[1] 仏島 (ほとけじま)
36.959553 137.053625
仏島(ほとけじま)は、富山県氷見市と石川県七尾市の県境沖にある島。行政上は富山県氷見市に属する。
● 仏島(ほとけじま) ★ 石川県か富山県か。県境の岩島 ● 住所/富山県氷見市脇 ● 面積/0.0004km2/ ● 周囲/0.08km ● 人口/無人島 ● アクセス/最寄の漁港 [ 女良漁港(富山県) 、 大泊町(石川県) ] ★ 仏島は石川県と富山県の県境にある島です。実際には富山県氷見市に属していますが、位置的には石川県七尾市大泊町に近く、海岸から150mほど沖に浮かんでいます。 ★ 島名の由来として、かつて能登国と越中国の間でこの島の所領争いが起こり、見かねた住人が「ほっとけばそのうち争いが治まるだろう」と言ったことから“ほっとけ島”が転じて仏島になったという話が残されています。他にも、島のてっぺんが仏様に似ているとか、むかし仏様が安置してあったからだとか色々と伝えられていますが、いずれにせよ地元の住人にとっては国境の小さな岩島は昔から気になる存在だったようです。 ★ 富山湾には時として「寄り回り波」と呼ばれるうねりを伴った大波が打ち寄せることがあります。これは日本海を北から伝わってきた波が、富山湾の独特の地形で増幅されて岸に打ち寄せるもので、この波が海岸線を削り後退させてきました。富山湾にある虻ケ島や唐島、そしてこの仏島もみんな周囲が波で削られ堅い部分だけが残って出来たものです。仏島などはかつて岬だった頃の「姫ヶ崎」という地名まで伝説として語られています。 ★ 仏島は周囲が100mにも満たない小島で、海上保安庁が数える島数には入れてもらえませんが、石川県七尾市の大泊の海岸から立山連峰を狙う写真には欠かせない島として存在感を示しています。 関連リンク氷見市ホームページ / 氷見市観光ポータルサイト
● 仏島(ほとけじま)
★ 石川県か富山県か。県境の岩島
● 住所/富山県氷見市脇
● 面積/0.0004km2/ ● 周囲/0.08km
● 人口/無人島
● アクセス/最寄の漁港
[ 女良漁港(富山県) 、 大泊町(石川県) ]
★ 仏島は石川県と富山県の県境にある島です。実際には富山県氷見市に属していますが、位置的には石川県七尾市大泊町に近く、海岸から150mほど沖に浮かんでいます。
★ 島名の由来として、かつて能登国と越中国の間でこの島の所領争いが起こり、見かねた住人が「ほっとけばそのうち争いが治まるだろう」と言ったことから“ほっとけ島”が転じて仏島になったという話が残されています。他にも、島のてっぺんが仏様に似ているとか、むかし仏様が安置してあったからだとか色々と伝えられていますが、いずれにせよ地元の住人にとっては国境の小さな岩島は昔から気になる存在だったようです。
★ 富山湾には時として「寄り回り波」と呼ばれるうねりを伴った大波が打ち寄せることがあります。これは日本海を北から伝わってきた波が、富山湾の独特の地形で増幅されて岸に打ち寄せるもので、この波が海岸線を削り後退させてきました。富山湾にある虻ケ島や唐島、そしてこの仏島もみんな周囲が波で削られ堅い部分だけが残って出来たものです。仏島などはかつて岬だった頃の「姫ヶ崎」という地名まで伝説として語られています。
★ 仏島は周囲が100mにも満たない小島で、海上保安庁が数える島数には入れてもらえませんが、石川県七尾市の大泊の海岸から立山連峰を狙う写真には欠かせない島として存在感を示しています。
関連リンク
氷見市ホームページ /
氷見市観光ポータルサイト
