日航機墜落30年で新資料
8月6日 19時30分
520人が犠牲となった昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から8月12日で30年になります。この巨大事故については、2年後の昭和62年に300ページを超える事故調査報告書が公表され、メーカーの修理ミスによる圧力隔壁の破壊が主な原因とされました。一方で、墜落から生存者4人の発見に至る捜索救難の16時間については、詳細な記録が残っていないとされてきました。NHKは、独自取材や情報公開請求を通じて300点にのぼる資料を入手し、この16時間の解明に取り組みました。
取材から何が見えてきたのか、社会部の山口健記者が解説します。
正確だった初期の情報
今回の取材で見えてきたのは、当初、正確な情報があったのに、それが巨大事故の混乱の中で埋もれ、結果的に生かされなかったことです。
長野県警の内部資料には、墜落から9分後の午後7時5分、最初の110番通報を受理したと記録されています。通報したのは、墜落地点から山を隔てた長野県川上村に住む中嶋初女さん(67)です。中嶋さんは当時の光景を鮮明に覚えていました。私たちの取材に対し、群馬との県境にあたる山のりょう線越しに空が赤く染まり、黒い煙が上がったのを目撃したと証言しました。
実際の墜落地点は、長野・群馬県境から群馬側に700メートルのところで、かなり正確な情報だったことが分かりました。
もう1つの正確な情報は、タカン(TACAN)という装置を使った航空機からの位置情報でした。タカンは、基地から発信される電波で方位と距離を割り出し、位置を特定する装置です。まず、墜落から19分後にアメリカ軍の輸送機が、25分後に航空自衛隊の戦闘機が、そして1時間46分後に航空自衛隊ヘリコプターの1番機が、タカンの位置情報を寄せていました。
この3つの位置情報の中心を取ると、実は墜落地点の御巣鷹の尾根付近を指していました。
墜落から2時間以内に、地上と上空から、かなり正確な情報が報告されていたことが、今回の取材で分かりました。
埋もれた初期の位置情報
ところが、墜落から2時間余りたった午後9時5分に寄せられた情報で、捜索救難の状況が一変します。長野県警の内部資料では、埼玉県警から「御座山で煙を確認」という目撃情報が伝えられたと記録されています。
御座山(おぐらさん)は、実際の墜落現場から8.5キロ離れてい