明神橋

明神橋

[1] 明神橋

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[2] 廃線レポート 真室川森林鉄道 高坂ダム周辺区間, , http://yamaiga.com/rail/oosawagawa/main5.html

2013/6/9 8:22 【現在地】

設置された固定梯子を登って、一気に林鉄路盤と橋の高低差を詰めた。

私がここへ来るのも、来ようとしたのも今回が初めてなので、この場所がどういう場所なのかはよく分からない。

雰囲気的には、ダムの管理区画内っぽく、立入禁止のようにも予想されたが、軌道跡(あるいは川)を辿ってくる限り「立入禁止」を見る機会が無かった。

万が一関係者に見られたら、そんな風に陳謝しようなんて事を考えた。

この橋には親柱があったが、ダム側の2本に銘板は見あたらない。

橋を渡って下界へと戻る前に、折角だから、さらに軌道跡を求めてダム方向へと進んでみよう。

ちなみに、右の写真の左端に見えている入口は、ダム堤体まで続く監査廊(人道トンネル)か。普通に開け放たれていたが、現役施設であり、イラストが妙に上手い「立入禁止」の看板もあったので、立ち入りは遠慮した。

ダム側に少し移動した地点から、橋を振り返って撮影。

林鉄の探索からはテーマが離れるが、なかなか立派な橋に心が躍った。

ダム専用道路に架かる橋としては、異例な規模である。

形式としては単純なアーチ橋だが、アーチが末広がりになっており、シルエットのバランスが素晴らしい。

また、橋が空中に描き出す横のラインと、周辺の地形が見せる縦のラインの対比、および、橋の人工的な白い塗色と、周辺地形が見せる様々な暗色の対比が、本橋の印象の度合いを深めている。

橋の素性については情報が無く推定しか出来ないが、昭和38(1963)年のダム着工に合わせて建造され、昭和42年の竣工までには完成していたと見られる。

ところで、この橋と交差する地点で、軌道跡は完全に断絶している。

大沢川林道(真室川森林鉄道)の最終廃止は昭和40年で、その時に6390mが廃止された記録があるが、ダム周辺より上流の区間は、昭和33(1958)年にダム計画が決定した時点から遅くとも昭和38年の着工までには廃止されたらしい。

とはいえ、この絶壁の中腹が唐突に終点となったというのは解せないので、 どこに一時的な終点が置かれていたのか、なお研究の必要がある。

8:24 【現在地】

橋を背にして上流へ100mほど進むと、そこがこの道の終点で、谷底の狭所に建てられた武骨な建造物に突き当たった。

そしてこの建物が御旗のように背負うのは、堤高57

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