[1]

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[2] 東武よみうりウェブ版 とーよみnet, , http://www.tobuyomiuri.co.jp/colum/backnumber/utsutta200810/20120604.html

「垳」という漢字を知っているだろうか。日本で唯一、八潮市内の地名で使われている。「がけ」と読む。「垳」がパソコンなどですぐに変換できるJIS第二水準に指定されている唯一の理由は、八潮市に大字「垳」の地名があるからだという。その「八潮市大字垳」の地名が、八潮駅周辺の南部区画整理の一環で7割が改名の危機に瀕している。島根秀行町会長は「400年前の文献にある地名。幕をあえて閉じるのは惜しい」と訴えている。

「垳」地区は八潮駅から南西に徒歩10分ほどに位置し、面積5�fに約1500人が住んでいる。昨年9月に発足された南部区画整理事業の町名策定委員会は、市民投票を交えた上で、垳地区の7割を含む西地区を「青葉」とすることに決定した。多田重美市長の答申を経て議会の承認を得れば確定する。

「垳」の地名を守ろうと5月13日、垳ふれあい会館(垳町会公民館)で「垳を知る緊急集会」(垳町会、「垳」を守る会=橘ノ圓会長=主催)が開催され、70人が参加した。早稲田大学の笹原宏之教授、大東文化大学の宮瀧交二准教授、獨協大学の秋本弘章教授がそれぞれ「垳の意味と地名としての意義」、「埼玉の地名」、「都市化と地名―垳問題を地理学の観点から考える−」を講演した。

「国字の位相と展開」(三省堂刊)、「國語國字」(國語問題協議會刊)の中で、日本で唯一使われている国字(日本で作られた漢字)として著している笹原教授は「“土”が流れて“行”(く)と書く“垳”は日本で、世界でここだけしかないもの」と、貴重性をアピール。さらに「地名はタイムカプセルのように隠れた過去をつかみ取ることができる固有名詞で、その命を奪い住民を分断する危惧がある」とした。

会に一般で参加していた(財)日本地図センター客員研究員の今尾恵介さん(52)は「区画整理によって地に足のつかない地名に合理的に整理されてきた。集落があった場所の基本的歴史的地名を残すことが大事」だと述べた。また、池谷正さん(62)(大瀬在住)は「時代の流れはあるが水害の地域に住む先人達がコツコツと立ち向かってきたもの。歴史ある地名を大事にしてほしい」と発言した。

守る会は、「垳という地名が先人達の手によって受け継がれてきたかけがえのない文化遺産」「土地に対する愛着や誇りといったものまでを白紙にしてしまう」「次の世代に命「垳(がけ)」で継承していく」とした声明文を読み

[3] 【首都圏最後のフロンティア】「八潮市」がNIMBYでヤクザな街からニュータウンへ脱皮する時 - 東京DEEP案内, , http://tokyodeep.info/yashio-newtown/

【首都圏最後のフロンティア】「八潮市」がNIMBYでヤクザな街からニュータウンへ脱皮する時

2017/4/6

2017/4/6

八潮市

東京都心からたったの15キロ、足立区に隣接し、2005年に開通したつくばエクスプレス線で秋葉原から最短17分で来ることができる「埼玉県八潮市」…21世紀に入り初めて鉄道が開通したこの街は、これまで工場や産業廃棄物処理業者が乱立する工業地帯として発展してきた反面、住宅地として発展することもなく、足立区に隣接するお土地柄だけあって暴力団構成員やDQNなどガラの悪い人種が大量に流入し、治安の悪さでも頭角を現していた街でもあった。

前回この街を訪れた のは2010年、それから6年以上が経過して少しは駅前の風景も変わったのだろうかと気になって再度八潮の地に降り立ったんですが、以前より心なしか駅の利用者も増えた気がする。

つくばエクスプレス線開業直後の2005年には約7万5千人だった八潮市の人口も今では約8万7千人(2017年4月時点)に増えている。駅前ロータリーから見える周囲の街並みもマンションや商業施設が以前よりも明らかに多くなっている。まあ当然っちゃ当然なんですが、やはり沿線住民の人気は千葉県内に集まり、快速が通過する埼玉県区間は超絶不人気なのだ。

八潮駅開業の翌年2006年にオープンした駅前商業施設「フレスポ八潮」も健在である。これまで工場地帯と農村しか無かった八潮に初めて誕生した大型商業施設であり、近隣から車でやってくる現地民と、これまで他の街でたまるしかなかった中高生や不良DQNの姿で活気に満ちている。

ここの駐輪場で2010年11月に近くの オウム真理教(現・アレフ)八潮大瀬施設 に暮らす出家信者だった元妻を刺殺した男が逮捕された事件があったことはよく覚えていますよ、ええ。

八潮駅南口には何も無かったが今では商業施設が次々と誕生している

以前は原っぱしか無かったはずの駅南口ロータリー付近も続々と商業施設が出来ている。駅を出た真正面にある「BiVi八潮」は2013年11月オープン。まだ真新しい印象を受ける。郵便局やサイゼリヤやら学習塾、クリニックなどがちょこちょこ入居しているこじんまりしたモールである。出来て間もないせいか空きテナント多めですね。

