中ノ沢林道

中ノ沢林道

[1] 中ノ沢林道

Webページ

[2] 隧道レポート, , http://yamaiga.com/tunnel/nibetu_2.html

森林鉄道とは、木材などの林産物の搬出の為に建設された鉄道のことである。

全国有数の林産王国であった秋田県におけるその歴史は、明治の終わりごろにまで遡る。

その一部は鉱山鉄道とも供用されていたというが、県内各地に張り巡らされた線路網は昭和初めの全盛期においては、総延長1000kmを越えていた。

しかし、その後のモータリゼーションや林業自体の衰退などで、どのような末路を辿ったかは、皆さんご存知の通りである。

その森林鉄道の中でも、県都秋田市と太平山地を結んだ仁別森林鉄道は県内で最も遅くまで活躍していた路線である。(写真下)

そしてそれは、日本最後の純粋な(観光化していない)森林鉄道でもあった。

仁別森林鉄道には本線である「秋田駅〜仁別〜旭又」の30km余りのほかにも、旭川の支沢に沿いに無数の支線が存在していたが、今日ではその一部が林道や登山道、または自転車道として再整備されている他は、大規模な施設を有さなかった素朴な林鉄だっただけに、その線路跡の特定が困難なほどに自然に還ってしまっている。

その支線の一つ、「仁別〜北の又〜杉沢」の路線は、林鉄としては特異な物であった。

なぜならば、その経路の途中には標高400mを越える稜線が立ちふさがり、しかもそこは営林局の境界でもあった。

この支線は、二つの異なる営林局の管内の渡り線であったのだ。

途中の峠には長さ500mにも及ぶ峰越の隧道が穿たれていたとされ、確かに古い地形図などにその姿を見つけることができるのだが、実際の姿は杳として知られていなかった。

一帯は奥深い山中である上、元々が支線であったということから資料に乏しく、広大な杉林の中の一点を特定することが非常に困難だったのだ。

2003年5月。

長らく謎の存在であった市内の2廃隧道( 道川軌道隧道 、 黒川軌道隧道 である)を相次いで発見してきた勢いのままに、市内最後の廃隧道の発見を図ろうと、ひとり、仁別へと向かった。

そして遂に、念願の発見をみることになる。

この隧道を探すのは今回で3回目である。

過去二回の探索では結局、峠の南北にある筈の二つの坑門のいずれをも発見できていない。

前日、県立図書館にて念入りに歴地形図をチェックし、現在の林道との位置関係を徹底的に暗記した。

翌朝、日が昇ると同時に行動を開始。

自宅からは10kmちょっとしか

[3] 隧道レポート(初期レポート集1), , http://yamaiga.com/tunnel/tunnel1.html

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国道13号線は、秋田市を出発し延々内陸を縦貫、果ては山形を越え、福島市にまで至る元一級国道の名に恥じない最重要路線だ。

栗子トンネルなどの大きなトンネルを初め多数のトンネルを有するが、実は秋田県内には、トンネルはひとつも無い。(山形県境の雄勝トンネルを除く)

しかし実は、ほんの数年前まで、たった一つ、秋田市の間近にあった。

それがここに紹介する、和田トンネルだ。

この昭和36年竣工のトンネルは、僅か延長100m。

年代相応の狭隘なもので、昼夜を問わず交通量の多い国道13号線において、大きなボトルネックになっていたことは、想像に難くない。

前後にあった歩道もここで途切れるほどであったのだから。

そしてまた、地理的な条件(このトンネルが越えた低い稜線は、秋田市と河辺町を分かつものであり、秋田市の門というイメージが強かった。)や、その古さが想像させる過去の事故歴、最後まで無灯隧道であった事などが災いして、県内有数の心霊スポット(「男鹿プリ」か”ここ”というほどの)とされてきた。

私もたびたび深夜にここを自転車で通ったが、短いとはいえ歩道も無い狭く埃っぽい無灯の隧道を、背後から大型車が来ていないことを確かめてから、進入するのは、気持ちよいものではなかった。

見込みを誤り、大型車に追い立てられた時など、そのまま巻き込まれて死ぬのではないかと恐怖したものだ。

…幽霊云々ではなく、事実上、怖い場所であったのだ。

遅ればせながらと言う感じだが、最近になって、やっとここにトンネルを供さない、バイパスが完成した。

そして、そのバイパスは、あまりに旧トンネルに近い場所を巨大な切り通しで駆け抜けるものとなった。

すなわち、旧トンネルは、破壊され、消え去ったのだった。

私は埋め立てからほぼ1年がたった、2001年夏、久々にこの場所に行ってみた。

以下はその時に撮影したものだ。

[4] 隧道レポート 馬場目隧道 南口捜索編, , http://yamaiga.com/tunnel/nibetu/main.html

※このレポートのタイトルを水無沢隧道から馬場目隧道に変更しました。(2014/8/29)

私が住む秋田市で最長のトンネルは、平成18年現在でもなお、昭和9年に完成した一本の隧道である。

ましてその隧道が、森林鉄道用の隧道であり、昭和40年代初頭には全てが廃止されていると言えば、なんと秋田市の開発の進んでないことかと驚かれるかも知れない。

だが事実、後にも先にも秋田市内にこれを超える長さの山岳トンネルは存在していない。

そんな曰わく付きの隧道を、私も過去何度となく訪れている。

2002年に自身としては始めてその坑口を発見し、その模様はこの山行がでも紹介している。

さらに2004年には水没する内部へ侵入、閉塞地点の模様をお伝えすることにも成功した。

だが、未だにこの隧道の秋田市側の坑口を発見したという報告は、内にも外にもない。

私も以前、捜索しに入山したことがあるが、その時は発見できずに撤収したという苦い思い出がある。

だが、その坑口を私は、 昨年(平成17年)11月6日の捜索にて遂に発見した!

その一部始終を、ご覧頂こう。

現地は秋田市の北東の端、五城目町との境界をなす太平山地の奥深くにある。

市街地に近いと思われがちだが、今だこの峠は県道の不通区間となっていて、細々と林道が通うだけ場所だ。

そんな場所に、昭和9年という早い時期に全長500mもの隧道が掘り抜かれ、五城目町側で伐採した木材の運搬に供された。

記録では昭和17年に廃止された事になっているが、私は、隧道自体についてはその後も暫く存続したものと考えている。

最奥の仁別集落から未舗装の中ノ沢林道を5kmほど進むと、いよいよ峠越え区間となり、大きな石がゴロゴロと路面に転がる普通車泣かせの道となる。例年土砂崩れなどで通行止めのことが多い道だ。

そして今回私は、未発見の坑口の所在地を度重なる失敗と詳細な机上調査により、ただ一箇所に擬定した。

それが、登りの途中で林道がヘアピンカーブの頂点とするこの地点。

雨池沢の標柱の立つ、この上流である。

実は、以前にもこの雨池沢の上流がくさいと睨んで探索したことがあった。

その時は沢伝いに遡ったのだが、沢が細く急すぎるためこにレールを敷くことは不可能であるとして、捜索を早々に打ち切った経緯があった。

しかし今回、林道と林鉄は全く別の位置を通過し

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[5] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24255448194467241

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