先日、久しぶりに石川県七尾市に帰郷しました。 石川、富山の県境の沖合150mに「仏島」があります。 「仏島」 昔は「姫が崎」と云われる岬でしたが 波の浸食により陸地から切り離され島に なりました。 「仏島」の島名の由来は諸説ありますが・・・。 (1)能登国と越中国の間で所領争いが起こり 見かねた住人が「ほっとけば争いが治まるだろう」 と言ったのが「ほっとけ島」から「仏島」になったとか (2)春、秋祭りに七尾市大泊町の「左近孫左衛門」どんが 「仏島」の仏様に舟でお供えを持ってお参りしたことから 「仏島」と呼ばれるようになったとか言われています。 「仏島」は現在は富山県氷見市に属しており 仏様は石川県七尾市大泊町の左近さんの家に 安置されています。 海岸から見える立山連峰 まだ雪があります。 氷見市の沖にある「虻が島」 富山県で一番大きな島です。 今日も応援クリックお願いします。
少し 晴れ間が 広がったので フラフラと 車を 走らせました~~ 海岸線を 走るのも 気持ちいい季節に なりました(*^_^*) これは 虻が島 背景の 海の向こうには 立山連峰が・・・見えるんだけど・・ 見えなくても 絶景!! つぎに見えてきた 島。。。 仏島 能登半島の付け根にあって地図で見たら ちょうど 喉仏の位置にあります。 名前の 由来が 面白いんです^_^; その昔 能登国…今の石川県と VS 越中国・・・今の富山県の間で この島の 所領争いが 起こり 見かねた住人が 「ほっとけばそのうち争いが治まるだろう」 と 言ったことから 「ほっとけ島」が 転じて仏島になったそうです^^ ありがたい 名前なのに ちょっと いい加減な 命名ですね(笑) で 今は 石川県のものに。。。 ゆりかもめが整列 アガパンサスも 咲き始めて 道端の 花壇も にぎやかに・・・ これからは 海岸線を 走るのが 楽しいですよね(*^_^*) さあ 今週も ガンバろ~~!(^^)!
少し 晴れ間が 広がったので
フラフラと 車を 走らせました~~
海岸線を 走るのも 気持ちいい季節に なりました(*^_^*)
これは 虻が島
背景の 海の向こうには 立山連峰が・・・見えるんだけど・・
見えなくても 絶景!!
つぎに見えてきた 島。。。
仏島
能登半島の付け根にあって地図で見たら
ちょうど 喉仏の位置にあります。
名前の 由来が 面白いんです^_^;
その昔
能登国…今の石川県と VS
越中国・・・今の富山県の間で この島の 所領争いが 起こり
見かねた住人が
「ほっとけばそのうち争いが治まるだろう」
と 言ったことから 「ほっとけ島」が 転じて仏島になったそうです^^
ありがたい 名前なのに ちょっと いい加減な 命名ですね(笑)
で 今は 石川県のものに。。。
ゆりかもめが整列
アガパンサスも 咲き始めて
道端の 花壇も にぎやかに・・・
これからは 海岸線を 走るのが 楽しいですよね(*^_^*)
さあ 今週も ガンバろ~~!(^^)!
仏島 石川県七尾市と富山県氷見市の丁度間にある仏島を撮影しました。 冬場はこの背景に立山連峰が見えるそうです。
石川県七尾市と富山県氷見市の丁度間にある仏島を撮影しました。
冬場はこの背景に立山連峰が見えるそうです。
▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ
▲能登半島の付け根、富山県との県境がある七尾市大泊町付近で。長い長い能登路はここから始まった。 広島・岡山シリーズ が終わった後は、夏の北陸シリーズ。去る7月26日~28日、友人N氏と一緒に 石川県・能登半島 を旅してきた。 今回の旅程は、3日間ひたすら海沿いを走り続け、能登半島をクルマで一周するというシンプルかつ壮大なもの。個人的に能登という土地にはいろいろと縁があり、既に 2008年の夏 には半島の先っぽにある禄剛埼(ろっこうざき)まで行ったこともある。そして同行のN氏も北陸に数年間住んでいた経験がある。いろんな意味で懐かしさを感じさせる旅行だった。 さて、初日の7月26日。愛知県一宮市の自宅を出発したのは早朝の5時半。尾張一宮駅でN氏と合流し、東海北陸道、能越道を経て富山県氷見市の氷見北ICに到着したのがちょうど9時だった。
