塩那道路に塩原側より進入した我々は、延々と続く9kmの九十九折りに耐え、海抜1100mの土平に到達。
土平には、重厚な通行止めゲートが2基設置されており、関係者以外の全ての交通を遮断している。
通行止めの警告文には、繰り返し繰り返し「歩行者も進入禁止」と書かれており、ただ事ではないムードである。
しかし、我々はどうしても塩那道路の、まだ見ぬ奥地を見たかった。
その様子が殆ど明かされたことのない、塩那道路の中心部を、何としても走りたかったのだ。
覚悟を決め、我々はゲートを突破。
遂に、入ってはならぬ道へと、足を踏み入れたのである。
このとき、塩那道路走行開始から2時間が経過していた。
ゲートの先に広がっていたのは、道幅の三分の一ほどを夏草に隠されはしているが、十分な広さを持った道だった。
路面はダートだが、そこに轍の凹みはまるっきり無く、代わりに、鮮明なキャタピラの足跡が。
塩那道路を通っている車が、相当に少ないことは、この時点で明らかだった。
法面には、どこまでも続くと思われるような、長い長いコンクリブロックの壁。
妖怪屋敷のように絡み付いたツタが、みなまちまちの色で彩っていた。
我々には、不安な気持ちが常に付きまとっていた。
いつ、管理車両が通りかかり、我々のこの違反行為を咎めるか分からない。
いまの私にとっては、引き返せなどと言われるのは、大袈裟でなく、死ねと言われているくらいに、心苦しいに違いなかった。
そのことが予想できたから、なおさら、聞こえもしない車の音にビクつき、オドオドしながら、走ったのだった。
そして、その心の弱さを隠そうとするかのように、私はペラペラとゆーじ氏に話しかけた。
去年の様子などよく分からないくせに、「最近は管理者が入っている様子もないなー」なんて、根拠のない戯れ言を口にしたりして、少しでも、安心を得ようとした。
この写真を撮ったときの私をはたから見ればおそらく、顔は青ざめ、胸はバクバクと動悸し、いまにもその臓物を吐きださんとするような、苦悶に満ちた表情だったに違いない。
私は、たまたま、ゆーじ氏の30mほど前を走っていた。
振り返れば、そこにゆーじ氏がいると思える距離だった。
そして、聞こえてきたのだ。
一番、恐れていた、音が。
車の、接近してくる、音だった。
あんなに胸が締め付けられ