施設概要 [ 編集 ]
設計:東京都港湾局建築モード研究所
観客席:10,000席
1階:3,892席
2階:3,824席
3階:1,936席
貴賓席:220席
記者席:128席
アリーナ : 全天候型テニスコート (セミハードコート1面・1,153.1m²)
歴史 [ 編集 ]
昭和時代の日本テニスの殿堂と言われた 田園コロシアム ( 東京都 大田区 )の施設の老朽化や、田園コロシアム周辺の宅地化などの影響を考慮して、国際大会を開催できるテニスコートを新たに整備することが求められ、 1987年 、現在地にオープンした。
1991年 には、日本初の開閉式屋根を備えるスタジアムとなった。 杮落とし は 米米CLUB の コンサート ツアー 「ANTI SHARISHARISM」の東京公演であった。オープンの年には 尾崎豊 がコンサートを行い、2日間で2万人を動員した。
使用状況 [ 編集 ]
テニス競技場として [ 編集 ]
テニス の国際大会である「 ジャパン・オープン 」「 東レパンパシフィック 」( 2008年 より)、および日本の大会である「 全日本選手権 」といった規模の大きな大会ではセンターコートとして、有明テニスの森公園の複数のコートと共に使用され、日本におけるテニスの中心的施設となっている。国別対抗戦「 デビスカップ 」および「 フェドカップ 」の日本での開催時においても使用されることがある。屋根を閉じて競技を行う場合もある。
2020年 に開催が予定される 東京オリンピック ではテニス競技のメインコートとして使用される計画となっている [2] 。
格闘技会場として [ 編集 ]
田園コロシアム同様、格闘技の試合会場としても使用されており、まだ屋根がなかった時代より興行が行われていた。
プロレス では、 1988年 5月8日 の 新日本プロレス が初使用(メインは 藤波辰巳 VS ビッグバン・ベイダー の IWGPヘビー級選手権 )。新日本は1987年12月27日に起こった 暴動騒ぎ で使用禁止にされた 両国国技館 に代わるビッグマッチの会場として当てており、7月29日にも使用し 闘魂三銃士 として初の6人タッグなどが組まれたが、国技館使用禁止が翌年に解除されたこともありこの2回のみで終わった。
8月13日には UWF も興行を開き(メインは 前田日