大佐飛山

大佐飛山

[1] 大佐飛山

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[2] , , http://homepage2.nifty.com/Yukita-jj/102-yama_repo/y003-o_sabi_haitai/o_sabi_haitai.html

◇山登り◇

那須塩原市

大佐飛山 敗退

横川〜瓢箪峠(泊)〜名無山〜鞍部(往復)

2011年9月28-29日

uzura, 黒yasu & 爺

(時間は参考にしない事)

魑魅魍魎が集う粋妖怪で(無雪期の)大佐飛山登頂の計画が持ち上がったのは昨年の末.無雪期の「生きている山」へ行きたいと申し出たのは爺.快く山行計画引き受けてくれたのがuzura丼だ.但し彼の場合休みが水曜日という特殊環境の会社(笑).爺は平日休む事に問題ないが、他は参加したくても・・・と、黒ヤス丼が手を挙げた.「おいらは2−3日休んでも大丈夫」と、こちらは羨ましい管理職身分.

さて、uzura丼の計画だが、当然塩那道路を歩き瓢箪峠一泊・・・と、思ったら 横川から瓢箪峠へ抜ける と言う事だった.この辺り、情報は殆どない.最も無雪期の大佐飛山自体、ネット情報はごく僅か.昔はあった横川林道も間違いなく藪化している筈.困難を極めるだろうと思うこのルートをどうして選んだか聞いてみた.「同じ時間を歩くなら塩那道路より、こっちの藪を苦労した方が面白い」・・・これだから、” ヤブスキーuzura丼 ”と言われるのだ(爆)

身支度を整え**の脇を歩き白滝沢沿いの林道を歩き出した.2人の足元は何と渓流シューズに渓流スパッツだ.(爺は皮製登山靴に渓流スパッツ)

横川放牧場を過ぎ左岸林道は歩き易い.男鹿川から白滝沢沿いに林道を分岐しワサビ栽培畑を左に見ながら気分良く歩いていくとやがて白滝沢(上流)右支沢の横断点だが、橋が壊れている.2人は沢靴なので何の問題もないが、爺は登山靴だから沢は水量が多くやや徒渉は困難.そこで、朽ちかけた橋桁に足をかけ橋の上に生えている細い木をつかんで、よいしょと身体を持ち上げた.(掴んだ)木が根っこ毎抜けそうになる.何とか落ちずに橋の上に這い上がるが、やや冷や汗だった.

林道は尚も上に延びているが、ここからショートカット作戦が始まる.つづら折りで付けられている道(既になくヤブ化)を横断しながら直登していくのだ.1150m付近の明瞭な尾根に取り付き一気に登っていく.笹は腰上だがまだ薄い.所々道形を見つけながらそれを横断し登るに従いヤブが密になりだしてくる.1400m付近まで登るとそれまで急だった斜面は緩くなるが笹藪は更に密度を増してきた.えらいこっちゃー・・・三人で代わる代わる先

[3] 道路レポート 塩那道路工事用道路, , http://yamaiga.com/road/ennakouji/main8.html

―― 遂に苦しみが去って、喜びが来た ――

2011年9月28日、13時8分。

塩那道路に私が再び立った日時だ。

私は朝日よりも先に麓の集落を出発し、以来誰とも遭わず7時間44分を費やして、13kmの“道”を実直になぞった。

スタート直後に自動車止めのバリケードがあったが、やがて自転車すら廃道を前に放棄させられ、以後ひたすらに歩行した。

そしてこの過程において私は、塩那道路の“工事用道路”とされるものの救いようがない実態を確かめる事が出来た。

なんていう表現では生ぬるい。カラダに叩き込まれたといった方がしっくりくる。いい加減ヘトヘトになった。

しかし、それはもういいのだ。

私がこうして無事に塩那道路上に辿りついた時点で、 工事用道路の攻略 という、この探索の最大目的は果たされた。

私がもしアルピニストであったなら、今は山頂にいるのと同じことだ。

となれば次に成すべきは、記憶と記録という成果をもって帰宅することに他ならない。

だが、お世辞にも面白みがあるとは言えない工事用道路よ、今少し待て。待ってくれ!

