鼬川

鼬川

[1] 鼬川 (いたちがわ)

36.6962550499672 137.217564582825

Webページ

[2] いたち川 (富山市) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A1%E5%B7%9D_%28%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%29

いたち川は、富山県富山市を流れる延長約12kmの河川。常願寺川と神通川という富山の2大河川を結ぶ川である。平成の名水百選に選定。

[3] いたち川散策 その1 - 茅ちゃん日記, , http://tigayacyan.hatenablog.com/entry/2015/04/15/214643

では、富山の町の始まりとなったいたち川を散策してみましょう。

いたち川の散策は何と言っても桜が咲く春が最高ですよね。

ところで、いたち川の歴史を少し紐解いてみましょう。

富山市 内にいたち川と松川が流れていますが、松川はかつての 神通川 です。今の 神通川 は、明治の頃に旧河川道を利用して真っ直ぐに 富山湾 に流れるように付け替えました。それ以前は今の松川が 神通川 でした。

しかし、中世には、 神通川 は呉羽山の下を流れていたのです。「 富山市 史」(旧版)によれば、 天正 8年に 神通川 は大洪水となって、富山城の北を流れるようになったとあります。

江戸時代、岩瀬からたくさんの海の産物が 神通川 を利用して富山に荷揚げされました。また、飛騨からは、たくさんの材木が 神通川 を利用して木町にもたらされました。木町の浜は大いに賑わったと言います。かつて八人町には魚市場がありました。その名残から今も蒲鉾や鱒寿司、そして昆布屋さんの店があります。これらの写真は、サイトをご覧下さい。

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木町の浜の本町観音堂から歩いてみましょう。

ここに万霊塔が建っています。この塔は江戸時代、 神通川 で水死した人の霊を供養すつために立てられました。

ここは木町の浜という別称があります。木町は本町と町名変更になりましたが、今木町という町名が今も残っています。

少し歩くと、松川といたち川の合流点に出ます。

江戸時代、 神通川 には舟橋が架けられていました。しかし伝承によると、舟橋をかけたのは 佐々成政 で、その舟橋は、今の小島町あたりにあったとされ、その由来を示す看板がここにあります。

ここからいたち川に沿ってを歩いてみましょう。

少し歩くと花見橋に出ます。小島の橋とも呼ばれたこの対岸に大きなスーパーマーケット大坂屋がありますが、かつては八清楼という料亭でした。芸者衆もいて華やいだ所でした。その北側に 赤十字 病院がありましたが、今はマンションに変貌しています。

