板門店

板門店

[1] 板門店

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[2] 2日目:板門店ツアー〜一瞬だが北朝鮮領に入る, , http://xn--vcsw75aw6zh8m.biz/entry4.html

朝鮮戦争の結果、韓国と北朝鮮は38度線付近で国境線が引かれることになったことは歴史の授業なんかで教わったことがあると思う。国境の両側2kmは非武装エリアとされ、韓国軍(国連軍)と北朝鮮軍が相対することはないが、唯一板門店だけが、両軍が睨み合う場所となっている。ここは南北対立の象徴的な場所でもあり、韓国と北朝鮮の会談が行われる重要な場所でもある。 そんな剣呑な場所であるが、驚くことに外人向けの観光地になっていたりする。

海外旅行全般に言えることだが、韓国旅行でもなるべく日本で経験できない貴重なことがしたい。ベルリンの壁もとっくに無くなった今、数少ない冷戦スポットを見物出来るところはほとんどあるまい。だから板門店には是非行ってみたいと思っていた。

とはいえ、個人では行けないので日帰りツアーに参加する必要がある。この板門店ツアーはいくつかの会社で取り扱っているが、俺は大韓旅行社(KTB)を利用した。事前に日本から予約をしておいた。予約はHPから日本語で簡単にできる。支払いは現地ですることになる。77,000W(7700円)の昼飯付きなので、それほど高いとは思わない。

そして当日9時前、集合場所のロッテホテル6階のKTBオフィスに到着。受付のお姉さんは日本語がうまかったのでスムーズに受付が終了した。 9時半にバスで出発。参加者は英語ガイド組と日本語ガイド組に分かれてバスに乗車。英語組は30人ぐらいだったが、日本語組はたった6人。日本語のガイドさんも最近は日本人が減っていると言っていた。

まず、板門店に行く前に戦争記念館に立ち寄った。ここは朝鮮戦争に関する博物館だ。俺は戦史が割と好きなので興味深かったが、40分ぐらいしか時間がなかったので半分も見ることが出来なかった。

次はバスで板門店に向かう途中に昼飯。プルコギだったがこれは美味い。あっという間に完食。

次は臨津閣というところで望拝壇と自由の橋を見物。ここも朝鮮戦争に関する史跡だ。

そしていよいよ板門店へ。途中国連軍(アメリカ人と韓国人)に2回パスポートチェックをされた。向こうも観光と分かっているのに厳重である。 また、敵(北朝鮮軍)の挑発により身体・財産の被害を被った場合の補償は請求できない、という書類にサインを求められた。

さらにバッジを渡され、常に胸に付けるように言われる。バッジを見ると俺達は国連軍のゲスト、と

[3] 韓国鉄道の旅南北軍事境界線非武装地帯都羅山展望台とソウル市内南山, , http://www.geocities.jp/tabinosyasoukara/dmz4.html

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北朝鮮を望む 都羅展望台

DMZ資料館の駐車場を出たバスは、すぐ近くの小高い丘に通じる急な坂道に向かいます。登り切ったところにあるのが 都羅展望台 です。

建物の中は、劇場のように階段状になった座席ががあり、その前方は大きなガラス張りで、 非武装中立地帯 とその向こうに広がる 北朝鮮 が一望できます。兵士が監視にあたっており、中に入ったとたん韓国語に続いて日本語で“写真は撮らないでください”と声がかかりました。

前面のガラスの前には前方の風景の 模型 があります。韓国語の説明のあとで、流暢な日本語を話す兵士に交代して、模型を差して板門店や北朝鮮の施設を説明してくれます。

建物の外に出ると、コイン式の 双眼鏡 が並び北朝鮮を間近に見る事が出来ます。500ウオン硬貨の持ち合わせがなかったのですが、端の2台は監視業務用でコインを入れなくても見ることができます。韓国語は読めないし、英語もわからないふりをして使わせてもらいました。

正面に北朝鮮の 開城の街 、韓国と共同開発の 開城工業団地 、右手には北朝鮮の国旗が翻る 宣伝村 、さらには 板門店 まで一望の下に見渡すことができます。 この双眼鏡のある場所は撮影禁止ですが、そこから3m程のところの床に引かれた黄色い線の後ろ側なら可能です。北朝鮮に向け、カメラを両手で高く掲げシャッターを切ります。

展望台の丘から降りたバスは近くの村の食堂に立ち寄り、昼食の休憩をとった後、都羅山駅に戻ってDMZツアーは無事終了です。再び京義線の列車に乗ってソウルに戻ります。帰りは、もう臨津江駅での途中下車はありません。

ソウル駅のムグンファ号

ソウル駅に発着する列車の写真を撮っていたら、停車中の ムグンファ号 の編成に 食堂車 が連結されているのに気付きました。今や日本では、本州から 札幌行きの夜行列車のみとなった食堂車ですが、ここ韓国ではKTX開業後も、数は減ったとはいえ長距離を走るセマウル号やムグンファ号では営業しているようです。

