本副堰堤工事が竣工した。内部の構造は主に玉石を埋め込んだ粗石コンクリートで、表面は現地の石を加工した築石を用いている。梓川流域ではこの堰堤の着工に先立ち、1932年(昭和7年)に国の直轄砂防工事が始められており、当初は梓川沿いの山腹工や、沢渡周辺の川への小規模な砂防工事が行われた。2002年(平成14年)8月、国の登録有形文化財に登録。

[編集] 関連項目

ダム

日本のダム

アーチ式コンクリートダム

治山

砂防

上高地

釜トンネル

[編集] 外部リンク

国土交通省 - 河川局 - 砂防部 - 登録有形文化財に登録された歴史的砂防施設 - 釜ヶ渕堰堤

上高地公式Website - 釜ヶ渕堰堤

座標: 北緯36度12分51.15秒 東経137度36分54.11秒 / 北緯36.2142083度 東経137.6150306度

[19] 茶飲みばなし|NPG 上高地ナショナルパークガイド, , http://npg-alps.net/blog/tsubuyaki/2009/08/post_93.php

立秋 会長に聞け!!~第3回 上高地の水について聞け!!~2009年08月07日 (金)

上高地に梓川や大正池、明神池がなかったら どんなに寂しい事でしょう。 上高地にとって”水”は欠く事のできない要素です。 という事で今回は”上高地の水について聞け!!”です。   NPG:大正池は小さくなっているって言いますが、 昔はどんなもんだったんですか? 昔は田代橋あたりまで池尻が来てたんだ。 大体、ダメなんだよ。河床があがるとか、大正池が小さくなるとか いう問題があるけどね。 昔(大正池の堰堤が出来る以前)はどんどん土砂が 流れてったのに・・・ 大正池に水が必要だからって今はせき止めてるけどね、 私は大水が出たら一緒に流しちゃえって思うんだ。 でも、水の蓄えが必要だから貯めておこうとせき止めちゃう、 それで土砂が堆積してっちゃう。 ここらで1m以上(河床が)上がってんじゃないか、昔からすると。 それでね、今、中の湯の売店がある所(釜トンネルの入り口に ある)では、逆に河床が1.5mも低くなっちゃってんだよ。 だって、上高地から土砂が流れていかないんだから。 河川管理の難しい問題なんだよね。 もう少し、川の生命を考えた時に下に(土砂を)流してやんのが 原理だよね。 更に昔ね、新潟港(※1)が焼岳の石が流れてきて 港を埋めちゃって困るってんで、 新潟県知事から是非一つ砂防をってんで産屋沢の堰堤(※2)を 作る事にしたんだ。 昭和12年から初めて20年で完成したんだ。 それで上高地はこれだけ堆積が進んだって事だね。 それで更に下流域の穂高やなんかのワサビ田では水不足(※3) っていう問題も起きているんだ。 そういう事も考えるとやっぱり(土砂は)どんどん流すべきだよね。   ※1 新潟港:梓川は信濃川として日本海に注いでいる。 ※2 産屋沢の堰堤:釜ヶ淵堰堤の事。上高地の土砂を留めて いる。 ※3 わさび田の水不足:上流で土砂が留まるので下流域では 川が深くえぐれる。 深い溝になるので川に水が集中し、川周辺のワサビ田の 水が不足してしまう。   NPG:田代池の水も実は飲めるって聞いたんですが 本当なんですか? 飲めるさぁ!!上高地の水は基本的にどこだって飲めるよ。 だって下水が全然流れ込んでないじゃないか。 ところで、この下水管理は全部私がやったもの

[20] 初夏の上高地○旧釜トンネル・釜上洞門へ続く道路 ( 長野県 ) - みのみのの「清流梓川のせせらぎ・上高地」 - Yahoo!ブログ, , http://blogs.yahoo.co.jp/minominofx66/1384481.html

新釜トンネル・北側坑口のある稜線沿いに下流側へ続く一本の道路があります。この道路が旧釜トンネルへと続く長野県道24号上高地公園線の旧道です。新釜トンネルが中ノ湯から産屋沢までいくつもの稜線の内側を突き進んでくるのに対し、旧道は釜ヶ淵と呼ばれる梓川の流路勾配が急激に大きくなる部分付近まで梓川の縁を走り、旧釜トンネルに進入します。

この旧釜トンネルを実際に歩いてレポートをされている方です。以前、国道158号線旧道「沢渡〜中ノ湯」レポートと同じ方で、私もこのジャンルに強い興味を持ちました。

[22] 城西駅 - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E9%A7%85

駅周辺[編集]