かつては華やかな町だったのですね。

このあたりは、戦災復興で道路が付け替えられてかなり代わって変わっていますが、ソバ屋さんの「つるや」は60年前から営業しているそうです。

この橋から眺める桜は実に綺麗ですね

[4] 水路をゆく・第二運河 鼬川取水堰と樋門, , http://suiro.blog27.fc2.com/blog-entry-1618.html

(『 牛島閘門ふたたび…2 』のつづき) ● 牛島閘門を愛でたついでに、堤防の向こうにある堰と樋門も見てみることにしました。道路を渡って、鼬川畔に降りてみると、落差をすべる水音とともに、堰が姿を現しました。 丸みを帯びた黒い扉体を越流する河水、これ、ゴム引布製起伏堰ですよね? ゴム製の袋を空気などでふくらませて堰上げ、増水時は減圧してぺちゃんこにすれば、速やかに放流できるという、起伏ゲートの一種です。 ● 堰のかたわらにはテラスが整備され、写真のような説明板もあって、ゆっくり鑑賞できます。名前は「いたち川取水堰」‥‥まあ、使う頻度の少ない漢字なので、気持ちはわかりますが、ここはちゃんと「鼬川取水堰」と、正式名称で呼んであげたいものです。 なるほど、河床の掘り下げで富岩運河への給水が難しくなったため、新たに堰を設けたのですね。見方によっては、運河の付属設備ともいえるでしょう。魚道の写真にはめ込まれた、記号化されたおサカナが可愛らしくてイイ。 ● さて、前回から8年越しの宿題、牛島閘門と鼬川を分かつこの樋門の、名前を確かめること。 巻上機室をタイルでお化粧し、公園地に面したことを明らかに意識した、これだけの規模の設備です。探せばどこかに、銘板なりあるはずでしょう。 ● ‥‥と、息巻いて隅々まで眺めまわし、のぞき込んでは探し歩いたものの、名前のよすがとなるものは、ついに発見できませんでした。右に掲げた頑丈そうな操作盤が、堰柱の裏側に備えてあったのみ。ううん、がっかり‥‥。例によって見落としたのかなあ。 水郷のそれならば、どんな小さな水門であっても、堰柱の梁中央に銘板が掲げてあったものですから、決して小さくないこの樋門で無銘とは、驚きでした。何か理由があるのでしょうか。 ● せっかく再訪したのだからと、扉体をのぞき込んで一枚。いずれこの扉体が開いて、牛島閘門の通船が成るときがあったら、ぜひ通ってみたいですねえ。 【 撮影地点のMapion地図 】 (27年6月20日撮影) (『 中島閘門見学…1 』につづく) にほんブログ村

[21] 河津桜 富山市にもあった、 いたち川左岸の堤|ウォーカープラス地域トピックス 富山市, , http://area.walkerplus.com/walker47/article/detail/ar0516201/le2168/20150320/2_201503200801191877/

富山県富山市の地域トピックス

河津桜 富山市にもあった、 いたち川左岸の堤

富山県富山市地域編集長 富山の宝石 2015年3月20日 8時20分

(2015年3月20日撮影) 河津桜。静岡県河津町のそれが有名だか、近年全国各地に増殖中という。 富山県の桜といえば、『ソメイヨシノ』が一般的だが、あちこちで記念樹として、植えられているようだ。 (2015年3月20日撮影) ここ、いたち川左岸の堤の『ソメイヨシノ』の桜並木道の中、「小島橋」のたもとに1本だけ『河津桜』が植えられ、花を咲かせている。 若木で、樹高は2.5メートルほどであろうか。見慣れているソメイヨシノと比較して、鮮やかなピンク色である。 桜並木ではないので、祭りをするほどではないが、植樹された方の思いがあるのだろう。 今朝の新聞を読んできたのだが・・・。 惜しむらくは、もう少し早く盛りの時期に来て、鑑賞したかったところ。 来年に期待したい。 そのためにも、開花時期など、事前に鑑賞のための情報をしっかりとつかんでおきたい。 いたち川、松川、磯部の堤は、富山市中心部の桜の名所であるが、今年の開花予想は4月5日頃。見頃は、4月中旬と報じられている。 4/3(金)〜4/5(日)には、全日本チンドンコンクールが開催される。国内で唯一のコンクールで、全国からチンドンマンが集まり、技を競い合う。 桜の花とお祭り。富山の春は、街も自然も満開だ。 待ち遠しくてならない。 路面電車が通る「桜橋」から松川を臨む眺めが忘れられない。

[22] 富山)市街地流れるいたち川にサケ稚魚放流:朝日新聞デジタル, , http://www.asahi.com/articles/ASH374D3XH37PUZB002.html

富山市街地を流れるいたち川に7日、同市大泉北町で地域の子どもたちがサケの稚魚を放流した。同所の双泉公民館が、河川環境や水質の大切さを児童らに知ってもらおうと10年前から続けている。毎年秋になるとサケが遡上(そじょう)してくるのが見られ、産卵行動も観察されるという。

この日は、富山漁業協同組合から提供された、体長5センチほどのサケの稚魚3千匹を、児童ら約60人が、順番に放流していった。放流された稚魚は、元気良く並んで浅瀬を泳いでいた。

親戚の家に遊びに来て放流に参加した大沢野中1年広瀬奈保さん(13)は「とってもかわいかった。元気に泳いで、また帰ってきてねと思って放流した」と、話していた。(寺脇毅)

履歴

[25] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404084717969

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