紀勢本線

紀勢本線

[1] 紀勢本線

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[2] ミニレポ第219回 和佐駅近くの不思議廃橋, , http://yamaiga.com/mini/219/main.html

【周辺図(マピオン)】

和歌山県日高川町の紀勢本線は和佐駅近くの交差点に、この写真の青看が立っているのを、通りがかりに偶然見つけた。

<何が珍しいって、1枚の青看に、連番になっている3本の県道番号が表記されていることである。

似たケースは、群馬県長野原町の羽根尾交差点が、連番である国道144号、145号、146号それぞれの起点になっていて、このような場所は日本唯一であるとして道路ファンによく知られているし、現地にはそれを記念した標柱さえ立っている。

対してこの日高川町の和佐駅近くの交差点の場合、国道ではなく県道で、かつ3路線の起点というわけでもない。右図の通り、ここが起点なのは県道193号だけで、他は通過地点に過ぎない。

しかしそれでも青看に3つの連番が並んでいる風景というのは珍しく、個人的には前出の羽根尾の他では目にした記憶が無いのである。

貴方がご存知の、このような青看があったら、ぜひご伝授頂きたいのである。

…という話は、実は本編とは関係が無かったりする。

本編で紹介するのは、この珍しい青看がある交差点から県道192号を140mばかり南下した所でこれまた偶然に発見した、小さな廃橋である。

それでは、さっそくご覧頂こう!

2015/7/28 16:34 【現在地】

はい、奥に見えているのが冒頭で紹介した青看で、ここはそこから南に140m離れた県道192号上だ。

道路に沿うように、左側に細長い築堤が見えるが、紀勢本線である。

この地点に立ったまま、線路がある左の方を向くと、問題の廃橋がある。

こんなふうに↓

ゴミ収集場の奥に、線路の方へと延びていく、低い築堤があるだろう。

そこに欄干も見えていて、明らかに使われていない“廃橋”があるのが分かるのだが、逆光のせいもあって、写真だと特にこのアングルからは分かりづらい。

ちょっと位置を変えて撮影し直したのが、次の写真だ↓

線路に向かって延びる低い築堤に、 小さな廃橋がある!

位置的に、その先には明らかに線路との平面交差(踏切)があったはずだが、ここから見てもそういう設備が無いことは分かるだろう。

また、手前もゴミ収集場のところで「ガクッ」と段差になっていて、本来あるべき路面は、築堤の土ごと削り取られてしまっているようだ。

総じて、前後に一切の道が通じていない全く無能の廃橋と化していて、たいし

[3] 天王寺駅の怪 完結編-ついに天王寺駅の謎が暴かれる!?【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅へ, , http://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/2017/10/14/203559

数ヶ月前、 JR阪和線 天王寺駅 の謎について記事を書きました。

parupuntenobu.hatenablog.jp

parupuntenobu.hatenablog.jp

自分でもかなり力を入れた記事でしたが、その熱量がインターネット回線を通して伝わったか、かなり好評でした。正直、スターや はてブ などの数以上に反響があります。

これからの内容は、上の前編と後編を完読という前提で書いていくのですが、両方とも後でゆっくり読めばいいんじゃないの!?と気軽に書いてみる。

この中で、 天王寺駅 のホーム下に今でも眠っているだろう、地下通路の話を書きました。詳しくは上のリンクの 後編 をご覧下さい。そこで、

「地下通路の事をご存知の方、こっそり連絡下さい」

というメッセージを発信したのですが、ありがたいことにそれを受信してくれた方が複数いらっしゃり、貴重な情報を入手することが出来ました。こちらにて改めて御礼申し上げます(-人-)

阪和線 天王寺駅 の事は、前編後編で書き尽くした!終わり!これだけ書いたら十分やろ!と自分では思っていました。

しかし、まだ終わってはいなかった・・・たかが 天王寺駅 、されど 天王寺駅 。 天王寺駅 は実に、実に奥が深い。

これで 天王寺駅 の謎がすべて解ける。「帰ってきた 天王寺駅 の怪」のつもりで、実家への 淡路島の野菜運搬 帰省のついでに再び 天王寺駅 へ。

予告しておきますが、ここから、すごく長くなります(笑

新たに生まれた 天王寺駅 の謎

実地調査のために、時間をかけて入念に現場を歩いてみました。電車に乗るわけでもなく (結果的には実家帰省のために乗ったので切符は持ってますよ) 、何時間もホームをキョロキョロしながらウロウロする私、明らかに不審者です。特に、今はほとんど使われていない降車ホームの5~6番線は人ひとり立っておらず、だだっ広いホームに自分ひとりがポツンと、それも上を見、下を見、キョロキョロしながら歩いていたら、駅じゃなかったら警察に通報され 職務質問 されるレベルだと自分でも思います。