国道152号

遠州鉄道バス北遠本線(遠州鉄道西鹿島駅 - 水窪町)が駅前やや相月駅側から発着している。

水窪川のほとり

商店街は駅から離れており、水窪側に10分ほど歩くと、商店街、城西小学校などにたどり着く。

当駅と向市場駅の間に、「S型鉄橋」と呼ばれる橋(第6水窪川橋梁。飯田線の項を参照のこと)がある。

歴史[編集]

1955年(昭和30年)11月11日 - 国鉄飯田線の佐久間 - 大嵐間経路変更に伴い、新線上に開業。旅客駅。

1971年(昭和56年)12月1日 - 荷物の取扱を廃止。

1984年(昭和59年)2月24日 - 飯田線南部CTC化に伴い無人化。

1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。

2008年(平成20年)1月27日 - ホーム1面撤去、棒線駅となる。

隣の駅[編集]

東海旅客鉄道

飯田線

■快速(上りのみ運転)

佐久間駅 ← 城西駅 ← 水窪駅

■普通

相月駅 - 城西駅 - 向市場駅

関連項目[編集]

日本の鉄道駅一覧

豊橋 - 船町 - 下地 - (平井信号場) - 小坂井 - 牛久保 - 豊川 - 三河一宮 - 長山 - 江島 - 東上 - 野田城 - 新城 - 東新町 - 茶臼山 - 三河東郷 - 大海 - 鳥居 - 長篠城 - 本長篠 - 三河大野 - 湯谷温泉 - 三河槙原 - 柿平 - 三河川合 - 池場 - 東栄 - 出馬 - 上市場 - 浦川 - 早瀬 - 下川合 - 中部天竜 - 佐久間 - 相月 - 城西 - 向市場 - 水窪 - 大嵐 - 小和田 - 中井侍 - 伊那小沢 - 鶯巣 - 平岡 - 為栗 - 温田 - 田本 - 門島 - 唐笠 - 金野 - 千代 - 天竜峡 - 川路 - 時又 - 駄科 - 毛賀 - 伊那八幡 - 下山村 - 鼎 - 切石 - 飯田 - 桜町 - 伊那上郷 - 元善光寺 - 下市田 - 市田 - 下平 - 山吹 - 伊那大島 - 上片桐 - 伊那田島 - (大沢信号場) - 高遠原 - 七久保 - 伊那本郷 - 飯島 - 田切 - 伊那福岡 - 小町屋 - 駒ケ根 - 大田切 - 宮田 - 赤木 - 沢渡 - 下島 - 伊那市 - 伊那北 - 田畑 - 北殿 - 木ノ下 - 伊那松島 - 沢 - 羽場 - 伊那新町 - 宮木 -

[23] 横浜駅 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85

横浜駅 (よこはまえき)は、 神奈川県 横浜市 西区 にある、 東日本旅客鉄道 (JR東日本)・ 東京急行電鉄 (東急)・ 京浜急行電鉄 (京急)・ 相模鉄道 (相鉄)・ 横浜市交通局 ( 横浜市営地下鉄 )・ 横浜高速鉄道 の 駅 である [1] 。

JR東日本と京急の駅は 高島 二丁目に [1] [2] 、東急・相鉄・横浜市営地下鉄・横浜高速鉄道の駅は 南幸 一丁目にある [3] [4] [5] 。

概要 [ 編集 ]

横浜市の中心駅であり、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まる ターミナル駅 である。当駅には合計6社局が乗り入れており、2015年2月現在 一つの駅に乗り入れる鉄道事業者数としては日本最多となっている 。

現在の横浜駅は三代目であり、初代の「横浜駅」は 桜木町駅 に改称され、二代目の「横浜駅」は現在の横浜市営地下鉄 高島町駅 付近にあったが廃止された。

当駅は工事完成前に構内や駅周辺で次々と工事が行われるため、実質1915年に開業してから2015年2月現在に至るまで、一度も工事計画が完全に完成したことはない。このため、「日本の サグラダ・ファミリア 」と揶揄されている [6] [7] 。ただし、これは横浜駅のみに限った傾向とは必ずしも言えない。現在では駅ビルおよび駅周辺の大規模 再開発 事業が進行中( 2011年 〜 )である(詳細は「 #エキサイトよこはま22(横浜駅周辺大改造計画) 」を参照)。

2008年4月から、当駅に乗り入れている4者と横浜市や市民団体によって、当駅の俯瞰図・構内図・広域図・断面図に 点字 を施した「横浜駅さわる地図バリアフリーマップ」が配布されている [8] 。点字のないPR版もある。

乗り入れ路線 [ 編集 ]

