ウチナー生まれ、ウチナー育ちのわたしが、大好きなこの島で思った事や日々の出来事をつらつらと綴っていきます。
三山統一を果たし、琉球王国を築いた尚巴志(しょうはし)。
1406年(34歳)に武寧を倒して中部を制圧し、1416年(44歳)に今帰仁城を攻略して北部を支配下に入れ、さらに1429年(57歳)に南部を手に入れて全島を制圧しました。
それからは首里城を王都とし、王国繁栄の土台を築きました。
尚巴志が死んでからは王位継承戦争がたびたび勃発。
そして1469年に重臣の内間金丸(うちまかなまる)を中心とする勢力がクーデターを敢行し、金丸が尚円(しょうえん)を名乗って即位します。第二尚氏のはじまりですね。
金丸派のクーデターで先王たちの墓は焼き払われました。そこまでする金丸派のやり方に良いイメージはありませんが。
尚巴志の2人の家臣、屋比久之子(やびくぬしー)と平田之子(ひらたぬしー)は、首里から読谷村まで遺骨を運び出し、山中に隠し墓を造ったと伝えられています。
お墓の場所は大体このへんと聞いていたのですが、本当にこの場所で当たっているのか不安な中での運転でした。
読谷村伊良皆交差点近くの米軍弾薬庫基地内にありますが、黙認耕作地のエリアになっています。
米軍基地の入り口左の細い道を進むと10分程行った所に墓標発見!
平田大一さんの舞台、「翔べ!尚巴志」はこの場面から物語が始まるのです。
私が琉球の歴史に興味を持ち始めたのも、「現代版組踊り」に出会ってからなのですよ。
足跡をたどる旅で、私も歴女の仲間入りです(笑)
脇の小道をトコトコ歩いていくと、ありました!尚巴志のお墓です!
すみません。感動でブレブレです(笑)
第一尚氏王「尚思紹(しょうししょう)」のお墓は航空自衛隊知念分屯基地内、「佐敷ようどれ」に祀られています。
尚巴志のお墓の近くに、綺麗な水が湧き出ているカーがありました。
ふと、森を見上げると、小さな小道発見。
上っていくとそこには屋比久之子と平田之子のお墓がありました。
死んでなお、尚巴志をお守りしているのですね。
私はこみ上げてくる熱い思いに、空を仰ぎました。