それはさておき、ホームを俯瞰して見てみると、

「あれ?なんで今までこんなことに気づかんかったんやろか?」

という不思議な風景に感づくことに。

天王寺駅 ホームの3面を写真にアップしてみます。

これは 7~8番線 。

こちらは、現在は降車専

[4] 道路レポート 国道311号旧道 梶賀の計画変更ルート, , http://yamaiga.com/road/kajika/main.html

南紀といえば、連続殺人がすぐに思い浮かぶ私は、サスペンスドラマ好き。

おそらく南紀にお住まいの方々には不本意であろう私の連想はさておき、南紀、すなわち、紀伊半島の南の方のエリアをヨッキれんがフミフミしたお話しである。

南紀における最初のレポートは、熊野灘のリアス式海岸が織りなす山海に取り残された、国道改修計画変更の名残り道をお伝えしたい。

まずは右の地図で本物件周辺の交通網の概観を確認していただきたい。

舞台は、三重県尾鷲市と三重県熊野市の間である。

この沿岸の2市を結ぶルートは、鉄道1本と、国道が3本(2路線)ある。

すなわち、鉄道は紀勢本線で、国道は国道42号の現道、国道42号の自専道である熊野尾鷲道路、そして国道311号である。

熊野尾鷲道路は2013年に地図の区間が全通したばかりで、長らく国道42号と国道311号の2本が頑張ってきたのであるが、この2本には明確な性格の違いが見て取れる。

国道42号は、名にし負う難所である矢ノ川(やのこ)峠越えを2本の長大トンネルでクリアすることで、比較的短距離に熊野尾鷲を結ぶ代わりに、海岸部に点在する数多くの集落をスルーしてしまった“速達ルート”。

対して国道311号は、リアス式海岸の浦々に抱かれた集落を漏らさずに巡り、最終的には熊野尾鷲を連絡する、“生活ルート”である。

理想的には、この2つが同時に整備されれば良いのだろうが、現実的にはそうはならず、昭和43年に国道42号が矢ノ川峠の改築を終え、ひとまず速達ルートとしての面目を得た後も、国道311号の整備はなかなか進まず、その結果として、“酷道”として有名になってしまう事態となった。

左の写真は、国道311号に残る“酷道”風景の代表的場面とされる、熊野市甫母(ほぼ)の海際ギリギリの1車線&ガードレール無し区間だが、これでも車で通行出来るのは良い方で、国道311号の尾鷲熊野間約50kmには、近年まで車道がない区間が残っていたのである。

最後まで未開通だったのは、案の定と言うべきか、市境にあたる区間であった。

現在の地名でいえば、尾鷲市曽根町と熊野市甫母の間である。

ここには熊野古道が越えた曽根峠の山脈が熊野灘へ迫り出していて、山に矢ノ川あるならば海に曽根坂ありとでもいいたくなるような難所だったみたいだ。

まあ、開通が遅れた原因は険しさばかりではなく

[6] 亜洲鉄道日記 : 1999年 インドシナ雲南鉄道の旅 12, , http://blog.livedoor.jp/asianrailroad/archives/685473.html

