2014/10/28 12:52 【現在地】
差切バス停から100mほど進むと、路傍の渓谷はいよいよ深さを増し、対岸の切り立ち方も半端なくなってきた。
またおそらく、対岸からこちらを眺めたとしても、同じように険しい場所にこの道は切り開かれているのだろう。
道幅は1.5車線で、大型車のすれ違いは不可能。
そこに切り立った法面に張り付くような見通しの悪いカーブが次々現れてくる。
まさに“険道”であるが、それだけに、ハンドル捌きを駆使して自ら風景に切り込んでいくようなライブ感の強い景観は爽快だった。
この先の全面通行止めさえなかったら、今日だってもう少し多くの車が紅葉のドライブを楽しんでいただろう。
そうしているうちに、さっそく次のチェックポイントが見えてきた。
上の写真にも見えているさほど大きくもない切り通し、近付いてみるとこのようになっている(→)。
現在はこのようにただの切り通しでしかないが、 おそらくこの地点には、遅くとも昭和40年代初頭まで、「 大鑑 」に記載された「差切5号隧道」があったと思われる。
ここを隧道跡地と考える根拠は、昭和27(1952)年の地形図(←)で、ここに短い隧道が描かれているからだ。
「大鑑」では昭和28(1953)年の竣工となっているが、それ以前からここに隧道が存在していたとみられる。
だが、この隧道は1〜6号の中でも最短の13mしかなく、そのためにさっさと取り壊されてしまったのだろう。
取り壊しの時期も不明だが、そうして5号隧道が失われた際に、前回紹介した隧道を6号から5号へと改名したと考えている。 (このようにわざわざ改名するのは、結構珍しいと思う。大概は道路改良の過程で番号が抜けても、構われずにそのままにされている。)
独り逝ってしまった隧道に思いを残しつつ、先へと進む。
間もなく道は直角に近いカーブで山手に折れて、麻績川に注ぐ小さな谷川を一時の伴走者とする。
だがその期間は非常に短く、目の届く範囲で谷川を跨ぎ、180度屈折して再び本流沿いに戻ってくる。
谷川の向こうに目を向けると、一段低い所に次の隧道と、その隧道を圧するようにそそり立つ、天突く巨巌が遠望された。
早くも渓谷の険しさは、最高潮を迎えようとしている様子がある。
それにしても、この谷川を越える部分の地形にあまり逆らわない迂回の線形は、いかにも