今回は、「 廃線レポ57 横黒線(北上線)旧線 大荒沢駅跡 」 には、まだ続きがあった!
…というお話し。
湯田ダムが和賀川を堰き止めて生み出した錦秋湖の湖底には、国鉄横黒線(現JR北上線)の旧線が沈んでいる。
2014年の9月14日に、10年ぶりのダム点検に伴う特別な低水位となった湖底に出現した大荒沢駅跡を探索し、そこで木製改札柵の現存を確認したのがこれまでのレポートであった。帰宅後の机上調査と合わせ、駅跡の探索は完結した。
だが、私とミリンダ細田氏による現地での湖底探索は、終わっていなかった。
次に我々が目指した場所は、 大荒沢ダム跡 である。
大荒沢ダムは戦前の発電用ダムで、巨大な堰堤がそのまま湖に沈んでいる。
大荒沢駅とともに湖底のシンボル的な遺構だが、残念ながらこちらは完全には浮上しておらず、堤上路こそ水面上に現れていたものの、細田氏が期待するようにそこを歩いて対岸へ行くことは出来なかった。 (10年前はさらに低水位だったので、私はそれを実行している→ レポ )
大荒沢ダムを確認し終えた我々は、再び駅跡付近(上の地図の「現在地」の位置)へ戻った。
次の写真は、その時に湖底の上流方向、すなわち駅とその西側を撮影したものだ。
駅跡の探索は既に終わっているが、何度見ても素晴らしい眺めだ。
これを見て心を躍らせぬ“遺構好き”は、まずいないとさえ思える。
普段は湖水という不可視のヴェールに覆い隠された存在が、永い時を空けて忽然と姿を現している。
地上にあれば絶対に免れない草木の繁茂や沢水の流入などによる風化も、湖底の10年は非常に緩やかにしか進行させない。
そのことは、湖底の生命乏しい静謐の世界を想像させるに十分だ。魚類くらいはいるのだろうが、そんな息吹も今は感じられない。
おそらくまた10年後の2024年には再浮上するであろうが、その時を逃せばまた10年。人にはかなり限られた回数しか見る事が出来ぬ眺めといえる。
はっきり言ってしまえば、どんな観光名所なんかよりも見るべき貴重な存在と思うが、過大に宣伝されることも無いから、ほとんど足跡も付けられぬまま再び暗い水の底へ帰っていく。それがまた堪らなく愛おしいのである。
昭和37(1962)年に新線に切り換えられて廃止された横黒線の旧線は全部15.4kmもあり、そこにあった和賀仙人、大荒沢、陸中大