月曜日と木曜日に定期更新。亜洲鉄路(アジアの鉄道)の日記です。中国と日本の鉄道が主になりますが、そのほか近辺の国の鉄道・飛行機の写真を載せています。

旅行をした年も記載していますが、古い旅行の写真も入りますのでこの日記を参考に旅行をされる方は充分に現地に確認して下さい。

下の写真をクリックすると目次が開きます。

「2000年1月1日 滇越鉄道 ベトナム〜中国 国際列車 5121次 6」                     その後は車内でしばらくボケ〜〜〜っとしていました。あまりにも静かで車庫の中にいる車両に間違えて乗っている気分です。しばらくすると入れ替えが再び始まり、写真のようなベトナムの小型ディーゼル機関車が2両の国際客車を牽く小さな編成になりました。これが国際列車と言われても、イメージが程遠いです。編成が完成すると機関車のエンジンが止められて、機関士もどこかに行ってしまいました。時刻表での出発の時間は9:20。1時間くらいあります。 ベトナムのラオカイから中国の国境の町の河口までの間は5121列車という列車番号になります。番号のパターンからこの国境超え区間はベトナムの列車として扱われるみたいです。 9:20になると、定刻ですが発車の合図も前触れも無く突然列車は動き出しました。時速約20キロ程度、警笛を鳴らしながら子どもが遊んでいる庭先をのんびりと進んでいきます。次の停車駅は中国であることを全く思わせません。 列車が一旦停止しました。国境です。モンゴルのときのようにものものしさは全く無く、1分くらい停車すると汽笛一声、再び列車は動き出し国境の川の南渓河を渡り始めました。この橋は幅7メートルの鉄道道路併用橋で、列車が渡る時間帯は人や車はシャットアウト。ゆっくりゆっくりと列車は橋を渡ります。 橋の長さは200メートルです。渡り終えた瞬間、中国に入った!と思いました。まず目についたのは人の多さ。橋の入口のところには沢山の国境の行商人が国境が開くのを待っています。すごい人の数。その人たちは蹴散らすように列車はその中を割り込んで行きます。鉄道の標識も漢字になりました。橋を渡るとすぐにトンネルがあります。トンネルの中で右への急カーブになっていて、抜けると河口駅。ベトナムと中国との間には1時間の時差があるので1時間時計を進めて10:30に定刻に到着しました。 列車が到着す

[8] 道路レポート 和歌山県道213号 白浜久木線, , http://yamaiga.com/road/wpr213/main.html

【位置(マピオン)】

和歌山県道213号白浜久木線 は、紀伊半島の南部、白浜温泉で有名な白浜町の山間部にある、全長約11kmの一般県道である。

同町内の庄川(しゃがわ)地区と久木(ひさぎ)地区を山越えで結んでおり、峠は 庄川越 という。

(峠の東側の日置川流域は平成18(2006)年まで日置川町に属していたが、合併によって白浜町の一部となった)

しかしこの庄川越の県道だが、市販されている道路地図帳を見ると、全線のうち県道の色が塗られているのは起点側の3kmほどだけで、全線の4分の3近い区間は、無着色の破線や細線で辛うじて描かれているだけである。いわゆる“不通県道”として表現されている。

右の画像は、最新の地理院地図である。

ここでは県道の全線がちゃんと県道の色(黄色)で塗り分けられている。

そして、その道の描かれ方をよく見てみると――

――起点の「庄川口」から3km地点の「出合」集落までは、「1車線の道路」の記号で描かれている。ここまでは市販の道路地図帳でも県道である。

その先は、「軽車道」の記号である細線がひょろひょろと伸びて、そのまま峠を越えて旧日置川町側まで達している。

だが、「出合」から約5km(峠から1.5km)の地点で記号は「徒歩道」に変わり、終点の「久木橋」手前まで約2kmが、地図上の道として最も脆弱な表現をされている。

最後は0.5kmほど「軽車道」の区間を通って、ゴールである。

地図に描かれた道は全体的に等高線に対し従順で、いかにも車道っぽく見えた。

オブローダーとしての勘が働く。

約2kmの「徒歩道」区間の存在が不安ではあるが、 自転車で完抜出来たら、なかなかに楽しめそうだ。

そんなわけで探索に行ってみた。

探索日は、今からほぼ1年前の平成28(2016)年1月9日である。

進行方向は、起点から終点だ。

2016/1/9 6:52 【現在地(マピオン)】

今回の探索、目標とする走破の距離が結構大きいうえに事前情報もほとんど無い状態だったので、時間に最も余裕を持てる朝一からの探索とした。

現在地は、夜明け直後の紀勢本線は紀伊富田(きいとんだ)駅だ。

いまは輪行袋に入った自転車と共に、普通列車を降りたところである。

これから自転車に乗り換えて県道213号の起点を目指す。

出発進行!

7:22 【現在地】

途中のコ

履歴

[10] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926391857582

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