以下の6社局が乗り入れている。JR東日本を除く各社局の駅には 駅番号 が付されているため、その番号も合わせて記す [2] [3] [5] [9] 。

JR東日本 : 各線(後述)

京浜急行電鉄 : 本線 - 駅番号「 KK37 」

東京急行電鉄 : 東横線 - 駅番号「 TY21 」

相模鉄道 - 駅番号「 SO01 」

本線

いずみ野線 (起点は 二俣川駅 であるが、早朝・深夜のごく一部を除く全ての電車が本線を介して当駅発着となっている)

横浜市交通局 : 横浜市営地下鉄ブルーライン - 駅番号「 B20 」

[24] ブラタモリで東京駅の地下にトンネル発見 ※ネタバレあり #未成道 #ロリ鉄 #東京駅 #ブラタモリ (2ページ目) - Togetterまとめ, , http://togetter.com/li/849555?page=2

どうも昭和40年代は幹線道路の交差点付近でアンダーパス空間の確保を行政指導されていたようで、記憶の中では港北NT各地(未完)や横浜市営地下鉄高島町駅(完成)とか。本件の委託工事で国鉄が営団に引き渡した構造物一式のうち、道路分は建設省(国道1号だから国だよね?)に行ったのだろうか。

[25] 車中泊でクルマ旅 ブログ 草津温泉に近い無料の天狗山第一駐車場<無料記事>, , http://pcamp.blog65.fc2.com/blog-entry-361.html

日本全国の道の駅や無料駐車場などの車中泊スポットと、人気温泉地・フォトスポット・グルメなどのクルマ旅情報を収録しているブログです。

2014 - 06/21 [Sat] - 05:27

暫定的な車中泊客の受け皿

早いもので、初めて車中泊で草津温泉を訪ねてから6年が過ぎようとしている。ご承知の通り、筆者は1年中日本各地をクルマで旅しているが、 草津温泉は「行くたびごとに、車中泊環境が悪化の一途を辿っている」珍しい温泉地だと思う 。

かつては 全ての駐車場での車中泊が許されていた道の駅 は、第一駐車場を残して夜間は閉鎖され、トイレが場内にあった天狗山第4駐車場も、それに呼応するように夕方には入口にロープが張られるようになった。

もっと遡れば、「大滝乃湯」の駐車場で堂々とキャンピングカーが寝泊まりをしていたのだが、今はもうそういう姿は見られない。もちろん経緯は「マナーの悪い車中泊客に対する地元旅館からのクレーム」に端を発しているのだろう。

天狗山第一駐車場は、そういう背景のもとに提供された「苦肉の車中泊スポット」と思える場所だ。おそらく草津温泉の無料駐車場では「最後の砦」だろう。ここが禁止になるようなら、道の駅も全面禁止を掲げざるを得なくなるだろうし、いよいよ車中泊のマナー問題は草津温泉だけにとどまらなくなる危機感を拭えない。超メジャー級の草津温泉がやるなら、うちもうちも… となし崩し現象に至る可能性は十分にあるだろう。 ちなみに…道の駅でも地元警察の調整により、「夜間駐車場の入場禁止」を実施している施設が四国にある。つまりやる気になればできる「前例」は既に実在しているのだ。  

さて… 問題はその居心地だが、見た目は広々としており、スキー場の駐車場にすれば比較的路面もフラットな方だろう。だがスキーシーズン以外の連休になれば、今もなお凄い強者がここにはやってくる(笑)。ここでなければマスコミが喜んでとりあげてくれそうな装いだが、今となっては改造以上に場所がマズイでしょ。

そして何よりトイレが遠い…

入口には道路向かいの公園内に設けられたトイレまで徒歩3分と書かれているが、体感ではもっと遠く感じられた。しかも夜間は路に灯りがないので迷いやすく、トイレが近い年代にはあまりお勧めではなかろう。

なお最寄りの温泉は西の河原露天風呂だが、ここは基本的に浸かるだけでシャン

[26] 道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム〜奈川渡ダム, , http://yamaiga.com/road/r158_midono/main5.html

2008/7/2 10:06 【現在地(別ウィンドウ)】

旧国道の踏査は奈川渡ダムまでの旧国道は解明された。

残りは現道を走るだけだが、個人的にこの現道は是非とも「語りたい」風景に満ちている。

私は廃道が大好きだが、それにも増して好きなのが、老体に鞭打って現役を続行しているような道路たちなのである。

今回は、そんな風景をたっぷりと堪能していただきたい。

カラフルにペイントされた松本駅前行きの低公害バスが、朽ちかけた坑門から勢いよく飛び出してきた。

こういう風景に、まずグッと来るー!!

