阪神高速8号京都線

阪神高速8号京都線

[1] 阪神高速8号京都線

Webページ

[2] 大山崎ジャンクション - Wikipedia, , http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

概要[編集]

名神高速の高槻BSから大山崎BSに至る天王山トンネル区間は、右ルートと左ルートに分岐しており、このJCTは左ルートからしか利用が出来ない。

大山崎ICが併設されている。

京滋バイパス開通に際して、以前から存在した大山崎BSを挟む形で建設されたため、名神高速道路左ルートのみにバス停留所が併設されている。(名神高速道路右ルート・京滋バイパスにはバス停留所がない)

名神高速(大阪方面)から京滋バイパスへ分岐するランプウェイの線形は比較的簡単であるが、これ以外の方向は複数の分岐と合流があり複雑である。 京滋バイパスから名神高速(大阪方面)へ流入する場合、京都縦貫道が接続する前は左車線走行であったが、接続後は左に分岐が必要となった。

限られたエリアにフルセットのJCTとICを後付で作っているため、小半径の急カーブや走行ラインがクロス交差する箇所もある。

また、当JCTとICは東海道新幹線の上を跨ぎ下を潜る形になっている。

隣[編集]

名神高速道路

(33,33-1,33-2)京都南IC - (PA)桂川PA - (33-3)大山崎JCT/IC/BS - ( )高槻第二JCT(予定) - (34)茨木IC

京滋バイパス(京都第二外環状道路)

(6)巨椋IC - (2)久御山JCT - (7)久御山IC - (8)久御山淀IC - (33-3)大山崎JCT/IC

京都縦貫自動車道(京都第二外環状道路)

(33-3)大山崎JCT/IC - (17)長岡京IC - (16)大原野IC - (15)沓掛IC

関連項目[編集]

下関ジャンクション

以前から存在した長門吉田BSを挟む形で建設されている。

日本のインターチェンジ一覧

外部リンク[編集]

大山崎JCT・IC案内図 : 西日本高速道路株式会社

西日本高速道路株式会社 関西支社

[3] 勧進橋, , http://web.kyoto-inet.or.jp/people/toyosima/bunkazai/kanjinbashi/kanjinbashi.htm

京都駅から竹田街道(24号線)を南に向かうと、久世橋通りで鴨川を渡る。

この鴨川にかかる橋を勧進橋という。

「勧進」というのは勧進帳でも有名なようにお寺などの建立や修理のために寄付を募ることだが、勧進橋もかつては渡り賃を取られた私有の橋で、渡り賃は伏見稲荷大社の改修費用に充てられたという。

渡り賃を取られる橋を昔は「銭取橋」といい、今でもこの名前を残す橋は各地に残るが勧進橋も幕末の頃はこう呼ばれていた。

位置的には昔の洛外にあたり、あまり歴史とは関係のないような橋だが新撰組活動史の中に2回ほど登場する。

最初は元治元(1864)年6月、池田屋事件に怒った長州勢が大挙して京へ押し寄せてきた時、会津藩兵や見廻組など幕府諸隊が九条河原に布陣したが、新撰組も銭取橋下に誠の旗を翻して布陣し、これが蛤御門の変に繋がっていく。

次は慶応2(1866)年6月、それまで新撰組の中で高い地位にあった武田観柳斎が薩摩藩と内通していたとして斎藤一に斬られた場所がこの銭取橋であったらしい。

当時は欄干もないような小さな橋だったようだが、明治時代には路面電車も通るようになって、かなり大きな橋になった。

写真は明治37年8月に開通した路面電車が勧進橋を渡るところを撮ったものだが、手前に歩行者用、後方に電車用と道が分けてあるのが判る。

以前は橋の東端から遠く左大文字も望めたが、1997年の京都駅の改修により見えなくなった。また昭和50年代までは周りは大きな染織工場などあったが、大規模マンションがができたり平成23年に阪神高速8号京都線という高速道路ができたりで、工場が無くなりすっかり景色が変わってしまった。

履歴

[7] この記事はSuikaWiki Worldに作成されました。 に最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404084714052

メモ