かつて東京には飛鳥山と並び称される桜の名所があった。
それが玉川上水の小金井桜である。
駅でいうと、中央線で吉祥寺の先にある「武蔵小金井」が最寄駅となる。
この玉川上水沿いの桜が名勝として知られていた時代があった。江戸時代から戦前までの時代だ。
その当時の賑わいを知る人にたまたま話を聞く機会があったのだが、なんと当時の花見では「毎年4、5人は死んだよ」という。
詳しく話を聞いてみることにした。
歌川広重の浮世絵にも描かれた名勝・小金井桜とは
小金井桜とは江戸時代に玉川上水の堤に植えられたおよそ2000本のヤマザクラのこと。
当時は歌川広重に浮世絵で描かれるなど多くの文人・歌人に愛された。
明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であり、大正13年には国の名勝にも指定された。
昭和初期の観光ブームの時には、西武新宿線の数少ない観光スポットとして臨時駅まで誕生した。
そんな大人気だった小金井桜だが、今は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。
それでは2004年に、玉川上水のそばの釣り堀で偶然話を聞いた84歳のおじいちゃんとのやりとりをお伝えしようと思う。
命がけだった昭和の花見
-小金井桜って昔は有名だったんですよね
「そうだよ。私が小さい頃は4月になると人で歩けないほど多かったね」
-小さい頃っていつ頃ですか?
「私が大正10年生まれだから、記憶にあるのは昭和の始め頃の話」
-だいぶ古いですね
「そうだね。小さい頃から凄かったけど、この辺りに西武線が開通してからよけいに人が増えたね」
-西武新宿線の開通が昭和4年でしたよね
「そう、その少し後に中央線が開通してそっちからも人が来た。あの頃はさ、みんな仮装して花見に来るの」
-仮装? どんな仮装ですか?
「侍とかひょっとこのお面とか被って来る。あれは電車の中から仮装してたのかなぁ・・・。侍の仮装をした人もさ、持っている刀が本物だった」
-本物?
「そう。あの頃は銃刀法違反もないから本物だったよ。そんで喧嘩になると、それを抜くんだよね」
-えっ! 死んじゃうじゃないですか?
「そう、昔の喧嘩はさ、半端じゃなかったからね。一升瓶で殴ったり、耳をちぎったりして、みんな喧嘩っ早いしね。だから毎年花見の時はこの玉川上水で溺れ死ぬ人も含めて4、5人は死んでた」
-花見で死人が出るんですか?