トンネルナンバー「3」、大白川1号隧道、全長50.0mである。

『道路トンネル大鑑』(土木通信社刊)巻末の「隧道リスト」には、昭和40年竣工、幅員5.5mとある。

しかし、なぜかリストでは「大白川第二隧道」と記載されており、これはリストの間違いなのだろう。

それにしても、汚れた坑門だ (←褒め言葉) 。

廃道にあっても何ら違和感をおぼえないだろう。

いかにも後付けされたらしいロックシェッドで、ナンバー「4」、大白川2号隧道、全長187mにつながっている。

我々チャリにとっての安息の時は、まだ遠い。

道は、さほどの勾配ではないが、ずっと上り坂になっている。

何度も何度も車に追い越されながら、騒音の中を肩身の狭い思いをしながら進んでいく。

まもなく隧道脱出。

この景色が印象に残っている。

トンネルを出た道が先で折り返し、谷を挟んだ右奥に、今度は逆方向となって登っている。

この辺りは、隧道や橋をアクロバチックに織り交ぜた三次元的な線形になっていて、走っていて楽しい。

これでもう少し隧道が広ければ悠々と走れるのだが、まあ、隧道に入るとその都度キモチが引き締まるというのも、交通安全の役に立っているのかも知れない。

小雪なぎ隧道から始まった4連の隧道連続地帯が終わった。

振り返ると、隧道に向けて2車線が「ぎゅっ」と絞られている姿が目に余った。

…ああ、目に 余った ともよ。

ひどいなぁ この狭まり方!! イイヨイイヨーモットヤレ

大型車にとっての鬼門、大白川橋。

写真だと分かりづらいかも知れないが、このカーブはかなりきつい。

特に、中央部分が橋になっていて前後より狭いのが良くないのだろう。

この橋の前後でも、対向車が居る場合には大型車の一時停止が見られた。

[27] 道路レポート 梓湖に沈んだ前川渡(長野県道乗鞍岳線旧道), , http://yamaiga.com/road/maekawado/main.html

これを執筆している平成28(2016)年の夏は、関東地方を中心に降水量が不足しており、各地のダム湖で深刻な渇水が報告されている。

そんなニュースを耳にして思い出したのが、今から8年前の平成20(2008)年8月に訪れた、長野県松本市の奈川渡(ながわど)ダムのことだ。

私は何度がこのダムを訪れているが、このときほどに低い水位を目にしたのは1度きりだ。

今回は、そんな折に行った湖底での廃道探索の模様を紹介しよう。

「ダムある所に廃道あり!」

…という格言があるかは知らないが、アーチ式ダムとして本邦第3位の堤高155mを誇る奈川渡ダムは、諏訪湖の2倍の1億2300万立方mという貯水量を持つ梓(あずさ)湖を、昭和43(1968)年のダム完成と同時に誕生させた。

この巨大な湖は、かつて梓川の川縁を通行していた諸道を水没させ、トンネルばかりが幅を利かせる付替道路へ生まれ変わらせた。

今回紹介するのは、この梓湖に水没した道路のうち、 長野県道84号乗鞍岳線の旧道 (大野川〜前川渡間)である。

現在の地図を見ると、梓川の支流である前川沿いの県道乗鞍岳線は、前川が梓湖に注ぐ1.5kmほど手前で川縁を離れ、3本のトンネルと梓湖を渡る大きな橋によって国道158号と結ばれている。この交差点の名前を 前川渡 (まえかわど)といい、湖に沈む前からあった旧来の地名なのだろう。 (この付近には奈川を渡る所に奈川渡、前川を渡る所に前川渡、根木の沢を渡るところに沢渡(さわんど)といった独特の命名法則があるようだ。)

なお、前川沿いの付替道路は昭和41年に着工され、43年のダム完成時に開通したという記録がある。

一方、県道乗鞍岳線は昭和39(1964)年に初めて県道認定を受けているので、ここには “湖に沈んだ県道” があるはずだった。

多くの水没旧道がそうであるように、現在の地形図には影も形も見えないけれども…。

、ダム完成直後に発行された地形図、昭和47(1972)年資料修正版5万分の1「乗鞍嶽」には、「大野川」という文字のすぐ上でトンネルに入らず右に分岐して、そのまま湖に突っ込む道が描かれている。

合流すべき旧国道も完全に湖面下にあり、この旧道が果たしてどの位置まで辿る事が出来るのかは水位次第と思われたが、実際には水位以外にも探索を難しくする要因があることを、私は現地で理解すること

履歴

[29] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926422716718

メモ