[5] 中朝友誼橋 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9C%9D%E5%8F%8B%E8%AA%BC%E6%A9%8B

Cho-Chung uŭikyo

Amnokkang ch'ŏlkyo

Jo-Jung uuigyo

Amnokgang cheolgyo

中朝友誼橋 (ちゅうちょうゆうぎきょう)は 中華人民共和国 遼寧省 丹東市 と 朝鮮民主主義人民共和国 平安北道 新義州市 を結ぶ 橋 で、中国側の正式名称は 鴨緑江大橋 で [1] 、以前このように呼ばれていた時代もあった。 鴨緑江 に架かる全長946.2 m 、橋脚12の 橋 である。下流側を 鉄道 、上流側を 道路 が通る 鉄道道路併用橋 である。

1990年 10月 に中朝両国の合意に基づき現在の橋の名前となる。鴨緑江大橋(中国側)・鴨緑江鉄橋(朝鮮側)などとも呼称される。 アジアハイウェイ1号線 の一部となっている。

概要 [ 編集 ]

橋の上には 道路 や 線路 ( 単線 )が通っており、有効な出入国書類( パスポート や ビザ 、 中朝辺境地区出入境通行証 など)があれば、 自動車 や鉄道で中朝国境を行き来できる。なお原則、 歩行者 が歩いて橋を渡ることはできないため、後述の タクシー を利用することになる。

中朝友誼橋を通る鉄道には 旅客列車 ( 北京 - 平壌 間の 国際列車 、列車番号:(中) K27/K28 (朝)6/5又は丹東 - 平壌間)が毎日定期運行(朝鮮行きは朝、中国行きは夕)されており、 貨物列車 も毎日運行されている。時刻表上で所要10分である。ただし丹東・新義州両駅では入国審査・税関検査などのための停車時間が非常に長い。

また、中朝双方の 税関 には国境間のみ営業を許されている特別な乗り合いタクシーがあり、 行商人 や旅行者が利用することができる。政治的な事情、特殊な事情がない限り、双方の 国境 は 国慶節 や 旧正月 の時期でも完全に閉鎖されるということはなく、土日も含め、 中国標準時 の8時頃から17時頃( 平壌時間 +30分)まで開いている。

[6] 日本と国交がない国々(台湾、北朝鮮、パレスチナ、クック諸島、ニウエ、モナコ), , http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/kokkou.html

台湾(中華民国) 存在自体を認めていないので、国交がない国

台湾と国交がある国:23ヵ国 中国と

国交がある国は172ヵ国

国連:かつて加盟(安保理常任理事国)、1972年に追放

台湾の地図 大陸沿岸の「*マーク」のついている島々(金門=ケモイ、馬祖

=マーツーなど)も台湾政府が支配中

日本

と国交がない国の代表格といえば、まず台湾。台湾は明らかに「領土、国民、政府」が揃っているのになぜ国交がないのかといえば、 日本政府は台湾という国が存在することを認めていない から。 台湾は中国の一部だから独立国ではないということになってい る。

じゃあ 台湾政府自身はどういう立場なのかといえば、やはり台湾は中国の一部 だ

から台湾という国は存在しないとい う。でも、その「中国」とは日本政府が言うのは中華人民共和国だが、台湾

政府が言うのは「中華民国」だ。

中華民国とはすなわち台湾政府のことで、主張する領土は台湾はおろか中華人民共和国より

広く、モンゴルも含み(だからモンゴルという国も存在しない)、さらにシベリアの一部(ロシア領のトゥバ共和国)、アフガニスタンやタジキスタンの一部( パミール地方 )も含んでいて、 首都は台北じゃなくて南京 (台北はあくまで臨時首都)。

「あれ、中国の首都は北京じゃないの?」と思うでしょうが、台湾政府によれ ばこの世に北

京(ペキン)という都市は存在せず、 北平(ペピン)という町ならある そ うな。。。。

中華民国全図 台湾政府が

公式に主張している領土。広いですね。

中華民国行政区画及領土糾紛全図 台湾政府が領有権を争っている地域。南京

は「法定首都」、北京は「北平」になっています。

国土と国民 台湾政府の公式サイトでの説明。2006年末に削除されたもの

の復元サイト(日本語)

ゲリラが国土の大半を支配?

一体どういうことかを理解するには、 政府軍と反政府ゲリラの関係 を考えれ

ばわかりやすい。内戦が勃発して領土の一部を反政府ゲリラが支配している国は世界中あちこちにあるし、反政府ゲリラが新たな革命政府を作って、1つの国に

2つの政府が存在しているケースもある。場合によっては反政府ゲリラが国土のほとんどを占領してしまい、首都もゲリラの手に陥ちて、政府軍は国土の片隅に

臨時首都を作って抵抗を続ける・・・ということだってあ

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926375447010

メモ