朝熊登山鉄道鋼索線

朝熊登山鉄道鋼索線

[1] 朝熊登山鉄道朝熊登山鉄道鋼索線

Webページ

[2] 廃線レポート 朝熊登山鉄道 鋼索線, , http://yamaiga.com/rail/asama/main.html

今回はちょっとばかりスリリングな廃線跡を紹介しよう。

皆さまは、 日本一 、

いや、

東洋一

とさえといわれた、そんなケーブルカーをご存知であろうか。

大正14(1925)年から昭和19(1944)年までの19年を生きた登山鉄道である。

その名は 朝熊登山鉄道 といい、全長4.2kmの「平坦線」と、全長1.1kmの「鋼索線」からなっていた。

今回紹介するのはこのうちの鋼索線で、これが所謂ケーブルカーである。

そしてこの鋼索線は、廃止されるまで “ある日本記録”を保持 していた。

右図は、この短命に終わった朝熊登山鉄道の姿を描いた数少ない5万分の1地形図である、昭和24(1949)年応急修正版「鳥羽」だ。

平坦線、鋼索線とも昭和19(1944)年には既に休止されていたので、良く見るとこの地形図には、「朝熊登山線」「鋼索鉄道」などの路線名や、「ひらいわ」「あさまたけ」などの駅名、さらに駅の記号上に「×印」が付されている。

本来の地形図の図式にはない表現だが、戦後間もない応急修正版ということで無理やりに修正されている。

朝熊登山鉄道の鋼索線は、その短命さや(実質的な)廃止時期の古さもさることながら、鋼索線の途中に隧道が1本描かれていることが私の興味をそそった。

そこで、「 鉄道廃線跡を歩くVII 」で最低限の知識を得て、あとは行き当たりばったりの現地探索を行ったのが今回のレポートである。

(個人的にケーブルカーの廃線跡が好きで、日光、箱根、赤城、榛名、あとは愛宕山など色々と探索しているが、「山行が」でレポートするのははじめてかも?)

以下は、本路線の経歴と朝熊山についての簡単な解説である。

朝熊ヶ岳(あさまがたけ) (朝熊山、朝熊岳ともいう) は、伊勢市の東部にある標高555mの山で、南北に延びる山嶺は古来から伊勢・志摩両国の境であった。

山頂近くにある金剛證寺(こんごうしょうじ)は、伊勢神宮の鬼門(北東)を守るの奥の院とされ、近世に成立した伊勢音頭に「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と歌われるほどに多くの参詣者があった。

明治期の廃仏毀釈により一時期衰退するが、伊勢・鳥羽に連なる風光明媚の山岳地としても早くから有望視され、観光開発が進められた。

その初期の開発の中核を担ったのが、朝熊登山鉄道である。

朝熊登山鉄道は、大正8(191

[6] ポケットブックス | アンティーク絵葉書専門店, , http://www.pocketbooks-japan.com/advanced_search_result.php?search_in_description=1&keywords=%BB%B0%BD%C5+%C4%AB%B7%A7%B3%D9&osCsid=5f276f4f4fc5db3e4744fe4c1722d2fd&x=0&y=0

2015年September20日 Sunday

10085521 リクエスト (2008年February12日 Tuesday より)

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404089495511

メモ