そんなモールよりも圧倒的に大規模なのがパチンコ・パチスロ総台数1000台と大型立体駐

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警察署設置はいつ?足立区辺縁、オウムも巣食う治安最悪な街「埼玉県八潮市」はどんなとこ? (全3ページ)

2010/11/26

2017/4/5

八潮市

東京23区最強のDQNスラム地帯とかねてから評判の高い「足立区」に隣接する埼玉県八潮市は、近年つくばエクスプレスの開業でベッドタウンとしての開発がいよいよ始まろうとしている東京近郊最後のフロンティア。

つくばエクスプレスの区間快速で秋葉原からわずか17分、さらに首都高三郷線が通じている為にクルマでも電車でも交通の便が良くなった。当取材班は、この一見何にもなさそうな東埼玉の辺境地帯である八潮の街を訪れた。駅だけはやたら立派であるが周囲は殆ど宅地化されておらず、だだっ広い印象を受ける。

八潮駅を出ると、駅の南側にはひたすら原っぱが広がっている。これからマンションが続々建設されて、さぞかし近代的な街が生まれるに違いない。つくばエクスプレス沿線の駅前はどこもこんな感じでフロンティア感が凄まじい。

八潮駅南口ロータリー。実はここから亀有行きのバスが出ていたりする。北関東の田舎にでも来たかのような印象を受ける駅前のスカスカっぷりにあんぐりしてしまうが、車があると足立区や葛飾区は目と鼻の先。首都圏ってまだまだ土地が余ってるんですね。

足立区に接する八潮は、膨張する首都東京から溢れ出た「人」ではなく「工場」を受け入れて成長してきた街である。人口8万2千人という街の規模に対して工場数はさいたま市・川口市に次ぐ県内第三位。八潮にある工場の多くが狭い都心を離れて広い土地を求めて移転してきた。

23区に隣接しているとは思えない広大な田園地帯に、都心から移転、または退けられた工場や建設資材・残土置き場、産廃業者、葬儀式場、ラブホテルなどが点在する特異な風景が見られる場所、それが八潮だ。

この土地には不動産用語的に言う所の「嫌悪施設」が寄せ集められている。江戸時代の浅草・南千住小塚原よろしく東京の鬼門とされる右上部分にそうした施設が集まってしまうという土地の因縁は平成の世となった今でも受け継がれているようである。

中小企業の工場や事務所と思しき建物を見ても、殆どが工事関係の業者や塗装業といったガテン系職種のものであることが分かる。周りに何もないので余計に目立って見える。

ちなみに東京各所にいる塗装や土木など色んな現場作業の車両を見てみると

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警察署設置はいつ?足立区辺縁、オウムも巣食う治安最悪な街「埼玉県八潮市」はどんなとこ? (全3ページ)

2010/11/26

2017/4/5

八潮市

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すっかりニュータウン臭くオシャレに変貌したつくばエクスプレス八潮駅前の風景を抜けると、その先には田園地帯に建設資材置き場が散在する、どこか殺伐とした独特の街並みが広がっている。現場作業のトラックや工事車両などはこの場所から東京都心に出て仕事をしているのだろうか、巨大なユンボのアームがいくつも錆びた鉄のフェンスから頭を覗かせている。土建屋と工場だらけの街、それが八潮である。

八潮駅から少し離れた首都高三郷線沿いに建つ、何の変哲もない3階建ての貸し倉庫。

ここがどうやらオウム施設として使われているらしい。

首都高の高架に沿って走る下道も大型車が引っ切り無しに通り抜けるような場所で排ガスだらけ、周りは工場地帯、住む環境としてはよろしいはずもないのだが、こんな場所をわざわざ選ばなければならない程、彼らは生活の場に不自由している訳だ。

見れば分かるが、ここは本来は工場関係の貸し倉庫として使われる為に建てられたはずのもの。そこにわざわざ生活の場を作り上げているのである。殆ど窓もなく、辛うじて見える窓はことごとく目張りがされていて中の様子を伺う事が出来ない。凄まじい住環境だ。

だがそこに人が暮らしている形跡は確かにある。住人の自転車置き場が建物横にあるのだ。元夫に刺されて亡くなった被害者女性もこの場所で生活していたことであろう。

一体この建物の中でどれだけの人間がどんな日常が繰り広げられているのか。迫害されながらもオウムの残党として暮らす方がマシだという日常は我々平凡な人間には理解出来る世界ではない。

そして当然のごとく貸し倉庫の周囲には地域住民による抗議の立て看板がずらりと並んでいて一目に見て異様さが伝わる。

「ここにオウムの巣があります」 だなんて書かれているので事情を知らないよそ者でも一発で事態が分かってしまう訳だ。 「出て行け出て行け出て行け」 と三連呼されたりして凄まじい嫌われっぷりだ。それでも信者達は「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」とこの場所に居座り続けているようだ。

オウムの教団施設はここ八潮市大瀬の貸し倉庫の他、足立区辺縁部の環境の劣悪な工業地帯に何箇所か点在していて、今も活動を続けて

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