手始めに、氷見北ICにほど近い稲積簡易郵便局と八代郵便局に立ち寄ってから、最初にやって来たのは氷見市の北西部に位置する 胡桃(くるみ) という小さな集落(▼)。 こんな感じの寂しい山村で、有名な観光地でも何でもないところ。しかもこの集落、悲惨なことに大正時代から幾度となく 地すべり の被害に遭っているという。 ところがこの度重なる地すべりは、いつも集落の中央に位置する 火神社 だけを避けるようにすべっていったようで、この神社は「 すべらない 」=「 合格祈願 」の神社としてじわじわと有名になってきているらしいのだ。 ▲こちらがその 火神社 。全く観光地化されていない、山の中の素朴な小さな祠だ。 実は同行のN氏、ここの絵馬を奉納して見事医師国家試験に合格している。今回はそのお礼参りも兼ねてやって来たのだ。全国から受験生が集まるような大きな神社を想像していたが、意外とこぢんまりとしたスポット。私も教育関係の仕事をしているので、ここで教え子たちの合格祈願をしてきた。 丘陵地にある胡桃集落から今度は長い下り坂を下って、再び富山湾沿いへ。本日3局目の 宇波郵便局 に寄りつつ、郵便局のある 灘浦地区 の集落を少しだけ散策。 ▲宇波郵便局近くの街並み。昔ながらの商店が点在する街道筋のようなところだ。 このあたりの風景にも心惹かれるものがあったが、今日のメインは石川県の能登半島。富山県の人には申し訳ないが、国道160号(能登立山シーサイドライン)をさ
参考:「石川縣 鹿島 郡誌」(昭和3年発刊)、 (日本の民話21)「加賀・能登の民話」(清酒時男編)、 「穂にいでずつっぱらめ」(坪井純子著・七尾市立図書館 友の会 刊行) 昔々、大呑の(現在の)熊淵の近くの山中に、とても大きな荒熊が棲んでいました。熊は山野を我が物顔に、のしのし歩き回り、田畑を荒らしたり、家畜を襲って食べたりしました。機嫌の悪い時など人間にも襲いかかるなどして、それでその辺りの村の人々はいつもびくびくして暮らしておりました。 冬が近づき、熊も冬眠に備えて食物を腹いっぱい詰め込もうとしだし、それにつれ近隣の村への被害がさらにに増えだしました。村人は、ついに堪りかねて、弓の名人でもある村の長者の所へ何とかしてください、と頼みに来ました。長者も、その時、これといった思案はありませんでしたが、村人の難儀を見ていると、頷(うなづ)く他無ありませんでした。 なかなかいい方法が浮かばず幾日かが過ぎ、長者が、釜の辺とか釜前(かまさき)と呼ばれる浜辺へ出て塩を焼きながら、あれこれと熊退治の思案をめぐらせていると、海の方から、「おーい、おーい」と自分を呼ぶ声がしました。はて誰かなと目を凝らしても、海しか見えません。もう一度呼ぶ声がするのでもう一度じっくり見ると、小さなそれはとても小さな船に乗った人が、浜辺に近づいてきました。� 「わしはスクナヒコナじゃ。お前にはなんぞ、心配事でもあるのか。」 と聞いてきました。 「実は、わたしが住む村に熊が現れ害を与えるのです。どうか助けてくださいませ。」 そこでスクナヒコナは、良い思案を親切丁寧に教え授けました。長者は、スクナヒコナが水平線の向うに 消える まで見送った後、早速、村へとんで帰り、村人を集めて、急いで熊退治の準備を始めました。近くの川を堰きとめ、まず深い淵を造ったり、できた淵脇の狭くなったあたりの崖の上に隠れるところを作ったり・・・・。せっせとはげみました。 いよいよ熊退治の当日です。スクナヒコナにからかわれいきりたった熊が奥山から出てきました。長者を見つけると、猛然追いかけてきました。長者は淵脇を必死に逃げます。熊に追いつかれる間際に、狭くなった通路の上から、熊めがけて石や丸太が落とされました。熊はたまらず淵に落ちてしまいました。アップアップして必死に岸に這い上がろうとするところを、
[10] この記事はSuikaWiki Worldで2015-08-28T01:22:29Zに作成されました。 2015-08-28T01:33:57Zに最終更新されました。 https://world.suikawiki.org/spots/24140404084633779