なぜ、わたしは投入堂を目指したのか?
Posted on 2012/10/28
先日、NHK鳥取のディレクターから「2007年に三佛寺の投入堂の特別拝観のときを詳しく教えてほしい」というメールを頂いた。
特別拝観というのは三徳山が開山して1300年を記念して、米田住職の息子さんが企画されたもの。 これは一般の方が投入堂そのものに入るということで、350人ぐらいの応募があったらしい。わたしはこのなかから選ばれた1人だった。2007年11月14日に行われた。
そういうご縁があって、いろんな方から「どうして登ろうとおもったのか?」という質問を頂くことがある。その都度答えてきたのだけれども、さきほどのNHKの方も同じように聞いてこられた。なので、この機会にLLでも答えておこうとおもう。つまり、どうして登ろうとしたのか — この特別拝観に応募したわけは?
この特別拝観では、志望理由の小論文を提出する義務があった。このテキストファイルがあったので、この機会に再掲しよう。読み返すとなんとも稚拙で、気恥ずかしいが当時のわたしの気持ちがよく出ていると思う。
「十八世紀に完成した但馬にある寺院」というのは、 大乗寺 のことで、「南フランスに八世紀の古い修道院」はル・トロネ修道院のこと。
上にある写真は、 『日本人と建物 移ろいゆく物語』 に掲載されたもの。先頭から4人目がわたし。落ちそうだな・・・(笑)
以下、本文。
三佛寺奥院国宝投入堂拝観をしたいと思った理由
木下知威
三佛寺奥院国宝投入堂は、僕にとって象徴的な建築空間のひとつです。僕は生まれつき、耳が全く聞こえず、それがために好奇の目でみられたり、いじめに遭ったりしました。しかしそれ以上に自分が悩んだことがありました。それは、自分自身が何かひっそりとした空間に包まれ、外にある喧騒との落差を感じていることです。物理的な音を一切感じることができないのですが、まわりの人々はその音を感じている・・・例えば、蝉や鳥の声を感じられないことに何か一種の寂しさがあります。その失われた感覚を取り戻すべく、補聴器など機械をつけてみたのですが、街にある車や電車、足音などの音が無遠慮に注ぎこまれ、自分が何をきいているのかわからなくなるほどに混乱して、補聴器をはずしてしまうのです。
その悩みはまだ解決していませんが、現在、横浜国立大学大学院 博士課