確かに今の私には、お前の他に生還すべき道は無いし、時間的に猶予がないことも知っている。

ヤブ漕ぎの身軽さを目論んで装備を選んだ今日の私に、この山で宿る覚悟はない。

だが、少々危険に近付くとしても果たしたいと思えるだけの、もし再訪叶うならばと胸に秘めていた希望があった。

それを今から果たさせてほしい。

簡単には来れないからこそ、今日という絶好の機会を逃したくない。

―― 6年前はヴェールに隠れたままだった、この道の“真価”の享受 ――

全国屈指の観光道路を目指していた塩那 ―スカイライン― 道路からの 眺望を確かめる ことこそ、

私が目指した第2のピーク。 最終達成目標 であった。

2011/9/28 13:08 (出発から7:46)

現在地は、全長約50kmの塩那道路の塩原起点から29.2km、板室終点から21.6kmに位置する、「記念碑」という地点である。

このすぐそばに塩那道路のパイロット道路開通を記念した石碑があるために、このように名付けられた。

地籍としては日光市横川と那須塩原市湯宮の境であるが、石碑がある地点は、僅かに那須塩原側に入っている。

思い返してみると、6年前の平成17(2005)年10月8日に行った一度目の探索では、塩原起点を5:20に

[6] 道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) その8, , http://yamaiga.com/road/enna/main8.html

プレハブ小屋と寄り添う記念碑の前を、午後一時に我々は出発した。

「横川支線」を攻略した暁には再会も出来よう。

それを楽しみに、一時の別れだ。

何度も繰り返して書いたが、「天空街道」と私が呼んでいる塩那道路の最も特徴的かつ、圧倒的存在感を見せる5kmは、大変に惜しまれながらも、間もなく終わりとなる。

現在の標高は、1700m。

最高所の海抜1800mから殆ど下らず踏みとどまってきたが、いま正面に県境の男鹿岳(1777m)を見据え、稜線はその頂へと緩やかに近づこうとしているさなか、塩那道路は、ついに、戦意を喪失したかのように…、右へと流れ始める。

稜線を離れ、板室へと残り20kmの下り坂だ。

特に、前半11kmは一度も休まずひたすらに下り続けるという展開。

もう、下り始めたら、この高さには二度と戻れない。

どんどんと、稜線から離れ、間もなく、その姿を遠望することも難しくなる。

こんなに、離れがたいと思った峠は、初めてだった。

そして、そんな私の気持ちを推し量ってか、塩那道路には天空街道のラスト1kmに、殆ど名前だけで実のない「ひょうたん峠」と「男鹿峠」の塩那標識がある。

どちらも、峠と呼べるような地形ではなく、僅かばかりのアップダウンに過ぎないのだが、離れようとする我々を少しでも足止めしようとしているかのようで、それさえも愛おしかった。

ひょうたん峠の失われた塩那標識の支柱の傍に立つ、おそらく塩那道路開通当時の林野標識。

各地の山道や林道でお馴染みの、造林地の位置などを示した地図だ。

殆どさび付いており、その文字は読めない。

だが、一番読みたかった部分だけが、辛うじて判読できた。

堪らず、歓声を上げた。

部分拡大写真であるが、読めるだろうか?

そう。

「塩那スカイライン」の文字が、辛うじて読める。

その名前は幻。

いまや二度と表舞台に戻る可能性の潰えた、塩那道路の観光道路名。

赤茶けた一枚の畑違いな標識だけが、その名を今に伝え続けている。

もう、誰も呼ばなくなった、 その名を。

進路を緩やかに変えた道は、登ってきた道ほど変化に富んではいない。

あとはもう、板室に達するまでひたすらに、この尾根の右壁に張り付いて、徐々に高度を降ろして行くのみだからだ。

もし、逆から辿って登ってきたなら、かなりダルまっていたと想像できる。

履歴

[11] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24343926366864611

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