ドルノド県

ドルノド県

[1] ドルノド県

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[2] Baasan Online チョイバルサンの歩き方, , http://baasanonline.blog.fc2.com/blog-entry-96.html

モンゴル最東端に位置するドルノド県チョイバルサンで活動しているチョイバル隊員による街案内です。(つい先日新隊員を迎え、総勢5名になりました!) 高台からの景色 〈チョイバル暮らし〉 (文=平成25年度2次隊 武政太(たけまさ・ふとし) 職種:理学療法士) ドルノド県の県都チョイバルサンは首都ウランバートルから東へ約660キロ、飛行機で約1時間半、バスで12時間から15時間ほどのところにあります。人口は約5万人。モンゴルで4番目の規模です。インフラは比較的安定していて、停電や断水はほとんどありません。 スーパーも数多くあり、それなりの規模のザハ(市場)もあります。韓国料理、中華料理のレストランはありますが、日本料理のお店はなく、日本の調味料などもあまり手に入りません。しかし、Wi-Fiのあるカフェもあり、日本人にとってそれほど住みにくくない場所です。 ちなみに、昼間から酔っぱらっている人をよく見かけます。仕事がなくて昼間からお酒を飲んでいる人も多いようで、酔っぱらい同士がけんかをしているところを見ることもたびたびあります。[武政] <チョイバル特産> (文と写真=平成25年度1次隊 苅谷いづみ(かりや・いづみ) 職種:小学校教諭) チョイバルサンの特産品といえば、小麦粉工場「ドルノドゴリル」社の製品。ここドルノド県で現在唯一営業している工場です。昔は、近郊でウランが出て、炭鉱で栄えていました。ロシアが作った絨毯や羊毛の工場等もありましたが、現在は小麦粉工場だけになりました。当時作られた鉄道は、ウランバートルではなくロシアに続いています。(現在は貨物運搬のみ) ドルノドゴリルが出している小麦粉やパン、麺はこの辺り一帯の商店に並んでいます。次に多いのが、ブリヤートパン。(もちもちしていて結構おいしい。ドルノド県にはブリヤート人* が多く住んでいます。) *ブリヤート人:ロシア連邦やモンゴル国、中華人民共和国に住むモンゴル系民族 ドルノドゴリルの小麦粉 また、はちみつで作ったクッキーがドルノドの土産品として出されています。(←これまた美味しい♪)ドルノド県産のヨーグルトをはじめとした乳製品は新鮮で、値段も安いです。(冬は見かけませんが・・・) ザハ(市場)やスーパーで地産の食材を見ると、つい手が伸びてしまう…これも地方隊員の楽しみの一つです。 はちみつのクッキー [苅谷]

[3] Чойбалсан(チョイバルサン) : 世界はこんなにおもしろい, , http://sunnynao.exblog.jp/22621784/

気がつくともう12月…モンゴルへ来てから2ヶ月が過ぎようとしています(* & *;)早い〜。

モンゴルは12月になってより寒さがひどくなっており、昨日や今日の朝などはなんと…

こんな状態に!!白い糸みたいなのは帽子の毛糸などではなく、全部髪の毛です。

自分の吐く息が髪の毛についてそれが凍るという(> <)

おもしろいんですが…やっぱり寒いです。

それもそのはず天気予報を見てみると、12月1日はこんな気温。

モンゴル語がまだまだなので見学している授業の細かい所は分からないし、

自分で何かやるにはもっと時間が必要ですが、

まぁ…これからだと思っています。活動の詳細などはまた別の機会にアップしようと思います。

さて前回の更新からめちゃくちゃ時間が過ぎてしまいました。

なんと1月近くほったらかしに…(_ _;)毎日書いてた頃が不思議に思えます。

今はあの頃よりも時間はあるはずなんですけど。

いろいろ書きたいことがありすぎて何から書こうかめちゃくちゃ悩みますが、

とりあえず、私の任地はどういう所なのかということをお伝えしようと思います。

そして…「一度にたくさんのことを」ではなく、「少しの情報を何回も」アップしようと思います。

いつも長すぎるのでねf^ ^;)では始まり始まり。

私の任地はモンゴルの東方ドルノド県の県都『チョイバルサン』。

(任地の情報と言ってもWikipediaで調べるか、地球の歩き方を読むぐらいなものなんですがf^ ^;))

名前が日本人からするとチョイ・バルサンとしたいところですが、違います(笑)

革命家の名前をたたえてつけられた名前で、もとは人の名前だということです。

そしてこれが正式名称だと思っていたんですが、

行政上の正式名称はヘルレン郡というらしい…

そういえば日本から荷物を送ってもらうのに書いた住所はKherlen soumって書いたなぁ。と。

住所にチョイバルサンって出てきません。なんかややこしい気がしますがf^ ^;)

初めてチョイバルサンへ来た11月1日、飛行機から写真を撮りましたが、

町はこんな感じです。

今となっては何かわかる建物も多いし、自分のアパートがどれかも見てわかるんですが、

最初に見たときは何が何やら全くわかりませんでしたf^ ^;)

で、この飛行機からの写真を見てもど

[4] 「モンゴル・ノモンハン戦跡研修」, , http://www.goyuren.jp/mongol/mongol21.htm

海外研修報告

草原の戦跡を訪ねて(2)

常務理事 高橋 義洋

モンゴルの大草原、道なき道を3百キロ走破

首都ウランバートルから約6百キロ、モンゴルの最東端にあるドルノド県(北はロシア、東と南は中国と国境を接している)の県都チョイバルサンを出発して一路東へ3百キロのキャラバンが始まったのは6月27日13時50分であった。

その日、ウランバートルから1時間20分程のフライトで到着したチョイバルサン空港は一面に短い草がまだらに生えた平地の中にあって、見渡す限り360度地平線が遙かに見える。

これが滑走路かと疑問に思えるような荒っぽいコンクリート舗装、辺りには航空機の掩体と見られるものが散在している。

聞けば、この空港は元来ソ連軍により作られたもので、1990年の民主化までは約1万人のソ連軍がチョイバルサン一帯に駐屯していた(町の郊外に、当時のソ連軍が使用したであろうそれらしき施設の残骸がかなり広い地域に残っているのを見た)という。

そうだとすれば、あの掩体は中ソ対立厳しい頃、中国の攻撃に備えたものであろうと納得。

空港に我々を迎えたのは7両の四輪駆動車(トヨタ・日産各1両の他はロシア製の車両)の車列、全員分乗して空港から15分ほどの市内のホテルへ向う道路の状況は、四輪駆動車が出迎えたことを納得させるにふさわしいものであった(尤もその後のキャランバンに比べれば、序の口とは後で気付いたこと)。

チョイバルサンの町は人口3万というが、広い平原にまだらに集落が散在するような寂しげな町で、それでもさすがに中心部にはちょっとした街並みがあり一応設備の整ったホテルもある。

昼食を摂ったホテルの従業員に尋ねると「日本人を見たのは初めてだ」とのことで遥々着たかの感を強くした。

町のはずれに遠くウランバートルの北東部から延々と流れてきたヘルレン河がある。

この水が更に東進してハルハ河と合流し、中ソ国境のアルグン河更にアジア最大のアムール河となって太平洋に注ぐ、なんと4千5百キロの流れかと考えると気が遠くなる思いがする。

この町はチョイバルサンの出身地ということで名付られた。

チョイバルサンは1920年、スヘバートル(既述)等と共にソ連政府に選ばれてモスクワで共産主義の洗脳を受け、後日モンゴル人民革命(1921年)を指導した七人の一人。

スヘバートル(人民軍総司令官)の死

履歴

[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926416592314

メモ